旧街道

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美 濃(濃州)

第44宿 落合宿 美濃路の東の玄関口に到着

馬籠宿で1泊した翌日、快晴の中を美濃路に向けて歩を進める。馬籠宿から新茶屋までは緩く下るが、落合の石畳から落合川に向けて一気に山を下る。そして落合川に架かる下桁橋を渡ると、長かった木曽谷から美濃の平地へと抜け出し、落合宿に到着である。
木曽十一宿

第43宿 馬籠宿 街道の先に美濃路が広がる

いよいよ木曽路最後の馬籠宿に入る。斜面に立つ馬籠宿は、見上げると空は広く、さらに遠く中津川市街を見下ろす景観の良さから、山深い木曽谷を抜けたことが実感できる。夕暮れが迫る時間に到着したので、観光客は姿を消した静かな宿場風景を楽しめた。
木曽十一宿

馬籠峠 峠を越えて木曽路最後の宿場 馬籠宿へ

妻籠宿を越え、いよいよ木曽路十一宿最後の宿場である馬籠宿を目指す。妻籠宿と馬籠宿の間には、標高790mの馬籠峠があるが、道は良く整備されたハイキングコースである。木曽檜などが育つ美しい森の中を、気持ちよく歩けるコースである。
木曽十一宿

42宿 妻籠宿(2) 必見!光のシャワーが降り注ぐ脇本陣奥谷

中山道の代表的観光地である妻籠宿。新型コロナウィルスの関係で観光客は少なく、静かな宿場風景を堪能することができた。とくに脇本陣奥谷では、晩秋から春先までの季節にしか現れないという、格子窓から降りそそぐ見事な光のシャワーを見ることができた。
木曽十一宿

42宿 妻籠宿(1) 1年ぶりの中山道 三留野~妻籠城址

新型コロナウィルスの感染拡大で、春の中山道を歩くことができなかった。しばらく自粛を続けていたが、秋の紅葉を楽しもうと1年ぶりの中山道歩きの再開である。木曽路から外人観光客の姿は消え、日本人観光客も少なく、静かな木曽路を楽しむことができた。
相模(相州)

第9宿 小田原宿 多くの石仏が街道沿いに残る

大磯宿を出発し小田原までの街道旅で、国府津付近では碧く広がる相模湾を眺めることもできる。国道1号沿いには意外と石仏が多く、道路拡幅で集められたと思う多数の石仏が置かれた所も数か所見られた。さすがに江戸時代のメイン街道である。
相模(相州)

第8宿 大磯宿 いきなり「番町皿屋敷」で始まった

JR平塚駅から大磯宿を経て小田原宿を目指す。最初に現れたのは、あの「番町皿屋敷」でお皿を数え続ける女中・お菊の塚であった。そして歩を進めて大磯宿に入ると、次は「虎御前」という凄い名を持つ女性。大磯宿への道は、女性にまつわる話が多かった。
相模(相州)

第7宿 平塚宿 「源頼朝」の死を招いた落馬事故

平塚宿手前では、関東大震災で姿を現した、鎌倉時代に架橋された旧相模川橋脚を見ることができる。この橋の開通祝いに、征夷大将軍である「源頼朝」も出席した。しかしその帰り道、頼朝は馬から転げ落ち、それが原因で亡くなったそうである。
相模(相州)

第6宿 藤沢宿 源義経や小栗判官の伝説が残る

「湘南」というお洒落なイメージのある藤沢には義経伝説が多く残り、「義経の首洗い井戸」や「首塚」、「弁慶塚」などが残されている。 また昔何かで読んだような記憶のある「小栗判官照手姫」にまつわる伝説も残る。 さすがに旧街道沿いの宿場である。
相模(相州)

第5宿 戸塚宿 激坂「権太坂」を越えて相模国へ

江戸を出発した旅人は、その日は戸塚まで歩いて宿泊したそうだ。 しかし戸塚の手前にある「権太坂」は、行き倒れも発生するほどの難所だったと言われている。 この旧東海道に残る権太坂を越え、武蔵国から相模国へと歩いてみた。
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