中山道 第52宿 鵜沼宿 うとう峠を越え豪華に”ひつまぶし”

鵜沼宿

旅行日:2021年12月4日

今回の中山道歩き旅は2泊3日で計画したが、僅か半日の中山道歩き旅と、その前後に近隣の観光地を訪れる、どちらかというと観光を中心とした旅となってしまった。

・1日目:美濃和紙で有名な美濃市を訪れ、「うだつのあがる町並み」を散策

・2日目:中山道 太田宿から鵜沼宿までを歩き、午後は犬山に移動して犬山城へ

・3日目:犬山の明治村を見学し、名古屋の熱田神宮に参拝して帰京

この様な計画を妻に話したら、「私も行く!」と言いだした。 そのため今回は、木曽の奈良井宿から鳥居峠越え以来の、夫婦2人での中山道歩きとなった。

↓↓↓ 見事なうだつが立ち並ぶ町並みを持つ美濃市探訪記はコチラ ↓↓↓

岐阜県美濃市 うだつの競演 江戸時代の造形美が息づく町
1300年の伝統を持つ美濃和紙で栄えた商人の街である美濃市。その商人たちが競うように豪華な卯建(うだつ)を上げ、その卯建が建ち並ぶ壮観な街並みは一見の価値がある。このような卯建は富の象徴となり、「うだつが上がらない」という言葉も誕生した。
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コースデータ

  • 日 付  :2021年12月4日
  • 街道地図 :太田宿 ~ 鵜沼宿
  • 宿間距離 :2里(7.9Km)
  • 日本橋から:累計100里28町(395.7Km)
  • 万歩計  :17,531歩

※ 街道地図はGPSログを基に、実際に歩いたコースをGoogleMap上に作図

太田宿を出発

前日美濃市を訪れ、その日は美濃太田駅前のホテルに宿泊。 翌朝 中山道に戻って、太田宿から鵜沼宿を目指して出発する。 この日は午前中に鵜沼宿まで歩き、午後は犬山に移動して犬山城の見学である。

先月11月に来た時は、太田宿脇本陣・林家の表門の扉が新しくなっていた。 しかし今回は元に戻ったようである。 修理か何かを行っていたのだろう。

太田宿脇本陣

木曽川の堤防を進む

太田宿の西の桝形を抜け、木曽川の堤防に向かう。 途中にある太田小学校は昔の代官所跡で、代官所の役宅もあった。 明治の文豪 坪内逍遥は、この役宅が生家だそうだ。 現在は校庭生垣に説明書が立っている。

木曽川堤防への上り口には虚空蔵堂がある。 この付近は承久の乱の古戦場で、800年ほど前に後鳥羽上皇方と鎌倉幕府方が戦った地だそうだ。 NHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも紹介されるかもしれない。

虚空蔵堂

途中で国道を歩く箇所も一部もあるが、しばらくは木曽川の堤防を歩く。 のびやかな風景である。

木曾川

左の山の頂上に、ポツンと展望台のようなものが見える。 調べると「猿啄城址」とあった。 「エッ! さるぶた城?」 いえ”さるばみ城”だそうです。

旧中山道

木曽川の河原は、途中からごつごつとした石に変わってきた。 チャートと呼ばれる堆積岩らしく、ブラタモリでタモリが喜びそうな露頭である。

木曽川

岩屋観音堂

勝山交差点で堤防歩きを終え、国道を少し歩くと山裾の断崖が行く手を阻む。 昔はこの山裾辺りまで木曽川が浸食し、この断崖を高巻きするように中山道の道は付けられた。 この断崖を高巻きする道の途中に、岩屋観音堂が祀られている。

岩屋観音堂への上り口付近は、紅葉が真っ盛りであった。

岩屋観音堂

観音堂への道。 この辺りの道は広いが、国道21号を見下ろしながら細い道を進む箇所もある。 皇女和宮もここを通過して江戸に向かったが、やはり輿に乗ったままだったのだろうか?

岩屋観音堂

岩屋観音堂から上を見上げる。 まさに断崖絶壁にへばり付くように建っている。

岩屋観音堂

木曽川と別れ うとう峠へ

観音堂から下り、国道21号とJR高山線に挟まれた公園を進む。 やがてその公園も尽き、しばらく国道を歩く。

国道沿いに屋根も抜け落ち、廃墟と化したドライブインが現れる。 うとう峠への登り口は、これが目印となる。 うとう峠は木曽谷から続く最後の山道で、この峠を越えれば鵜沼宿から加納宿まで続く、広大な平坦地「各務原」を進むことになる。

うとう峠入口

昔の駐車場奥に、下り階段がある。 事前に下調べをしておかないと、見過ごしてしまいそうな場所である。

うとう峠

階段を下ると、小さな沢が国道と高山本線の下のトンネルを流れている。 このトンネルに歩道も付けられ、うとう峠上り口へと進むことができる。 ここで木曽川とはお別れである。

うとう峠

トンネルを抜けると山道へと変わり、うとう峠を目指してうとう坂を上っていく。

うとう峠

峠近くになると石畳が整備されているが、峠頂上の目印もなく緩く下りに転じる。 やがて右手の木々の間から団地が見えると、この峠で盗賊に襲われ命を落とした、小田原宿の喜右衛門の菩提を弔う碑が立つ。

うとう峠

江戸から100里のうとう一里塚を過ぎると、「森の交流館」という立派な施設と団地が現れた。 峠の頂上付近まで住宅開発が進んできている。

森の交流館

住宅街を下って鵜沼宿へ

森の交流館の先で舗装路に合流し、うとう峠からは景色を一変した住宅街の中を、各務原市街を望みながら鵜沼宿に向けて下っていく。 

団地の先に現れた合戸(かっこ) 池。 木々の間に見える住宅街に沿って、中山道は続いている。

合戸池

右手に各務原市街を望みながら、住宅街の道を下る。 この下り坂が、京側から歩く人にとってはうとう峠の上りになるのだろうが、峠越えとは思えない道だろう。

各務原市街

赤坂神社の石塔群などを眺めながら住宅街をどんどんと下ると、街道の正面にお城が見えてきた。犬山城天守閣である。

犬山城

昼食は豪華に「ひつまぶし」

うとう峠から住宅街を下り、赤坂の地蔵堂まで来ると鵜沼宿はもう近い。 しかし午後は別の予定があるので、早めの昼食とすることにした。

赤坂の地蔵堂

中山道はここで直角に曲がって鵜沼宿へと入って行く。 昔はこの近辺に見附があったというが、現在は遺構も何もない。

赤坂の地蔵堂

ここで鵜沼宿へは曲がらずに、近くの国道沿いにあるうなぎ屋で早めの昼食。 ちょっと贅沢にひつまぶしを食す。 関西は腹びらきで蒸さずに直火焼きと云われるが、その違いも判らずにガツガツと一気に完食してしまった。

ひつまぶし

鵜沼宿に入る

中山道 第52宿の鵜沼宿。 宿場中央に大安寺川が流れ、その川を挟んで江戸方が東町、京方を西町と呼んだ。 街道中央には大安寺川から引いた防火用水が流れていたが、明治24年(1981)の濃尾地震で壊滅的な被害を受け、往時の面影は失った。

鵜沼宿東口の道標

「ここは中山道鵜沼宿 これより うとう峠」と刻まれる。 うとう峠から来ると、見落としそうな場所にある。

鵜沼宿道標

大安寺橋と鵜沼宿西町

常夜燈や再建された高札場、尾張藩領界石を見ながら進むと大安寺橋が架かり、この橋を渡ると鵜沼宿西町となる。 ちなみに尾張藩領界石は、もっと西のJR各務原駅近くに立っていたそうだ。

鵜沼宿

大垣城鉄門が残る

大垣城本丸の表門にあった鉄門は、明治9年(1876)に安積家に払い下げられ、その後各務原市に寄贈され、この地に移設されたそうだ。 高麗門に鉄板が貼られ、鉄砲や火矢から守ったのだろう。

鵜沼宿鉄門

鵜沼宿町家館

江戸時代に「絹屋」という屋号で旅籠を営んでいた旧武藤家。 明治24年(1981)の濃尾地震で倒壊したが、その後再建。 平成18年に各務原市に寄贈され、現在は町家館として公開されている。

鵜沼宿町家館 鵜沼宿町家館

菊川酒造

街道沿いに大きな木造建物が並び、鵜沼宿の景観にアクセントを付けている。

菊川酒造

再建された 脇本陣坂井家

坂井家が務めたという脇本陣が再建され、平成22年に公開されている。 貞享2年(1685)と貞享5年(1688)の2度にわたり、松尾芭蕉が坂井家に宿泊して句を詠んだという。 家の前には、その時に詠んだ句碑が立つ。

鵜沼宿脇本陣

旅籠が連なる

寄棟造りの「旅籠丸一屋」、160年前の建物が残る旅籠茗荷屋、明治元年築の梅田家住宅、昭和5年築の「旅籠若竹屋」と、切妻平入の町家が続く。

鵜沼宿

旧旅篭が並ぶ家並を抜けると、鵜沼宿京方の出口となる。 今回の中山道の旅はここで終了。 わずか半日、約8Kmの歩き旅であったが、途中のびのびとした風景を楽しめた木曽川の堤防を歩き、さらにうとう峠を越える小さな山歩きも含め、変化に富む歩き旅であった。

鵜沼宿京方出口で左に街道を外れ、名鉄鵜沼宿駅から犬山に移動。 うとう峠下り坂の途中で遠望した犬山城へ向かった。

 


 

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