中山道 十三峠(2) 上って下ってひたすら山道を行く

観音坂の馬頭様

旅行日:2021年11月10日

大井宿と大湫宿間の十三峠は、「峠」と名が付くが標高はさほど高くはない。 標高は500m前後と低山だが、幾つのも山を縫うようにアップダウンが連続する、厳しいルートとなっている。 しかし石畳や林間の道、さらにゴルフ場や畑などの脇をすり抜け、時たま小さな集落を抜けるなど、 街道沿いの風景は、次々と変化していくので飽きることはない。

石がゴロゴロしている登山道と異なり、林道として整備もされているので、歩きやすい道である。

  

↓ ↓ ↓ ↓ ↓  十三峠前半(大井宿~姫御殿)はこちら ↓ ↓ ↓ ↓ ↓

中山道 十三峠(1) 「おまけが七つ」とは多過ぎる・・・
中山道の大井宿と大湫宿間の3里半(約14Km)は、鉄道や幹線道路、更に人里からも離れた十三峠と呼ばれる山間の道を歩く。「十三峠におまけが七つ」と、アップダウンが連続する難所といわれるが、静かな里山歩きが楽しめる快適な道であった。
日 付 区 間 里程表 計画路 GPS 万歩計
2021年
11月10日
大井宿~大湫宿 3里18町 13.7Km Map GPS 32986歩
大湫宿~細久手宿 1里18町 5.9Km
2021年
11月11日
細久手宿~御嵩宿 3里 11.8Km Map GPS 29,974歩
御嵩宿~伏見宿 1里 3.9Km
2021年
11月12日
伏見宿~太田宿 2里 7.9Km Map GPS 15,701歩
合 計 11里 43.2km 78,661歩
日本橋からの累計
(累計日数 : 31日目)
98里27町 387.8Km 683,226歩

里程表 : 別冊歴史読本「図説 中山道歴史読本」より。
計画路 : 現代の旧中山道ルート図で、歩く予定のコース。

「GarminConnect」を利用してGoogleMap上に作図。

GPS  : GPSログを基に、実際に歩いたコースをGoogle MAP上に作図。


【 スポンサーリンク 】

首無し地蔵と乱れ坂

祝坂の姫御殿跡を過ぎると、すぐに「首無し地蔵」が現れ、更にその先に、「みだれ坂」という急坂が待ち受けている。 もっとも江戸方から来ると、下り坂なので苦も無く通過することができる。

首無し地蔵

首なし地蔵は宝暦6年(1756)に、旅人の安全を願って建立された。 もちろん首はついていた。

しかし ある時2人の中間(ちゅうげん)が木陰で休憩して眠り込んでしまった。 やがて1人が目覚めると、もう1人は首を斬られて死んでいた。 それを見た中間は「黙って見ているとは何事だ!」っと、 怒って地蔵の首を切り落としてしまったという。 それ以来何度か首を付けようとしたが、どうしても付かなかったとさ・・・

首なし地蔵

裾も乱れる「みだれ坂」

石が積まれた「みだれ坂碑」。 この先から急な下り坂となる。

大名行列は乱れ、旅人の息も乱れ、女性の裾も乱れるほどの急坂だったことが、「みだれ坂」の名の由来だそうだ。しかし江戸方から歩いているので下り坂。 何の苦労もなく通過した。

乱れ坂

みだれ坂を下ると「乱れ川」を渡る。 昔は石も転がるほどの急流だったそうだが、現在は小さな小川と化している。

四ツ谷集落と大名街道

緩やかな「うつ木原坂」を上がると四ツ谷集落である。 青空が広がり、明るい雰囲気の集落を抜けていく。

四ツ谷集落

大名街道

民家の横に入る細い路地。 岩村藩主が参勤交代時に通った大名街道が、ここで中山道と結ばれている。  とても大名行列が通った道とは思えないが、見物人の少ない田舎や山道では、大名行列の隊列を崩して歩いたというので、この付近もバラバラで歩いていたのだろう。

大名街道

びやいと茶屋跡 中山道らしい風景が広がる

かくれ神坂、平六坂と進むと視界が大きく開け、往時の中山道にタイムスリップしたような風景が目に飛び込んでくる。

妻の神

かくれ神坂を進むと、木立の中にひっそりと「妻の神」が立つ。 何の神様なのか調べると、性病治癒、夫婦和合、子宝の神とあった。

妻の神

中山道らしい風景「びやいと茶屋跡」

平六茶屋跡の標柱を過ぎると視界が大きく開け、街道が緩くカーブを描いて伸びていく。 「びやいと茶屋」という茶屋があった場所である。

「びやいと」とは、枇杷の葉に薬草を混ぜて煎じた飲み物で、「枇杷湯糖」と書くそうだ。 当時の「ファイト一発〇〇ビタンD」なのだろう。 今は自販機の影すらない・・・

びやいと茶屋跡

紅坂一里塚とぼたん岩

山道の続く十三峠には、往時の姿をそのままに左右両塚が残る一里塚が多い。 上り下りの激しい道だが、これらを眺めながら江戸時代の旅人の心境となって歩くのも楽しい。

紅坂一里塚

江戸から89里、京までは残り45里の紅坂一里塚。 左右両塚が残る。

紅坂一里塚

「うばヶ出茶屋跡」という標柱が立つ。 紅坂を下ると「うばが茶屋」という標柱も立つが、「うばヶ出茶屋」とは出店だったのだろうか?

うばヶ出茶屋跡

紅坂の「ぼたん岩」

石畳の紅坂を下る途中に、牡丹の花のような形の「ぼたん岩」がある。 花崗岩の「玉ねぎ剥離」の標本と説明板にあった。 確かに玉ねぎの輪切りにも見える。

ぼたん岩

ぼたん岩を過ぎ、石畳の紅坂を下る。 右に立つ標柱の足元には紅坂碑もある。

十三峠 紅坂

「里すくも坂」か「黒すくも坂」なのか?

街道に沿った、わずか数軒の小さな集落。 昔は馬茶屋があったそうで、深い軒の下に馬を繋いだそうだ。

十三峠

次に現れる坂の名は、「里すくも坂」とか「黒すくも坂」と、資料により異なる名前で呼ばれている。 どちらが正しいのか、現地の石碑をじっくりと見たが良くわからない。 結局 大湫宿で貰った十三峠の資料にある「黒すくも坂」ということにした。

黒すくも坂碑

三社灯篭と佐倉宗五郎大明神

皇大神宮・秋葉神社・金毘羅神社を祀る三社灯篭。

三社灯篭

向かいには佐倉宗五郎を祀る小さな神社が建つ。 佐倉宗五郎といえば千葉の義民だが、なぜこの様な所に・・・

リニア新幹線が近くを通る

三社灯篭の先で右手を見ると、なにやら工事が行われている。 リニア新幹線のトンネル工事で、この近辺で一瞬だけ高架を走るようだ。

リニア新幹線工事

深萱立場とちんちん石

藤川を渡ると、県道沿いに藤村の高札場が復元されている。

藤村高札場

深萱立場跡

高札場の先が深萱立場跡となる。 立場本陣もあり、皇女和宮や多くの姫君、大名行列が休憩したという。 大きな中山道の案内版を眺め、十三峠の後半戦に向かう。

深萱立場跡

ちんちん石

深萱立場を出ると、再び峠道の西坂を上る。 坂の途中に建つ民家の倉庫手前を左に入ると「ちんちん石」がある。 案内版も何もないので、気付かずに通り過ぎてしまう人も多いだろう。

倉庫の脇から草道を20mほど進むと小さな墓地となり、その奥に「ちんちん石」を前に置く墓石がある。 小さな石が3個並び、その石で叩くと「ちんちん」と、金属のような高い音を発する。 見ず知らずの人のお墓を騒がせたので、手を合わせて挨拶をしておいた。

ちんちん石

ちんちん石を過ぎ、更に西坂を上る。

西坂

三城峠と「ばばが茶屋跡」

西坂を上がると舗装道路を横切り、更に上りが続く。 ここからは「みつじ坂」と名を変え、その頂上は「三城(みつしろ)峠」となっている。 ややこしい名前である。

みつじ坂

三城峠頂上には、茶屋坂碑と「ばばが茶屋跡」の標柱が立つ。 「ばばが茶屋」とは、名の通りお婆さんが茶屋を営んでいたそうだ。 ということは、紅坂にあった「うばが茶屋」は、姥がやっていたのか?

ばばが茶屋跡

ここから恵那市と瑞浪市の境にむけて茶屋坂を下る。 ここまでで人に出会ったのは、大湫宿から大井宿を目指す2人だけで、とにかく静かな山歩きを楽しむことができる。 大湫宿まで残り4.5Kmほどだが、まだまだ峠道は続く。 しばらくは楽しみも続くことになる。

 

  ↓ ↓ ↓ ↓ ↓  十三峠後半(観音坂~大湫宿)はこちら ↓ ↓ ↓ ↓ ↓

中山道 十三峠(3) 「おまけが七つ」はどこにある?
十三峠は鉄道や幹線道路とも離れ、人家も少ない山道の連続で、コンビニや自販機など目にすることが無い。しかし突然ゴルフ場が現れ、現代に引き戻されることになる。せめて中山道を残す形でコース設計してくれたことに感謝である。

 


 

タイトルとURLをコピーしました