のんびり中山道

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雑学 中山道

残念な武将たち
妻子を見捨て 愛人と茶碗を持って逃げた武将 荒木村重

織田信長の重臣として活躍したが、ある時突然信長を裏切る。そのため信長に攻められ、驚くことに愛人と大事な茶碗を抱えて逃げ出してしまったのである。その結果 妻子は勿論、数百人もの召使など婦女子の大虐殺という事態を招いてしまった武将の一生である。
雑学 中山道

残念な武将たち
酒色に溺れ城を乗っ取られた斎藤道三の孫 斎藤龍興

戦国武将の中には、武勇伝や有名な逸話で飾られた武将ばかりではなく、「オッ・・・」と思うようなドジをしでかした武将も多い。 このようなドジを踏んだ武将を少々掘り下げて調べてみた。 まずは「美濃の蝮」と云われた斎藤道三の孫「斎藤龍興」である。
歴史的人物の墓めぐり

番町皿屋敷の女中「お菊」 その死の真相は如何に?

四谷怪談、牡丹灯篭、そして番町皿屋敷は、日本の3大怪談噺として有名である。この中の一つである番町皿屋敷の主人公「お菊」の墓が、東海道線平塚駅の近くにある。厳密にいうと墓ではなく、かつて墓のあった場所に造られた塚で、「お菊塚」と呼ばれている。
歴史的人物の墓めぐり

小松姫 孫の顔を見に来た義父・真田昌幸を追い返した嫁

真田信之(真田幸村の兄)の正室である小松姫。 徳川四天王と呼ばれた本田忠勝の娘で、才色兼備で男勝りとも評され、婿選びや沼田城の守備などで面白いエピソードを残している。草津温泉での病気療養に向かう途中、中山道の鴻巣宿で没した。
木曽十一宿

41宿 三留野宿(2) 十二兼駅から南木曽まで

旅行日:2019年12月13日 野尻宿から三留野宿までの、わずか1宿分、約10kmほどの短い街道旅の後半である。 十二兼の水路トンネルで、猿たちからの思わぬ歓迎を受けたが、十二兼の駅で少し休憩して街道旅の後半戦を続けることにした。 野...
木曽十一宿

41宿 三留野宿(1) 野尻宿から十二兼駅まで

旅行日:2019年12月13日 12月も中旬だが、天気も良く暖かそうなので、2019年最後の中山道歩きに出かけた。 来年4月頃の新緑、できれば桜の季節に妻籠から馬篭を歩こうと思うが、今年中に妻籠の入口である南木曽まで歩を進めてお...
木曽十一宿

中山道 第40宿 野尻宿 木曽義仲四天王の子孫に出会う

野尻宿手前にある大桑一里塚を訪れた時、付近の住民のから驚くべき話を聞くことができた。その方によると、自分は木曽義仲の四天王と言われた今井兼平の子孫で、一里塚は自分の土地内にあるとのこと。さらに調べると、巴御前は、この今井兼平の妹だそうだ。
木曽十一宿

中山道 第39宿 須原宿 (2) 買えなかった「桜の花漬」

須原宿は随所に水舟が置かれ水の豊かさ示すと同時に、街道に彩りを添えている。名物といわれる大和屋の「桜の花漬」は、今年は販売終了とのことで残念ながら買えなかった。宿場の外れには名刹「定勝寺」もあり、静かな宿場風景を持つ須原宿であった。
木曽十一宿

中山道 第39宿 須原宿 (1) 発見!「浦島太郎の釣竿」

上松宿を出発し、名物「寿命蕎麦」で知られる「越前屋」で昼食。さらに「寝覚ノ床」に足を伸ばす。寝覚ノ床入口の臨川寺の宝物館を訪れると、なんと「浦島太郎の釣り竿」なるものが展示されていた。しかし「玉手箱」は、残念ながら無かった。
木曽十一宿

中山道 第38宿 上松宿 中山道の三大難所「木曽の桟」

上松宿へ向かう途中、「中山道の三大難所」の一つといわれる「木曽の桟(かけはし)」を通過する。往時は道も作れない絶壁に架けられた桟道を歩いたという。しかし現在は案内版がなければ気付かないほどの道で、拍子抜けする観光スポットであった。
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