旅行日:2019年12月13日
12月も中旬だが、天気も良く暖かそうなので、2019年最後の中山道歩きに出かけた。
来年4月頃の新緑、できれば桜の季節に妻籠から馬篭を歩こうと思うが、今年中に妻籠の入口である南木曽まで歩を進めておくためである。
野尻宿からの僅か10Kmほどであるが、塩尻からの電車の本数が少ないため日帰りで行くのは困難である。 そこで松本に前泊し、翌日のんびり街道旅を楽しむことにした。
日 付 | 区 間 | 里程表 | 計画路 | GPS | 万歩計 | |
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2019年 12月13日 |
野尻宿~三留野宿 | 2里21町 | 10.1Km | Map | GPS | 21,285歩 |
合 計 | 2里21町 | 10.1km | — | — | 21,285歩 | |
日本橋からの累計 (累計日数 : 26日目) |
79里24町 | 312.9Km | — | — | 548,517歩 |
里程表 : 別冊歴史読本「図説 中山道歴史読本」より。
計画路 : 現代の旧中山道ルート図で、歩く予定のコース。
「GarminConnect」を利用してGoogleMap上に作図。
GPS : GPSログを基に、実際に歩いたコースをGoogle MAP上に作図。
野尻宿を再訪
前泊するなら、大糸線で雪の北アルプスの山々を眺めに行き、そして松本に宿泊することにした。 しかし山は雲に覆われ、残念ながら全く見ることはできなかった。
翌朝は青空が広がり、中央アルプスを眺めながら野尻駅へ向かう。
野尻駅
9時43分 野尻駅に降り立つ。 すでに12月中旬だが、中央アルプスの山々の雪は少ないように思えた。
駅前で朝市のようなものが開かれていたので、地元の人に山の名を聞いてみた。 2~3人集まってきたが、「木曽駒」以外の山の名は知らないそうだ。
妙覚寺の「マリア観音」
前回野尻宿を訪れた時、妙覚寺に寄ることを忘れた。 そこで今回の最初の訪問地は、妙覚寺の「マリア観音」とした。
駅から少し街道を戻り、常夜灯の立つ路地を入り、地下道で国道をくぐると妙覚寺である。
野仏のような素朴なたたずまいだが、屋根があるのは人の優しさを感じる。
右手に錫杖、左手に十字架を高く掲げている。 そして十字架と合掌する手の組み合わせは印象的である。
野尻宿の街並み
左右に緩くカーブする街道沿いに建つ家々には、宿場町の風情が色濃い。
牛小屋がある旧街道へ
下在郷一里塚跡の先で街道は右に折れ、細い道を辿って小さな集落の中を進む。 ネット上の中山道旅行記を見ると、途中で牛小屋の前を通るという。 乳牛を飼う牛舎とも違う、農家の牛小屋とはどのようなものか興味を持った。
下在郷一里塚跡碑
日本橋から77里、京へ60里の一里塚跡碑が立つ。
牛小屋のある道へ
下在郷一里塚跡碑の先にある小さな橋を渡り、右に曲がって川沿いを下る。
やがて前方にアーチを持つ2つの橋が見えてきた。 阿寺渓谷からの阿寺川と木曽川の合流点である。
集落の途中で、玄関先に「忌中」の張り紙と提灯を掲げる家があった。
子供の頃に、玄関先にすだれを掛けて忌中と書かれた張り紙を良く見たが、最近は見たことがない。 失礼とは思いながらも、珍しさの余り写真を撮らせてもらった。
これが牛小屋と思える。 牛は既にいないようだが、農耕用の牛だろうか?
牧場とかの牛舎は見たことはあるが、このように飼われている牛は見た覚えがないので残念である。
しらなみ坂に挑戦
中央線の線路沿いに進むと、左の山中を越える「しらなみ坂」があったという。 現在は通行不能というが、しっかりとした草道が付いていたので分け入ってみた。
なお 木曽観光連盟発行の「信州木曽路 中山道を歩く」という小冊子では、この「しらなみ坂」を「勝井坂」と記している。
しらなみ坂への分岐
中山道13号踏切手前で、舗装路から左に分岐するしらなみ坂と思える草道。 しっかりとした道なので、行けるところまで行こうと入ってみる。
小さな沢を越えると、踏み跡は僅かとなる。 しかし赤いビニールテープの目印が付けられているので、その目印を探しながら更に進んでみる。
左上の斜面に小さく赤い目印があり、そこに向かってかすかに踏み跡があることが判る。
途中で苔生した石垣が現れた。 茶屋か何かの跡なのか?
しかし踏み跡も目印の赤いテープもなくなり、ここでギブアップ。 引き返すより国道に出た方が近そうなので、草薮かき分けて国道に出る。 国道を少し進みガードレールの切れ目から階段を下ると、14号中山道踏切の先の旧道に戻ることができた。
十二兼の駅に向かう
旧道に戻り、八人石の集落を越えると国道に合流する。 この八人石の集落で、大桑村から南木曽町に入る。
田口マーク
GoogleMapを見ると、国道との合流点に「田口マーク」と書かれてる。
調べると、西濃運輸創始者である田口利八の生家がある場所で、このマークはハンドルをデザインした社章だそうだ。
立場だったという十二兼の集落に入ると駅は近い。
国道とJRの線路を越えて反対側に出るため、水路トンネルを利用する。 水路トンネルの入口は、建設現場の仮設の足場のようである。
トンネル内の通路には網目状の鉄板が敷かれ、足下を流れる水が良く見える。
水路トンネルの出口で、急にガサガサと大きな音がして、頭上を黒い影が飛び越えて行き、思わず首をすくめてしまった。 十数匹の猿の群れである。 すぐに藪に逃げ込むこともせず、しばし私の前を先導するように歩いていく。
十二兼の駅に着くころには、猿たちも藪の中に姿を消したが、木曽路に入って猿との遭遇は4度目である。 まぁ熊とか猪よりは良い・・・
野尻と南木曽の間にある十二兼の駅で少し休憩し、この日の後半戦へと足を進めた。