旅行日:2021年12月3日
東京の日本橋から中山道をコツコツと歩く旅を続け、11月に51番目の宿場である太田宿まで歩を進めた。 この太田宿は現在の岐阜県美濃加茂市にあり、そこから長良川鉄道を利用して美濃市へ寄道をすることにした。
美濃市は1300年の伝統を持つという、美濃和紙で栄えた商人の街である。 また小倉山城の城下町として、2本の大通りを中心とした目の字型の町筋が現在も残る。 その大通り沿いに「うだつ(卯建)」を持つ家が並び、見事な町並みを見せている。 美濃和紙は2014年に、ユネスコの無形文化遺産に登録され、また「うだつのあがる町並み」は、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。
長良川鉄道で美濃市へ
長良川鉄道の始発駅である美濃太田から、乗車券以外に510円の料金を払って「ながら」という観光列車で美濃市へ向かう。 2両連結の列車の1両はお弁当付きの観光ツアーで、私が乗った車両は弁当なしである。
観光列車だけあって、車内は豪華な内装である。 そして女性のアテンダントが同乗し、煩わしいぐらいに沿線ガイドをしゃべり続けていた。
美濃市駅に到着。 木造駅舎に丸型ポスト、電話ボックスと、目にすることが少なくなったアイテムが並ぶ、ローカル色豊かな駅舎である。
旧名鉄美濃駅舎
旧名鉄美濃町線の美濃駅舎と、当時走っていた電車が保存されている。 美濃町線は平成11年に廃線となるまで、美濃と刃物の街である関を結んでいた。
当時走っていた3両の路面電車が展示されている。 なかでも目を引いたのは、丸くカーブを描く正面と丸形窓を持つ車両である。 美濃町線の前身である、美濃電気軌道が大正15年に製造した車両だそうだ。
うだつの上がる町並み
関ケ原の戦いで東軍に付いた金森長近は、戦後に「上有知(こうづち)」と呼ばれた美濃の地を与えられ小倉山城を築いた。 そして一番町通りと二番町通りと呼ばれる2筋の大通りと、それを4本の横道で繋ぐ目の字型の城下町を整備した。 これが現在の「うだつの上がる町並み」の原型である。
この「うだつの上がる町並み」に入ると、見事なまでのうだつが建ち並ぶ。 それも格式と重厚感のある本うだつである。
山田家住宅
江戸時代に建てられた町医者の建物。 現在は街並みギャラリーとして公開されている。 中を見学すると、2階天井に突き抜ける明り取りが見事であった。
小坂家住宅
江戸時代から続く酒屋で、安永元年(1772年)の頃に建てられたと推定されている。 緩やかにカーブを描くうだつが美しい。 うだつは3本あったそうだが、中央のうだつは撤去され、屋根の頂上部に少し残るのみである。
今井家住宅
美濃市で最も古いうだつが上がる、庄屋兼和紙問屋であった町家である。 江戸中期に建てられ、明治初期に増築された、市内最大の商家だそうだ。 天井から空に向けて、山田家住宅と同じような明り取りがある。
うだつの競演
美濃では上質の楮(こうぞ)が多く採れ、長良川の清流で漉いた美濃和紙の生産と販売で大いに栄えた。 そして防火対策の一環として「うだつ」を上げたが、次第に装飾としての意味合いが強くなり、富の象徴として豪華さを競うようになったという。 「うだつを上げる」とか「うだつの上がらない・・・」といった言葉の元である。
装飾性の高いうだつ
「うだつ(卯建)」には、切妻屋根の両端の壁を、屋根より高く上げて小屋根を載せた「本うだつ」と、2階より低い位置に袖壁を作って小屋根を載せた「袖うだつ」がある。
下の写真は本うだつの軒先にある「うだつ飾り」だが、上に飛び出ている部分を「とりぶすま」、その下が「鬼瓦」、左右に広がる部分が「破風瓦」、その下の飾りを「懸魚(けぎょ)」というそうである。
うだつだけではなく、煙出しの小屋根も乗せている。
屋根神様を祀る
うだつを眺めながら歩くと、屋根上に小さな社を載せる家が多いことに気づいた。 屋根神様である。 疫病から身を護るための「津島神社」や、火伏の神である「秋葉神社」を祀るそうだ。
お祭りの時に扉が開かれ、しめ縄や榊、お神酒、お供えなどで飾られるそうだ。 地域の人々に、今でも大切にされている伝統と文化が感じられる。
街角点描
うだつばかりを見上げずに目線を下におろしてみる。 そこにも古い街並みの、情緒あふれるものを見ることができる。
昔の消防ポンプには、草木がお洒落に活けられている。
馬つなぎ石が残る。 馬が本気出したら引きずってしまいそうであるが、1馬力では無理か?
上有知湊(川湊灯台)
長良川畔に築かれた上有知湊(こうずちみなと)に立つ灯台を見にいく。
川湊灯台
上有知湊は小倉山城を築いた金森長近により開かれ、明治末まで舟運による物流・交通の中心として繁盛した。 現在は高さ9メートルの川湊灯台と舟着場への石段が、当時の姿を留めている。
美濃橋
上有知湊から長良川上流を眺めると、赤い「美濃橋」を見ることができる。 美濃橋は大正5年に完成した、日本最古の近代吊り橋である。
国指定重要文化財の美濃橋は、対岸に住む小学生の通学路になっているようだ。 大人になってこの地を離れた場合、美しい故郷を自慢に、そして懐かしく思うことだろう。
中山道を歩いて旅しているが、本うだつを持つ家は時たま現れ、中津川宿では多少まとまって見ることができた。 しかし美濃市には18軒ものうだつを上げた家が残るそうで、立派な本うだつが並ぶ家並は初めてである。 見事としか言いようのない豪華な景観で、もう一度お祭り時期にでも訪れてみたい町であった。
更に足を伸ばして郡上八幡を訪れたかったが、時間の関係で諦めた。 美濃太田への帰りの長良川鉄道は、来た時と同じような観光用の特別車両で運行され、豪華な内装の車内には、下校する高校生たちで満ち溢れていた。