中山道 第54宿 河渡宿 「小紅の渡し」で長良川を渡る

赤坂宿

旅行日:2022年6月9日

4月に加納宿まで歩き、約2か月ぶりに中山道に戻ってきた。 今回は2泊3日で関ケ原宿を目指すが、途中でいくつかの寄道コースを含んでの行程である。

1日目のハイライトは、長良川を渡し船で渡ることである。 中山道にあった「河渡の渡し」は、明治14年(1881)に河渡橋の架橋により廃止された。 しかし裏街道として栄えた「小紅の渡し」が、現在も活躍している。 驚いたことに、県道として扱われている。

のんびり川風に吹かれながら、往時の旅人気分を味わいに、いざ出発である。

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コースデータ

  • 日 付  :2022年6月9日
  • 街道地図 :加納宿~河渡宿~美江寺宿
  • 宿間距離 :加納宿~河渡宿  1里18町(5.9Km)
  •      :河渡宿~美江寺宿 1里7町(4.7Km)
  • 日本橋から:累計107里27町(423.1Km)
  • 万歩計  :19,438歩

※ 街道地図はGPSログを基に、実際に歩いたコースをGoogleMap上に作図

金津園をスルーして出発

頑張って朝5時半に自宅を出たおかげで、JR岐阜駅には9時少し前に到着した。

岐阜駅の南側には、かの有名な金津園がある。 まさに駅近の優良物件。 東海道線と旧中山道に挟まれた場所なので、東海随一と云われる街並みを見にいこうと考えた。

しかし時間が時間である。 朝っぱらから街をうろつくことに、何となく気が引けて中山道へ直行してしまった。 花街や遊郭の跡地巡りと違い、現役バリバリの風俗街だからである。

駅前からの広い道と中山道が交差する地点が、今回の出発点である。

中山道加納宿

加納宿に入ると、街道沿いに秋葉様を祀った小さな祠を多く見かける。 今回も歩きはじめてすぐに秋葉神社が現れたが、ここには加納宿西番所跡の碑も立っている。

加納宿西番所跡

ネット上の記録を見ると、加納一里塚跡には標柱があったと思うが、何故か無くなっていた。 付近を捜したが見つからなかったが、どこかに移動されたのか?

加納一里塚跡

東海道線の高架下の道と合流。 この先で高架下を潜り、本庄町から鏡島に向かう。

旧中山道

鏡島弘法へ

加納宿を抜けると街道は東海道線の北側に移り、本庄町から鏡島を目指す。 鏡島には京都の東寺、神奈川の川崎大師と並び、日本三大躰厄除大師の一つに数えられている「鏡島弘法 乙津寺」がある。

天満神社の夫婦銀杏

鹿島町西8交差点を渡ると八幡神社がある。 境内には夫婦銀杏があり、由縁を記した案内板には「今後神木を崇め大切にしたいものです」と書かれていた。 しかし幹も枝葉も大きく伐採され、可愛そうな姿となっている。 言行不一致!

天満神社

街道は小さな川に沿って鏡島に向かう。

旧中山道

鏡島付近の街道風景

鏡島に入り、街道から右に外れると鏡島弘法と小紅の渡しがある。 しかし往時の中山道は、まっすぐ長良川まで進み、河渡の渡しで長良川を渡っていた。 そこで鏡島弘法は後回しとして、街道沿いに長良川にぶつかるまで歩いてみた。

鏡島弘法入口から長良川土手までの街道沿いには、往時の街道風景を偲ばせる建物が多少は残っている。

旧中山道 旧中山道

長良川の土手が見えてきた。 車の道は右に曲がるが、中山道は直進して長良川沿いに河渡の渡しへ向かった。

旧中山道

上の写真の所で右に曲がり、土手上から河渡橋と伊吹山を眺める。 ここでUターンして鏡島弘法に向かう。

河渡橋

鏡島弘法 乙津寺

「鏡島」は”かがしま”と読む。  弘仁4年(813)に空海 つまり弘法大師がこの地に来て祈祷を行い、龍神に鏡をかざしたところ、この地は桑畑に変わったという。 このことからこの地を”鏡島”と呼び、寺を乙律寺(おっしんじ)と名付けたという。

京都の東寺、神奈川の川崎大師と並び、日本三躰除厄弘法大師の一つに数えられ、弘法大師の月命日にあたる毎月21日は、縁日で参道は賑わうという。

鏡島弘法

「小紅の渡し」で長良川を渡る

鏡島弘法から裏手の長良川土手に出て、「小紅の渡し」に向かう。 川下にあった「 河渡の渡し」が中山道の表街道だったことに対し、「小紅の渡し」は裏街道として栄えたという。 現在は県道173号線の一部なので無料である。

長良川の土手を越え、河川敷の原っぱを水辺を目指して進む。

小紅の渡し

渡しの乗り場にはインターホンが設置され、ボタンを押すと対岸の小屋から船頭さんが迎えに来てくれた。

小紅の渡し

客は私一人だったが、ライフジャケットを付け対岸に向け出発。 小さなエンジンで進むが、川風を受けながら気分は最高潮である。

小紅の渡し

僅か数分という短い時間だが、往時の旅人気分は十分に味わえる。 船頭さんに1日の利用客数を聞くと、平日で10人以内、休日で20~30人程度と話してくれた。

小紅の渡し

対岸の土手上から岐阜市街を眺める。 広々とした空の下、金華山や駅前の高層ビルなどがよく見えている。

小紅の渡し

川を挟んで一方にお寺があるのは、江戸川の「矢切の渡し」とよく似ている。 しかし観光客は少なく、また街道旅の一環で利用していると考えると、矢切の渡しに比較して趣が大きい。

河渡宿へ

河渡宿は日本橋から54番目の宿場。 規模の小さい宿場だが、長良川の船着き場で米・塩・木材などの物資集積地として栄えたが、空襲により往時の面影を焼失した。

小紅の渡しから土手沿いに下流方向に歩き、河渡橋の下を潜る。 やがて往時の「河渡の渡し」があった近辺であるが、左手の河原は灌木に覆われている。

河渡の渡し

馬頭観音堂

土手を下った所に馬頭観音堂が立つ。 宿場の荷駄役の人たちが、銭百文ずつ出し合って、道中と家内安全・五穀豊穣を祈願して建立した。

馬頭観音堂

地元では”馬頭観音さま”と呼んでいるが、祀られているのは三面多臂の愛染明王だという。

馬頭観音堂

長良川土手上から河渡宿を眺める。 大きな伊吹山が背景を飾っている。

河渡宿

日本橋から107里の河渡一里塚跡。 遺構は何も残っていない。 奥の小さな祠は秋葉様だろうか?

河渡一里塚跡

河渡宿はたびたび水害に見舞われ、江戸後期に宿場全体を5尺(約1.5m)盛土して、家も改築したそうだ。 街道から左右に伸びる脇道を見ると、少し下り坂になっている。 街道に面した家の部分だけを盛土したことがわかる。

河渡宿

宿場の西を流れる天王川に架かる慶応橋。 ここが河渡宿京方の出口なのだろう。

慶応橋

 

加納宿から河渡宿までの間は約5.9Kmと短いが、「小紅の渡し」を利用するため、2Km以上余分に歩いただろう。 しかし折角の機会なので見逃すわけにはいかない。

江戸川の「矢切の渡し」は何度か乗ったことがあるが、何と言っても「小紅の渡し」は旧街道の一部のようなもの。 貴重な体験をさせていただき、有難うございました。

次に目指すは美江寺宿。 どのような街道風景が待ち受けているのだろうか?

 


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