2021/11/11 08:35:40
細久手宿の本陣や脇本陣などは標柱を残すのみで、尾州家定本陣であった大黒屋が往時の面影を残す程度である。
2021/11/11 08:35:40
向かいの山を越え、平岩川を境に街道は再び上りに転じる。 西の坂の途中から平岩の辻を振り返る。
2021/11/11 08:39:26
秋葉坂に入ると、石窟に納められた三尊の石仏が迎えてくれる。 三面六臂の馬頭観音、一面六臂の千手観音など、200年以上前の石仏である。
2021/11/11 08:55:14
あまり紅葉はしていないが、気分良く歩ける道をすすむ。
2021/11/11 08:59:32
江戸から93里、両塚が残る。 ここから鈴鹿の山並みや伊吹山、北アルプスが一望できるそうだが、木々に囲まれて眺望はなかった。
2021/11/11 09:27:44
ふじあげ坂を下り、津橋集落に到着。 民家の軒先を通って集落に入って行く。
2021/11/11 09:34:03
境内には石仏群が祀られ、薬師堂には天井絵が描かれている。 しかし残念ながら、だいぶ痛んでいた。
2021/11/11 09:45:18
五差路となっている津橋の交差点を、正面民家の右側の坂を上がって物見峠に向かう。
2021/11/11 09:50:14
坂を上がると道幅も狭まり、旧街道の趣が増してきた。
2021/11/11 10:05:29
諸之木坂の途中で、後ろを振り返る。 この坂を上りきると物見峠。 和宮降嫁の際、休憩所として御殿が造られた御殿場跡がある。
2021/11/11 10:29:23
和宮降嫁の際、この清水を野点に使い、大変気に入られたと言われる名水。 現在は生水での飲用は危ない。
2021/11/11 10:49:19
急な上り坂が続き、旅人は歌を唄って苦しさを紛らわしたことから「うたうさか」と呼ばれ、転化して「うとうざか」になったといわれる。
2021/11/11 11:05:39
耳の病気にご利益があるという。 昔から難聴気味なので、心を込めて祈ってきた。
2021/11/11 11:19:48
西洞坂の別名で、荷牛の鼻が地面にこすれ、欠けてしまうほどの急坂だった。
2021/11/11 11:26:22
木曽路から続いた山道を抜け、中山道は広がりゆく平地へと伸びていく。
2021/11/11 11:44:32
紫式部、清少納言と共に、同時代を生きた和泉式部。 多くの浮名を流し、恋多き女流歌人として有名だが、東山道をたどる途中、病で御嵩のあたりで没したという。
2021/11/11 12:25:57
日本橋から第49宿。 蟹薬師として知られる願興寺の門前町として、また大湫、細久手宿への難所を控えて賑わったという。
2021/11/11 13:14:11
笠と火袋の部分が木でできている常夜灯が立つ。 文政4年建(1821)だそうだ。
2021/11/11 13:26:14
悪事の限りを尽くした「関の太朗」は、祭に女装で現れた所を討たれた。 討ち取った首を京に運ぶ途中、急に重くなりこの地に葬ったという。
2021/11/11 14:03:34
空堀や土塁跡が残る顔戸城跡。 戦国時代に美濃を治めた斎藤道三に繋がるという斉藤妙椿が、応仁の乱の頃に築城した。
2021/11/11 14:31:19
国道21号を進み、伏見宿手前で僅かな距離だが旧道に入る。
2021/11/11 14:38:19
伏見宿本陣跡碑と、尾州領界石が立つ。 領界石には「是よ里東 尾州領」と刻まれる。
2021/11/11 14:53:20
伏見宿には飯盛女が多く、身寄りのないまま病死した女性たちを弔った。
2021/11/11 15:07:46
駅の南には、明智光秀の居城だった明智城址がある。