のんびり中山道

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美 濃(濃州)

中山道 第49宿 御嵩宿(1) 山地を抜け平野部に降り立つ

碓氷峠から美濃の山間部までは、旧街道の面影を色濃く残すところが多い。また「日本の屋根」とも呼ばれる中央高地の、多くの谷や峠を越えてきた。しかし細久手宿を出て物見峠を越えると、ついに山間部を抜け、濃尾平野の一角へ足を踏み入れることになる。
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中山道 第48宿 細久手宿 尾張徳川家の定本陣に宿泊する

細久手宿には宿場の面影を残す遺構は少ない。しかし大黒屋は、安政6年に再建された建物がそのまま残り、さらに尾張徳川家の定本陣だったという、由緒ある宿である。大井宿から御嵩宿までの間に僅か1軒しかない宿だが、ここに泊まることは貴重な体験となる。
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中山道 琵琶峠 古の旅人の気分が味わえる峠越え

大湫宿と細久手宿の間にある琵琶峠。苔むした石畳や一里塚など、往時の姿を随所に残す峠で、古の旅人の気分を味わいながら歩くことができる。難所といわれていたが、距離も高度差もないので、さほど苦労することなく越えられる。
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中山道 第47宿 大湫宿 倒れた御神木 樹齢は670年だった

十三峠と琵琶峠に挟まれた、山間の小さな宿場・大湫宿。この宿場にある神明神社には、樹齢1300年ち伝わる巨木の杉があった。しかし2020年7月の豪雨で残念ながら倒木。その後の調査で、実際の樹齢は670年だったことが判明した。
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中山道 十三峠(3) 「おまけが七つ」はどこにある?

十三峠は鉄道や幹線道路とも離れ、人家も少ない山道の連続で、コンビニや自販機など目にすることが無い。しかし突然ゴルフ場が現れ、現代に引き戻されることになる。せめて中山道を残す形でコース設計してくれたことに感謝である。
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中山道 十三峠(2) 上って下ってひたすら山道を行く

「十三峠におまけが七つ」と言われるほど、坂が連続する山道を進む十三峠。コンビニはおろか、自販機すらほとんど目にすることの無い道だが、一里塚や多くの石仏が迎えてくれる。賑わいは失ったが、昔のままの中山道がここにある。
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中山道 十三峠(1) 「おまけが七つ」とは多過ぎる・・・

中山道の大井宿と大湫宿間の3里半(約14Km)は、鉄道や幹線道路、更に人里からも離れた十三峠と呼ばれる山間の道を歩く。「十三峠におまけが七つ」と、アップダウンが連続する難所といわれるが、静かな里山歩きが楽しめる快適な道であった。
雑学 中山道

大奥色色 奥女中など59人に手を付けて死罪となった僧侶

江戸城大奥といえば、千数百人から二千人ほどの女性たちが生活する男子禁制の世界。まさに女の園・ユートピアで、想像力や妄想を掻き立ててくれる世界である。大奥の暮らしの一端と、絵島や僧侶の日道といった、大奥を舞台に起きた事件を少し見てみよう。
雑学 中山道

世界一の花嫁行列(4) 江戸時代のプロジェクトマネジメント

京を出発した皇女和宮の花嫁行列。1人の女性のために、2万人を動員しての大行列である。この巨大な行列を滞りなく進めるべく、「ヒト・モノ・カネ・情報・時間」といったリソースを管理し、適切に配分していたPM侍がいたのだろう。
雑学 中山道

残念な武将たち
忠臣蔵 幕府隠密が調べた浅野内匠頭と大石内蔵助の人物像

「忠臣蔵」の主人公・赤穂藩主の浅野内匠頭と家老の大石内蔵助の人物像を、幕府隠密が調べ上げた記録が残されている。この人物像から考えると「忠臣蔵」のような美談だったのか?今風に考えると、完全武装した男たちが一人の老人を痛めつけただけではないのか?
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