旅行日:2021年11月10日
江戸から47宿目、十三峠と琵琶峠に挟まれた小さな山間の宿場「大湫宿」。 東西約350mほどの街道沿いに、 本陣・脇本陣が各1軒、旅籠30軒が連なる小さな宿場であった。 しかし京から江戸に向かう場合、十三峠を控て多くの姫宮がここに宿泊したという。 あの皇女和宮もここに宿泊したというが、3万人余りに膨らみ、通過に3日を要したという大行列を、どのようにして受け入れたのだろう?
この大湫宿のシンボル的存在であった推定樹齢1300年の大杉は、2020年7月の豪雨で倒木。 その後の状況など時たま報道されていたが、実際に倒れた杉の巨大さを目にし、「まさに神宿る巨木、残念・・・」の一言であった。
日 付 | 区 間 | 里程表 | 計画路 | GPS | 万歩計 | |
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2021年 11月10日 |
大井宿~大湫宿 | 3里18町 | 13.7Km | Map | GPS | 32986歩 |
大湫宿~細久手宿 | 1里18町 | 5.9Km | ||||
2021年 11月11日 |
細久手宿~御嵩宿 | 3里 | 11.8Km | Map | GPS | 29,974歩 |
御嵩宿~伏見宿 | 1里 | 3.9Km | ||||
2021年 11月12日 |
伏見宿~太田宿 | 2里 | 7.9Km | Map | GPS | 15,701歩 |
合 計 | 11里 | 43.2km | — | — | 78,661歩 | |
日本橋からの累計 (累計日数 : 31日目) |
98里27町 | 387.8Km | — | — | 683,226歩 |
里程表 : 別冊歴史読本「図説 中山道歴史読本」より。
計画路 : 現代の旧中山道ルート図で、歩く予定のコース。
「GarminConnect」を利用してGoogleMap上に作図。
GPS : GPSログを基に、実際に歩いたコースをGoogle MAP上に作図。
大湫宿に到着
十三峠から最後の下り坂である寺坂を下ると、大湫宿に到着である。 大湫宿入り口では「大湫宿碑」が迎えてくれる。 この石碑の右側の面には「是より東 十三峠」と彫られ、西行坂入口の石碑と対を成しているようだ。
寺坂の途中に宋昌寺がある。 本陣、脇本陣の控え本陣でもあった。
宋昌寺駐車場から、大湫宿の家並みを望む。
尾州藩大湫白木番所跡
寺坂を下り大湫宿に入ると、大湫宿唯一の商店である若竹屋がある。 この日の目的地である細久手宿までの間、琵琶峠を越えるので飲み物を補給しておく。
若竹屋の先が枡形で、街道は左へと曲がっていく。 この枡形を曲がらずに直進し、道なりに進むと尾州藩大湫白木番所跡の説明版がある。 尾州藩川並奉行所として設置され、奉行以下多くの役人が常駐した。 その後白木番所に縮小され、同心級の役人4~5人が詰めて、東濃一帯の山林と木材を管理したという。
大湫宿の宿場風景
桝形に戻り右折して、大湫宿の中心部に入って行く。 大湫は大久手とも書くそうで、「久手」とは湿地帯のことだそうだ。 次の宿場である細久手や、秀吉と家康が戦った小牧・長久手の戦いなど、この近辺には「久手」がつく地名が見受けられる。
大湫宿 本陣跡
立派なコミュニティセンター裏の、旧大湫小学校校庭が本陣跡である。 遺構は何も残っていないが、皇女和宮が胸中を詠んだ歌碑が立つ。
遠ざかる都と知れば旅衣 一夜の宿も立ちうかりけり
思いきや雲井の袂ぬぎかえて うき旅衣袖しぼるとは
コミュニティセンター横の駐車場には、3体の陶製和宮人形が置かれている。 往時の石垣が残るそうだが、この人形が乗っている石垣がそれなのか?
大湫宿内の街道風景
コミュニティセンターの向かい側には、江戸末期の建物という旅篭三浦屋や問屋の丸森など、街道風情を保つ建物が並ぶ。 写真奥の家が三浦屋で国有形文化財、手前の家には菊屋という屋号が掲げられていた。
三浦屋と同時期に建てられた問屋丸森。 現在は観光案内所として、内部を見ることができる。
軒下に「おもだか屋」の看板があり、やはり旅籠だったのだろう。
門田屋の屋号で、大きな虫かご窓を持つ家。 枡形方向を振り返る。
倒れた大杉 実は樹齢670年だった
街道沿いの神明神社。 ここに樹齢1300年と推定されていた大杉があった。 しかし2020年7月の豪雨で倒木。 訪れた時は、ちょうど裁断して搬出する作業が行われていた。
倒れてからこの大杉の年代測定した結果、なんと樹齢は670年ということが判明。 それにしても断面と重機や人物を比べ、その巨木さが良くわかる。
神明神社入口を振り返る。 工事の真っ最中なので神明神社に立ち寄ることは遠慮した。
大湫の広報(令和4年1月号)をネット上で見つけて読んだ。 その中の記事によると、この写真にある大杉の根の部分を、直立させて保存するようだ。 保存部分の総重量は35トン、今年の3月末に完成式典が予定されているとのこと。
宿場出口へ
神明神社を過ぎると、街道は緩くカーブしている。 観光案内所で貰った大湫宿案内図には、このカーブを「弓形」と紹介していた。 「枡形」は多くの所で目にするが、「弓形」とは初めて聞いた。 これも宿場内が一直線に見通せないようにしたものなのだろう。
左の白壁の家は問屋新森・森川家で、これも国有形文化財のようだ。
高札場
大湫宿京方出口に立つ高札場。 平成10年に復元されたもので、10枚の高札が掲げられているが、本物はコミュニティセンターに展示してあるそうだ。
この日は次の細久手宿にある大黒屋に宿をとった。 予約した時、自販機やコンビニなど何もないので、食料・飲料などを用意してくるようにと注意してくれた。
その注意に従って、恵那の街を出発する時、コンビニで昼食用のおにぎりを調達。 朝7時45分に恵那を出発し、十三峠と大湫宿を眺めて13時10分である。 高札場の前で休憩をとり、おにぎりを食べて、次に控える琵琶峠を越えるためにパワーを充電する。
さぁ もうひと頑張り! 次は琵琶峠越えである・・・