旧街道

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近 江(江州)

中山道 第66宿 武佐宿(2) マンホールは織田信長の旗印

東近江市から近江八幡市安土町に入り、マンホールの蓋を見ると永楽通宝がデザインされていた。織田信長の旗印である。さらによく見ると刀の鍔(つば)だと判り、信長の「まけずの鍔」であった。歴史好きには嬉しい街道旅である。
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中山道 第66宿 武佐宿(1) 近江商人の故郷「五個荘」へ

愛知川宿から武佐宿に向かう前編である。途中近江商人発祥の地とも云われる「五個荘金堂地区」へ寄道する。金堂地区だけでなく、旧中山道沿いも豊かさを感じる五個荘であった。
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中山道 第65宿 愛知川宿(2) 宿場の名残りが僅かに残る

近江商人発祥の地の一つとして発展した愛知川宿は、宿場の面影を多く失い、地方の商店街のようであった。しかし高宮から愛知川への街道沿いは、ベンガラ色の建物や塀が多く立ち並び、豊かさを感じる街道風景であった。
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中山道第65宿 愛知川宿(1) 高宮宿から愛知川宿への街道風景

高宮宿から愛知川宿までの街道風景。この間には米国人建築家ヴォーリズの設計による「豊郷小学校旧校舎群」や、伊藤忠・丸紅の創業者である伊藤忠兵衛の屋敷跡などが残り、ベンガラの塗られた町並みは、近江商人発祥の地に相応しい豊さを感じさせてくれる。
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中山道第64宿 高宮宿(2) 高宮上布と多賀大社で潤った

高宮宿は多賀大社の門前町として賑わい、さらに高宮上布の集散地として経済的にも潤い、埼玉の本庄宿に次ぐ規模を持つ宿場であった。現在も多賀大社の大きな鳥居が中心部に残り、宿場の雰囲気を留める街であった。
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中山道 第64宿 高宮宿(1) 「小野小町」出生の地を歩く

鳥居本宿から武佐宿を目指す歩き旅の1日目。鳥居本宿を出発すると、やがて平安時代の女流歌人で、絶世の美女といわれた小野小町の出生の地といわれる小野町に入る。小野小町塚のすぐ目の前を、東海道新幹線が時速280Kmで爆走している。
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中山道 第63宿 鳥居本宿(2) 名物「赤玉神教丸」をお土産に

中山道最後の峠である摺針峠を下り、琵琶湖の東に広がる平地に降り立つと鳥居本宿である。 昔からすいか、合羽、赤玉神教丸の「三赤」と呼ばれる名産品があり、現在も昔からの製法で製造している赤玉神教丸が売られている。
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中山道 第63宿 鳥居本宿(1) 中山道最後の峠を越える

中山道番場宿を出て西に進み、小針摺峠と針摺峠の2つの峠を越えて鳥居本宿へ向かう。針摺峠は中山道最後の峠で、峠の頂からは琵琶湖を遠望することができるという。日本橋から琵琶湖まで歩いてきたとは、我ながら馬鹿なことをしていると思う。
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中山道 第62宿 番場宿 鎌倉幕府滅亡時の悲劇の舞台

鎌倉幕府滅亡、六波羅探題の北条仲時以下430名が番場宿の蓮華寺で自刃し、境内を血の川が流れたという。境内には供養する小さな墓がびっしりと並び、思わず手を合わせてしまう光景が広がる。
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中山道 第61宿 醒井宿(2) 清流に梅花藻の白い花が咲く

ヤマトタケルノミコトの伝説が残る醒井宿。宿場内には「居醒の清水」から湧き出る湧水を源流とした地蔵川が流れ、清流に咲く水中花「梅花藻(バイカモ)」を見ることができる、小さな そして静かで美しい情景を持つ宿場である。
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