近 江(江州) 中山道 第63宿 鳥居本宿(2) 名物「赤玉神教丸」をお土産に 中山道最後の峠である摺針峠を下り、琵琶湖の東に広がる平地に降り立つと鳥居本宿である。 昔からすいか、合羽、赤玉神教丸の「三赤」と呼ばれる名産品があり、現在も昔からの製法で製造している赤玉神教丸が売られている。 2023.03.27 近 江(江州)
近 江(江州) 中山道 第63宿 鳥居本宿(1) 中山道最後の峠を越える 中山道番場宿を出て西に進み、小針摺峠と針摺峠の2つの峠を越えて鳥居本宿へ向かう。針摺峠は中山道最後の峠で、峠の頂からは琵琶湖を遠望することができるという。日本橋から琵琶湖まで歩いてきたとは、我ながら馬鹿なことをしていると思う。 2023.03.01 近 江(江州)
近 江(江州) 中山道 第62宿 番場宿 鎌倉幕府滅亡時の悲劇の舞台 鎌倉幕府滅亡、六波羅探題の北条仲時以下430名が番場宿の蓮華寺で自刃し、境内を血の川が流れたという。境内には供養する小さな墓がびっしりと並び、思わず手を合わせてしまう光景が広がる。 2023.02.10 近 江(江州)
近 江(江州) 中山道 第61宿 醒井宿(2) 清流に梅花藻の白い花が咲く ヤマトタケルノミコトの伝説が残る醒井宿。宿場内には「居醒の清水」から湧き出る湧水を源流とした地蔵川が流れ、清流に咲く水中花「梅花藻(バイカモ)」を見ることができる、小さな そして静かで美しい情景を持つ宿場である。 2023.02.03 近 江(江州)
近 江(江州) 中山道 第61宿 醒井宿(1) 東山道古道(旧中山道)を歩く 中山道柏原宿から醒井宿入口までの、のどかな街道歩きの記録。この区間には古代東山道(旧中山道)が残る所もあり、鬱蒼とした山林の中を、往時の旅人になった気分で歩くことができる。 2023.01.25 近 江(江州)
近 江(江州) 中山道 第60宿 柏原宿(2) 福助人形のモデルがいた宿場 柏原宿で伊吹もぐさを商う伊吹堂は、江戸吉原の遊女に伊吹堂のCMソングを唄わせ名を広め、大繁盛したと伝わる。また福助人形のモデルと云われた番頭さんがいたともいう。 2023.01.16 近 江(江州)
近 江(江州) 中山道 第60宿 柏原宿(1) 美濃と近江の国境は細い溝だった 美濃路を抜け、近江の最初の宿場である柏原宿を目指す。途中街道を横切る細い排水溝のような溝が、美濃と近江の国境であった。この国境付近は「寝物語の里」とも呼ばれ、名の由来が面白い地である。 2023.01.06 近 江(江州)
美 濃(濃州) 中山道 第59宿 今須宿(2) 美濃路最後の宿場を行く 美濃十六宿の最西端の宿場である今須宿。すぐ先は美濃と近江の国境である。明治期になると東海道線が開通し、宿場機能が廃れて衰退したようである。現在は宿場時代の建物や遺構は少ないが、静かな時間が流れる宿場である。 2023.01.02 美 濃(濃州)
美 濃(濃州) 中山道 第59宿 今須宿(1) 「天下分け目の戦い」は2度あった 中山道関ヶ原宿から今須宿の間には、古代東山道時代の関所「不破関」跡がある。この関所を境に、関東と関西という呼称が使われるようになったともいう。また壬申の乱の激戦地でもあり、関ケ原の戦いと2度の天下分け目の戦いが繰り広げられた地である。 2022.12.29 美 濃(濃州)
美 濃(濃州) 中山道 第58宿 関ヶ原宿(2) 古戦場に男の美学を貫いた大谷吉継 「天下分け目」という言葉が冠されるほど有名な関ケ原の戦い。両軍合わせて15~16万の兵力がぶつかり合った。東西両軍の武将たちが見ていた戦場に思いを馳せ、レンタサイクルで古戦場めぐりを行うことにした。 2022.11.26 美 濃(濃州)