2021/11/10 07:55:34
中野村庄屋の家を過ぎ、長島橋から大井宿方向を振り返る。 右手には中野観音堂がある。
2021/11/10 09:04:04
セントラル建設前で舗装路を離れ、右の旧道に入る。
2021/11/10 09:09:11
槇ヶ根追分道標の先で下街道が分岐する。 下街道(伊勢道)は、釜戸から土岐、多治見を経て名古屋に至り、伊勢神宮参拝にも利用された。
2021/11/10 09:24:36
2人の中間(ちゅうげん)が地蔵前で休憩中に眠ってしまい、1人が目覚めると相方は首を斬られて死んでいた。 「黙って見ているとは何事だ!」と、怒った中間に刀で首を斬り落とされてしまった。
2021/11/10 09:31:50
乱れ坂を下ると、昔は石も流れるほどの急流だったという「乱れ川」を渡る。 いまではその面影も無い小さな川である。
2021/11/10 09:51:51
民家の間の細い通路。 岩村藩主が江戸へ参勤交代の時に通ったという。 とても大名が通ったとは思えない・・・
2021/11/10 10:03:36
視界が開けると、往時の中山道の姿を彷彿させる「ぴやいと茶屋跡」付近。 「ぴやいと」とは「枇杷湯糖」と書き、枇杷の葉と薬草をを煎じたものらしい。
2021/11/10 10:07:54
江戸から88里、京へ45里の一里塚。 左右両塚が残る。
2021/11/10 10:18:24
「うばが茶屋跡」を過ぎた小さな集落には、馬茶屋があった。 馬を繋げる深い軒が設けられ、馬に乗る台石が置かれていたという。
2021/11/10 10:21:39
黒すくも坂を下ると、右に三社灯篭が立ち、反対側には佐倉惣五郎の碑がある。 佐倉惣五郎といえば千葉だが、なぜここに?
2021/11/10 10:43:10
お墓の前に叩くための丸石3個が置かれ、叩くと「チンチン」」と金属を叩いたような高い音がする。
2021/11/10 11:15:55
「灰くべ餅の出茶屋跡」碑を過ぎると、木立の間から大久後集落が見えてくる。
2021/11/10 11:39:56
樫の木坂の途中で権現山一里塚が現れ、その両塚の間を旧道が通る。 日本橋から90里。
2021/11/10 12:12:14
曽根松坂を下った阿波屋茶屋跡には、33体の馬頭観音が祀られた石窟が残る。
2021/11/10 12:52:58
日本橋から47宿目。 旅篭三浦屋や、問屋の丸森森川家など、江戸末期の建物が残る。
2021/11/10 13:41:27
十三峠を終えて大湫宿で一息ついた後、次は琵琶峠越えが待っている。
2021/11/10 13:59:43
琵琶峠の頂上には「馬頭様」が祀られ、皇女和宮の歌碑も立つ。
2021/11/10 14:03:20
「琵琶峠一里塚」とも呼ばれた八瀬沢一里塚が、綺麗な形で残っている。 江戸から91里、京まで残り43里である。
2021/11/10 14:16:43
茶屋や馬茶屋があった立場跡の八瀬沢集落に到着。 琵琶峠越えはこれで終了である。
2021/11/10 14:52:16
池の中央には、「弁財天(八臂の天女立像)」が祀られている。
2021/11/10 15:13:19
江戸から92里、京都へ42里を示す。 八瀬沢や鴨之巣一里塚と同様、両塚ともほぼ原型を留めている。
2021/11/10 15:26:48
旧道はクリスタルクレイ日吉工場?に遮られる。 左の新道から来て、工場を過ぎたところで振り返ると、工場から再び現れた旧道が合流してくる。
2021/11/10 15:33:32
本卯建の上がる大黒屋。 問屋や尾州家定本陣を務めた酒井家で、現在も旅館として営業している。