旅行日:2021年11月10日
昨年11月に馬籠宿から大井宿まで歩いた。 しかし2021年に入ると、新型コロナウィルスによる緊急事態宣言の連続で、中山道歩きは中断を余儀なくされた。 そして9月30日に4回目の緊急事態宣言が解除され、1ヶ月ほど様子を見た後、1年ぶりに中山道歩きを再開。 第46宿の大井宿から第51宿の太田宿を目指した。
前日に大正時代の街並みと「うかれ横丁」、そして明智光秀に関係が深いと云われる明智の街を巡り、その日は恵那市内に一泊。 翌日から中山道を歩いたが、十三峠とか琵琶峠といった、人里離れた長い山道が待ち受けていた。 まずは十三峠を突破して、大湫宿を目指す。
日 付 | 区 間 | 里程表 | 計画路 | GPS | 万歩計 | |
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2021年 11月10日 |
大井宿~大湫宿 | 3里18町 | 13.7Km | Map | GPS | 32986歩 |
大湫宿~細久手宿 | 1里18町 | 5.9Km | ||||
2021年 11月11日 |
細久手宿~御嵩宿 | 3里 | 11.8Km | Map | GPS | 29,974歩 |
御嵩宿~伏見宿 | 1里 | 3.9Km | ||||
2021年 11月12日 |
伏見宿~太田宿 | 2里 | 7.9Km | Map | GPS | 15,701歩 |
合 計 | 11里 | 43.2km | — | — | 78,661歩 | |
日本橋からの累計 (累計日数 : 31日目) |
98里27町 | 387.8Km | — | — | 683,226歩 |
里程表 : 別冊歴史読本「図説 中山道歴史読本」より。
計画路 : 現代の旧中山道ルート図で、歩く予定のコース。
「GarminConnect」を利用してGoogleMap上に作図。
GPS : GPSログを基に、実際に歩いたコースをGoogle MAP上に作図。
大井宿を出発
江戸から数えて46番目の宿場である大井宿は、敵の侵入を防ぐため、宿場内に6箇所もの枡形が造られた。 江戸方から宿場に入り、直角に屈曲する枡形を抜けて最後の枡形を曲がると、阿木川に架る大井橋となって大井宿の京方出口となる。
旧中野村
阿木川に架る大井橋を渡ると、「東銀座商店街」という商店街に姿を変えた 旧中野村に入る。
リボンシトロンとは、懐かしい看板を掲げる酒屋さん。
旧街道の趣を少し残す旧中野村の街並み。 正面の大きな白壁の家は、旧中野村の庄屋の家である。
旧中野村庄屋の家
かつての屋号は「本酒屋」という 、旧中野村の庄屋の家が残る。 軒下には、道の両側に石柱を立て、板をはめて浸水を防いだという浸水防止壁の石柱が残る。
中野観音堂
江戸時代からこの地にあったそうで、傍らには秋葉灯篭が立つ。 また現在は標柱だけだが、中野村の高札場もここにあった。
観音堂の中を見ると、たくさんの仏像が祀られている。 説明版によると、ご本尊は阿弥陀如来立像、その他 弘法太子像や三十三観音像だそうである。
西行ゆかりの地
平安末期の大歌人で、新古今和歌集を代表する西行。 出家した後は全国を行脚する漂泊の人生を送ったそうだが、この地で没したという説があるようだ。 そのためか、西行にまつわる史跡がいくつか残っている。
西行硯水公園
奥州の旅から木曽路を経て、この地で3年間暮らしたという西行。 こんこんと湧き出るこの泉の水で、墨を摺ったと伝えられている。 現在の泉には、あまり水はなかった。
硯水公園の先で街道は右に分岐し、中央本線の踏切を越えると十三峠への入口が迫ってくる。 この分岐点には西行公園があり、西行塚道標が立つ。
十三峠に入る
約3里半(約14Km)という距離の大井宿と大湫宿の間は、連続する上り下りの坂道が続き、「十三峠におまけが七つ」といわれるほど峠の多い難所であった。 これは現在も変りなく、鉄道はおろか、幹線道路からも離れた山中の道が続いている。
「旧中山道」を「いちにちじゅうやまみち」と誤読したアナウンサーの話は有名だが、まさに往時の中山道を彷彿とさせる「1日中山道」の区間である。
西行坂
十三峠入口には「是より西 十三峠」の石柱が立ち、石畳が敷かれた西行坂の上り坂が始まる。
石柱の足元には、十三峠を越える現代の旅人への注意書きが立つ。
西行塚
街道から少し右に入ると、西行の亡骸を埋葬して供養したと伝わる西行塚が立つ。
説明版を要約すると、「ある日村人を呼んで「私はこの夜半、土に還る。遺体は中野坂(現西行坂)に葬ってほしい」と頼んだ。 その夜西行は西に向って合掌し、立ったまま入寂した」とあった。
槇ヶ根一里塚と桜百選の園
西行坂を上り詰め、石畳も終了すると、中山道らしい雰囲気の山道に変わる。
やがて日本橋から88里で、両塚が残る槇ヶ根一里塚が現れる。
「桜百選の園」と、洒落た名の付く見晴らしの良い公園。 百種類もの桜が植えられているそうだが、桜の種類ってそんなに多いのか? 桜の季節に来てみたい・・・
一方、街道脇に太陽光発電のパネルで埋め尽くされた所もあった。 風力発電の風車が林立するのも異様だが、景観が壊されていくようで残念だ。
姫御殿へ
街道は舗装路に合流し、標柱のみが立つ「茶屋水戸屋跡」などを眺めて進む。やがてセントラル建設の前まで来ると、再び舗装路を離れて山中に入る分岐が現れる。
槇ヶ根立場跡と馬頭観音
中野屋や伊勢屋など、9軒の立場があった槇ヶ根立場跡。 明治期に入って中央線全線開通すると、中山道利用者は激減。 町や村へ移転したといわれる。 かまど跡や古井戸が往時を偲ばせる。
立場跡のすぐ先で下街道(伊勢道)への追分を見送り、祝坂の木立の中に馬頭観音が立つ。
姫御殿跡
祝坂を上った祝峠には姫御殿跡がある。 この姫御殿入口辺りに、松ぼっくりを数多くつける「子持ち松」という松があったそうだ。 現在は2代目らしいが、上を見ると小さな松ぼっくりを沢山つける松があった。 これがそうか??
中山道を行くお姫様行列にとって、「子持ち松」とは縁起が良い。 更にこの付近は眺望が良く、格好の休憩場所として仮御殿を建てて休息したという。 もちろん皇女和宮も、ここで休息している。
姫御殿跡まで進んだが、十三峠のまだ序の口である。 しかし「天気良し、風は無し、そして車もいない」静かな山道である。 まだまだ先は長いが、 心がウキウキしてくる里山歩きである。
それにしても「十三峠におまけが七つ」といわれるが、「グリコのおまけ」が七つも貰える大盤振る舞いである。 また 「十三峠を買うとおまけが七つもついてくる、大変お買い得な商品となっております」と、テレビショッピングの謳い文句のようでもある。
どのようなおまけが付いてくるのかを楽しみに、先へ進もう・・・
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