1宿 品川宿(1) 散歩気分で東海道

日本橋

旅行日:2020年1月10日

戦国武将・福島正則の供養塔が、品川区の三田にあることを知り、訪れてみようと場所を調べ始めた。

調べているうちに、「せっかく品川に行くなら、日本橋から東海道を歩いてみよう!」と思いつき、殆ど衝動的に歩き始めてしまった。

日本橋から銀座・新橋を経て品川に至る道筋や、沿道のスポットの大半は目にしているが、散歩気分・東京見物のつもりで、東海道への第一歩を踏み出した。

日 付 区 間 里程表 計画路 GPS 万歩計
2020年
1月10日
日本橋~品川宿 2里 7.9Km Map GPS 23,789歩
合 計 2里 7.9Km 23,789歩
日本橋からの累計
(累計日数 : 1日目)
2里 7.9Km 23,789歩

里程表 : 「旅行用心集」(1810年刊行)の数値を採用。
計画路 : 現代の旧東海道ルート図で、歩く予定のコース。

「GarminConnect」を利用してGoogleMap上に作図。

GPS  : GPSログを基に、実際に歩いたコースをGoogle MAP上に作図。


【 スポンサーリンク 】

日本橋を出発

日本橋を訪れることは良くあるが、街道旅の出発を目的として日本橋に立つのは3回目。 今回も麒麟像が出発する背中を見送ってくれた。

日本橋

これから進む中央通りの銀座方面を望む。

中央通り

中央通りを進む

日本橋を出発して中央通りを進む。 銀座を代表とする、現代の商業の中心である。

京橋の親柱

大正11年(1922)に設置された、照明設備つき親柱1基が残る。 この近くでは、他の京橋親柱や「歌舞伎発祥の地」碑なども見ることができる。

京橋親柱

銀座 スーパーブランドが立ち並ぶ

銀座の中心部に近づくと、スーパーブランドのショップが立ち並ぶ。 ブルガリタワーの壁面には、セルペンティを象ったイルミネーションが壁面を飾る。

ブルガリ

夜になると、ひときわ華やかに際立っている。

ブルガリ

新橋の親柱

汐留川に架かっていた新橋の親柱。 江戸城築城時に、日比谷入江の埋め立てにより出来た汐留川だが、昭和36年に埋め立てられた。

新橋親柱

旧新橋停車場

明治5年(1872)、日本初の鉄道が新橋~横浜間に開通。 その時の新橋停車場が、汐留の高層ビル群に囲まれて復元されている。

プラットホームや線路、0哩(マイル)標も当時と同じ位置に復元されている。

旧新橋停車場

芝・増上寺へ寄り道

年が明けたばかりなので、初詣と東海道の旅の無事を祈ることを兼ね、街道から外れて芝の増上寺へ寄り道する。

御成門

徳川家菩提寺である増上寺の裏門だったが、将軍が参詣する際によく用いられたので「御成門」と呼ばれるようになった。 当初は現在の御成門交差点にあったという。

御成門

築地塀

日比谷通り沿いには、増上寺の築地塀が続く。

増上寺

三解脱門(三門)

増上寺で唯一江戸時代初期の面影を残す建築物だそうだ。 川瀬巴水の「芝増上寺」という版画では、雪景色で描かれている。

増上寺

境内に入ると、青空に東京タワーが美しく聳え立つ。 子供の頃から見ているせいか、スカイツリーよりも東京タワーのほうが好きである。

増上寺

2代将軍・秀忠と皇女和宮の墓所

増上寺に祀られる徳川家墓所も訪れてみた。 以前にも訪れたことはあるが、その頃は歴史に興味を持っていなかったが、今回は多少なり興味を持て見ることができた。

2代将軍・秀忠と、その正室・お江の墓所である。 秀忠の霊廟は戦災で焼失したため、お江の墓所に合祀したようだ。 昨年3月に、お江の母である「お市の方」の墓所も訪れている。

徳川秀忠墓所

皇女和宮の墓所。 すぐ隣には夫であった14代将軍・家茂の墓所がある。

皇女和宮墓所

皇女和宮に関しては、以前に降嫁前後の様々なエピソードを調べていたので、改めて興味をもって見ることができた。

世界一の花嫁行列 皇女和宮の江戸降嫁 その1
文久元年(1861)10月20日、沿道で行列をすべて見送るには丸四日を要したといわれる、超巨大な大行列が京都から江戸に向けて旅立った。行列の中心人物は「和宮親子(ちかこ)内親王」。 徳川14代将軍家茂(いえもち)に嫁ぐための花嫁行列で...

芝大門と芝大明神

増上寺から街道に戻る途中で、芝大明神へさらに寄り道をしてみた。

芝大門

増上寺の総門(外囲いに構える正面の大門)が、街中に残されている。

芝大門

芝大明神

昔から「関東のお伊勢様」と云われて人気があったが、最近は縁結びの神として女性に大人気のパワースポット。

芝大神宮

文化2年(1805)、境内で相撲の力士達と火消しの「め組」の間で大喧嘩が発生し、歌舞伎の演目にもなっている。 狛犬の台座には、その「め組」の名が残る。

芝大神宮

幽霊坂と戦国武将・福島正則の供養塔

街道 といっても騒々しい国道を進み、江戸時代の初めに高札場があった「札の辻」を通過する。 その先で今回の東海道歩きのきっかけとなった戦国武将・福島正則の供養塔を探しに、再度寄り道をすることにした。

亀塚公園への急登

三田の台地への険しい崖に付けられた階段を上ると亀塚公園である。

亀塚公園

趣のある土塀に囲まれた亀塚公園前の道は、古東海道だったようだ。 公園の説明版には「古奥州街道にあたり、江戸開府前の主要道路だった」と説明されていた。

東海道古道

幽霊坂

角筈や菊坂、駕籠町など、東京の昔ながらの町名は、住居表示の変更で味もそっけもない町名に変わってしまった。 しかし都内に多くある坂には昔からの名が残る。

坂の両側に寺院が並び、もの寂しい坂なので「幽霊坂」の名が付いたそうで、都内には7カ所もこの名の坂があるという。

幽霊坂

戦国武将・福島正則の供養塔

幽霊坂の途中にある正覚寺に、2つの五輪塔が立つ。 案内板も何もないが、GoogleMap上には「福島正則供養塔、正利墓」とある。 調べると、正利は正則の息子であった。

福島正則供養塔

化粧延命地蔵尊

幽霊坂をさらに下った玉鳳寺に、化粧延命地蔵尊が祀られている。 自分の病気のある所と同じ部分に白粉を塗り、祈願すると病気平癒するそうである。

化粧地蔵尊

高輪大木戸跡と山手線新駅

街道に戻り、先に進むと高輪大木戸跡の石垣が現れる。 東海道から江戸への入口で、明け六つに開かれ、暮れ六つには木戸は閉じられた。 つまり夜明けから陽が沈むまでの間開いていたようだ。

高輪大木戸跡

高輪ゲートウェイ駅

近くでは山手線の新駅である「高輪ゲートウェイ」駅が、3月開業に向けて工事が進んでいる。

高輪ゲートウェイ

忠臣蔵の聖地へ

「忠臣蔵」であまりに有名な赤穂浪士。 その四十七士が眠る泉岳寺は、まさに忠臣蔵の聖地。 東海道を歩いて、ここに寄らずに通過する訳にはいかない。

泉岳寺

浅野内匠頭と赤穂浪士が祀られ、現在も多くの参拝客が訪れる。 毎年4月と12月には義士祭が開かれる。

泉岳寺

首洗いの井戸

討ち入りで本懐を果たし、吉良上野介の首級をこの井戸で洗い、主君の墓前に供えたという。 両国の吉良邸跡にも首洗いの井戸が残る。

首洗い井戸

赤穂浪士の墓

墓碑に彫られた名を見ながら、四十七士の生きざまに思いを馳せる。

赤穂浪士の墓

当時の切腹は既に形式化され、腹を切ることなく、大半が介錯人によるものだった。

しかし「間喜兵衛光延」という武士は実際に腹を切り、介錯人が慌てて止めを刺したそうだ。 テレビや映画などの忠臣蔵では、あまり聞かない名前だが、「武士の心意気」を最後まで持った人物と云える。

品川宿へ

泉岳寺を後にして、いよいよ品川宿に向けて歩を進める。

江戸時代の海岸跡が残る

品川駅に向かう途中に、江戸時代の高輪海岸跡の石垣が残されている。 現在の東京湾は、1Km以上先である。

高輪海岸石垣

日本橋を出発して品川に至るまでの間は、街道歩きというより東京見物の感が強いが、改めてしっかりと見ることができたような気がする。

品川駅前を通過して八ツ山橋を渡ると品川宿に入るが、続きは後日・・・


タイトルとURLをコピーしました