中山道 第51宿 太田宿(1) 三大難所「太田の渡し」を越える

太田宿

旅行日:2021年11月12日

前日は伏見宿まで来たところで早めに終了し、のんびり可児のビジネスホテルで過ごした。 そして翌朝、再び名鉄で明智駅まで戻り、伏見宿から太田宿を目指して歩きはじめる。

伏見宿と太田宿の間には木曽川が流れ、中山道三大難所の一つといわれた「太田の渡し」があった。 「碓氷峠」「木曽のかけはし」は既に通過し、最後の三大難所であるが、現在はもちろん橋で渡る。 往時はどの程度の激流だったのだろうか?

日 付 区 間 里程表 計画路 GPS 万歩計
2021年
11月10日
大井宿~大湫宿 3里18町 13.7Km Map GPS 32986歩
大湫宿~細久手宿 1里18町 5.9Km
2021年
11月11日
細久手宿~御嵩宿 3里 11.8Km Map GPS 29,974歩
御嵩宿~伏見宿 1里 3.9Km
2021年
11月12日
伏見宿~太田宿 2里 7.9Km Map GPS 15,701歩
合 計 11里 43.2km 78,661歩
日本橋からの累計
(累計日数 : 31日目)
98里27町 387.8Km 683,226歩

里程表 : 別冊歴史読本「図説 中山道歴史読本」より。
計画路 : 現代の旧中山道ルート図で、歩く予定のコース。

「GarminConnect」を利用してGoogleMap上に作図。

GPS  : GPSログを基に、実際に歩いたコースをGoogle MAP上に作図。


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伏見宿を出発

前日は伏見の交差点で左折し、洞興寺の女郎塚を見て明知駅に向かった。 そして翌朝、伏見の交差点に戻り、中山道に復帰する。

伏見宿には往時の宿場の面影は少ないが、伏見交差点先に旅篭兼生薬屋だった三吉屋が残る。 その手前の旧伏見郵便局も、なかなかの風情を持っている。

伏見宿 伏見宿

県立東農実業高校の先に、小さな社と山灯篭が立つ。

伏見宿

槍ヶ岳を開山した幡隆上人の大きな碑が立つあたりから、街道は緩く下りながらS字カーブを描いている。 このあたりが伏見宿の京方出口であった。

伏見宿

国道21号を西へと進む

国道21号の喧騒に包まれて西に向けて歩を進める。 昨日までの山道の雰囲気は消え失せ、歩いていても楽しいことはない。 まるで修行僧になったような気分で、じっと我慢の国道歩きである。

車のいない静かそうな道だが、車の途切れた一瞬を捉えた国道21号である。

旧中山道

地蔵堂

上恵土神社の向かいの道に入り、しばらく進むと地蔵堂がある。 街道の拡幅工事時に、ここに集められた石仏たちなのだろうか? またこの付近には上恵土城という城か館があったようだ。

地蔵堂

恵土一里塚跡碑

中恵土交差点手前にポツンと立つ一里塚跡碑。 江戸から97里だが、遺構は何も残されていない。

恵土一里塚跡

国道から北の方向を眺める。 一段と低い所に木曽川が流れ、奥の高い山は飛騨の山なのだろう。

旧中山道

加茂公設市場の所で国道と別れ、渡しのあった今渡方面へと進む。 この分岐手前の下には、木曽川の水を知多半島に送る愛知用水が流れている。

旧中山道

今渡の渡しへ

国道21号を離れ、今渡の渡し場跡に向かう。 ちなみに「今渡」は「いまわたり」と読むようだ。

中山道を江戸から京に向かう場合、つまり伏見宿側の渡し場が「今渡の渡し」、対岸の京側の渡し場が「太田の渡し」と呼ばれている。

JR太田線を越える

美濃太田と多治見を結ぶ、JR太多線の踏切を越える。

JR太田線

龍洞寺 「龍の枕石」

旧街道らしい雰囲気が出てくる。

旧中山道

龍洞寺では、この寺を開基した和尚が龍を封じ込めた際に発見した、「龍の枕石」を見ることができる。

龍の枕石

今渡立場跡

「太田の渡し」を控え賑わったという今渡立場跡の街並み。 今渡の渡し場へは左の道を直進し、右にカーブする道を進むと、太田橋で木曽川を渡る。

今渡立場跡

太田の渡し

伏見宿と太田宿の間には木曽川が流れている。 そして「木曽のかけはし 太田の渡し 碓氷峠がなくばよい」と詠まれるほどの難所であった。 現在は上流に造られたダムにより水量は調整されているが、昔は降った雨がすべて流れ込んで相当な水量となり、櫓や櫂で操る渡し船は相当難儀したと思われる。

この渡し船も、明治32年(1901)に両岸をワイヤで結び、滑車で船を誘導する方式に改められた。 更に昭和2年(1927)には太田橋が完成し、「渡し」としての使命を終えた。

弘法堂

街道沿いに「別格今渡弘法大師〇蹟」の石碑が現れ、右に曲がって弘法堂と渡し場跡に向かう。 昔の渡し場はもう少し下流にあり、街道を直進して「土田」という所から渡しが出ていたそうだ。

弘法堂

弘法堂の境内には、可児の名地水「錦江水」が湧き出ている。 少し飲んでみたが、もっと冷たければ美味しいかもしれない・・・

弘法堂

弘法堂の脇から川辺の渡し場跡に出る。 江戸川の「矢切の渡し」のように観光用に渡しを残し、舟で川を渡ることができれば風流なのだが、現在は太田橋を歩いて渡るより他はない。

今渡の渡し場

太田宿へ

風情はないが太田橋を利用して木曽川を渡り右岸に出る。 考えてみると、木曽の薮原宿を過ぎたあたりで木曽川にお目にかかり、それ以来ずぅ~っと左岸を歩いてきたが、いよいよ木曽川と別れの時は近いようだ。

太田橋

木曽川左岸に移り、土手から下流方向を眺める。 写真中央の山が低くなった所が、鵜沼宿へ抜ける「うとう峠」の辺りだろうか?

木曽川

美濃加茂市文化会館裏の土手下に、江戸から98里の「古井(こび)一里塚跡碑」が立つ。

古井一里塚跡

土手から離れ、神明堂の交差点を左の旧街道に入ると、中山道第51宿の太田宿はもう近い。

太田宿

街道を直進すれば太田宿の中心部、右に曲がり800mほど進むとJR美濃太田駅である。

太田宿

この日は伏見宿から太田宿までの1区間を歩くだけである。 天気も良く、木曽川の土手上でのんびり川面を眺めながら大休憩。 江戸時代の旅人も、景色を楽しみながら旅をしたのだろうか?

さて 次は宿場の雰囲気を良く残しているといわれる、太田宿の中心部である。


 

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