旧街道

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武蔵(武州)

第4宿 保土ヶ谷宿 賑やかな下町商店街と化した宿場町

神奈川宿(横浜)を出発して、保土ヶ谷宿、戸塚宿を目指す日帰り旅。 昔の人は1日40キロを歩き、日本橋を出発して戸塚宿まで足を延ばした。そのため手前の保土谷宿に泊まるのは、足弱の人と言われたという。超軟弱な私は、すでに日本橋から3日目である・・・
武蔵(武州)

第3宿 神奈川宿 横浜で働いた坂本龍馬の妻「おりょう」

幕末から明治初期の頃の史跡が数多く残る横浜に、幕末の志士・坂本龍馬の妻「おりょう」が仲居として働いていた割烹料亭が、今でも営業を続けていた。 また浦島伝説の残る地もあり、浦島太郎が竜宮城から持ち帰ったという、驚くべきものが残されていた。
武蔵(武州)

第2宿 川崎宿 川崎の風俗の歴史を学ぶ

品川宿から川崎宿への途中に鈴ヶ森刑場跡があり、磔刑や火炙りの刑がどのように行われたのかを調べた。身震いするような方法であったが、それ以上に興味を引いたのは、川崎の風俗の歴史であった。 川崎といえば堀之内・・・だけではなかった!
武蔵(武州)

第1宿 品川宿(2) ビルの谷間に残る昭和の風景

JR品川駅を過ぎ、八ツ山橋を越えると品川宿である。 往時は多数の飯盛女で賑わい、戦後も赤線?として残ったそうだ。今は宿場風景が残るとは期待していなかったが、Deepな雰囲気や怪しげな場所を期待して歩いてみた。
武蔵(武州)

1宿 品川宿(1) 散歩気分で東海道

戦国武将・福島正則の供養塔が品川区の三田にあることを知り、どうせ訪れるなら日本橋から歩いてみようと、衝動的に東海道を歩き始めた。殆どは訪れたことのある場所だが、まずは日本橋からJR品川駅までの東京見物である。
木曽十一宿

41宿 三留野宿(2) 十二兼駅から南木曽まで

旅行日:2019年12月13日 野尻宿から三留野宿までの、わずか1宿分、約10kmほどの短い街道旅の後半である。 十二兼の水路トンネルで、猿たちからの思わぬ歓迎を受けたが、十二兼の駅で少し休憩して街道旅の後半戦を続けることにした。 野...
木曽十一宿

41宿 三留野宿(1) 野尻宿から十二兼駅まで

旅行日:2019年12月13日 12月も中旬だが、天気も良く暖かそうなので、2019年最後の中山道歩きに出かけた。 来年4月頃の新緑、できれば桜の季節に妻籠から馬篭を歩こうと思うが、今年中に妻籠の入口である南木曽まで歩を進めてお...
木曽十一宿

中山道 第40宿 野尻宿 木曽義仲四天王の子孫に出会う

野尻宿手前にある大桑一里塚を訪れた時、付近の住民のから驚くべき話を聞くことができた。その方によると、自分は木曽義仲の四天王と言われた今井兼平の子孫で、一里塚は自分の土地内にあるとのこと。さらに調べると、巴御前は、この今井兼平の妹だそうだ。
木曽十一宿

中山道 第39宿 須原宿 (2) 買えなかった「桜の花漬」

須原宿は随所に水舟が置かれ水の豊かさ示すと同時に、街道に彩りを添えている。名物といわれる大和屋の「桜の花漬」は、今年は販売終了とのことで残念ながら買えなかった。宿場の外れには名刹「定勝寺」もあり、静かな宿場風景を持つ須原宿であった。
木曽十一宿

中山道 第39宿 須原宿 (1) 発見!「浦島太郎の釣竿」

上松宿を出発し、名物「寿命蕎麦」で知られる「越前屋」で昼食。さらに「寝覚ノ床」に足を伸ばす。寝覚ノ床入口の臨川寺の宝物館を訪れると、なんと「浦島太郎の釣り竿」なるものが展示されていた。しかし「玉手箱」は、残念ながら無かった。
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