旅行日:2020年11月4日
妻籠宿を出て、木曽十一宿最後の宿場である馬籠宿を目指す。 しかし妻籠宿と馬籠宿の間には、標高790mの馬籠峠がある。
馬籠峠は、かつて長野県内の峠だったが、山口村が中津川市と合併したことにより、県境の峠になったそうだ。 したがって馬籠峠の上で県境を越え、長野から岐阜へと入ることになる。
日 付 | 区 間 | 里程表 | 計画路 | GPS | 万歩計 | |
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2020年 11月4日 |
三留野宿~妻籠宿 | 1里15町 | 5.6Km | Map | GPS | 22,419歩 |
妻籠宿~馬籠宿 | 2里 | 7.9Km | ||||
2020年 11月5日 |
妻籠宿~落合宿 | 1里5町 | 4.5Km | Map | GPS | 33,629歩 |
落合宿~中津川宿 | 1里 | 3.9Km | ||||
中津川宿~大井宿 | 2里18町 | 9.8Km | ||||
合 計 | 2里21町 | 31.7km | — | — | 56,048歩 | |
日本橋からの累計 (累計日数 : 28日目) |
87里27町 | 344.6Km | — | — | 604,565歩 |
里程表 : 別冊歴史読本「図説 中山道歴史読本」より。
計画路 : 現代の旧中山道ルート図で、歩く予定のコース。
「GarminConnect」を利用してGoogleMap上に作図。
GPS : GPSログを基に、実際に歩いたコースをGoogle MAP上に作図。
妻籠宿を出発
妻籠宿南側入り口で、国道256号にぶつかると妻籠宿とお別れである。 駐車場脇の旧道に入り、いざ馬籠宿へ・・・
明るい日差しを浴びる木々の下を抜けて進む。
神明坂を上がると数軒の民家が現れる。 神明茶屋と書かれた看板が掛っていたので、昔は茶屋を営んでいたようである。
小さな神明集落を抜け、坂道を下ると鋪装された道に出る。 Google Mapをみると、「初恋街道」と名が付いていた。 「まだあげ初めし前髪の・・・」 島崎藤村にちなんで名づけられたか?
大妻籠
「大妻籠」と書かれた看板が立つ。 大妻籠は間の宿で、出梁造り・本卯建を上げた旅籠(旅館)が軒を連ねている。
遅めの昼食をとる。 蕎麦と五平餅のセットを頼んだが、五平餅はおにぎり2個分近いボリュームがあり、満腹感120%! 食いすぎだ~ぁ!
妻籠や馬籠は観光地として変貌してしまった。 しかし大妻籠は、規模は小さいが素朴で味わい深い宿場の雰囲気を残していた。
大妻籠から街道を外れ、右への道を上ると藤原家住宅がある。 17世紀後半に建てられた、長野県最古の家だという。 訪れたかったが、この時期は日が暮れるのが早い。 薄暗くなった山道を一人歩くのは心細いので、時間節約のため諦めた。
いよいよ馬籠峠へ
食べ過ぎで少々苦しい腹を抱え、いよいよ馬籠峠に取り掛かる。 しかし標高差はさほどなく、道も整備されているので、山道というよりハイキングコースである。
馬籠峠上り口近くの民宿「こおしんづか」の軒下に目をやると、 駕籠がぶら下がっていた。 東海道の箱根越えと同じように、馬籠峠を 駕籠で越えるサービスがあったのだろうか?
民宿「こおしんづか」の先が馬籠峠入口である。 森の中に続く石畳を上っていく。
街道脇に少し怖い顔をした牛頭観音が立つ。 石ころの多い山道を、重い荷物を運んだ黒牛を供養するためだそうだ。 角のある牛の頭のようなものを、頭に乗せている。
石畳が途切れ、下り谷の集落にある「倉科祖霊社」を見て先に進む。 さすがに木曽だけあって、とにかく木々が美しい。
男滝・女滝
倉科祖霊社の先で、街道は2つに分岐している。 右に坂を下ると「男滝・女滝」で、左の道は比較的平坦で滝上を通る道である。 説明板によると「幕末頃までの中山道は滝の下を通っていたものと思われる」とある。
中山道は何度か付け替えられているので、どちらの道も中山道なのだろう。 とりあえず滝を見に、右へ坂道を下ってみた。
左が男滝、右が女滝で、思っていたより水量があった。 吉川英治の小説『宮本武蔵』の中で、武蔵とお通のロマンスの舞台となったそうである。
滝を見た後に坂を上り返して分岐まで戻り、滝上を通る道を進む。 男埵(おだる)の森と呼ばれる国有林の中を進むと、木曽五木のいづれかであろう木々の間から光が差し込んでいた。
一石栃白木改番所と立場茶屋
尾張藩の重要な財源であった木曽の森林資源。 木曽から搬出される木材の取り締まりのために番所が置かれ、小枝一本に至るまで調べが厳重だった。
一石栃の立場茶屋跡。 江戸中期の建物で、現在も無料休憩所として使われている。 茶屋の前には立派な枝垂桜があり、桜の時期にもう一度訪れてみたい。
中に入ると管理人さんがお茶を入れてくれ、いろいろと話を伺うことができた。
途中でキンコンカンと15時を知らせる防災無線のチャイムが聞こえ、管理人さんが「この曲を知ってるか?」と聞いてきた。 耳を澄ませてメロディーを追ったが、全く聞き覚えがない。 すると「これは長野県歌で、長野県民なら誰でも歌える」とのこと。 全く知らなかったが、長野出身者に聞いてみよう・・・
15時半頃に茶屋を出発。 この季節は15時を過ぎると山の中は薄暗く寂しい山道となる。 早く開けたところに出たいと思いながら馬籠峠頂上を目指す。
峠を越えて馬籠宿へ
馬籠峠に到着すると、「峠の茶屋」が出迎えてくれる。 森を抜けて頭上が開け、明るくなってホッとして休憩をと思ったが、一石栃の茶屋で休んだばかりなので先に進むことにした。
県道の擁壁に、長野と岐阜の県境を示すプレートが貼ってある。 ここで長野から岐阜の中津川市へと足を踏み入れる。
往時は馬籠宿の先にある新茶屋までが信濃領だったが、平成17年に長野県の山口村が岐阜の中津川市と合併したために、県境が移動したそうだ。
江戸時代までは、荷物を運ぶ牛方を家業としていた人々が暮らしていたという峠集落に入る。 集落内の今井家住宅の前に石柱が立ち、牛繋ぎ石として使われていたそうだ。
大根の葉? 干して漬け物にするのだろうか?
集落の外れには、十返舎一九の碑が立つ。 「続膝栗毛」執筆の折りに中山道を旅し、ここにあった茶屋で栗おこわを食したそうだ。
「渋皮の むけし女は見えねども 栗のこわめし ここの名物」
いよいよ馬籠宿に向けてラストスパート。 県道から石畳の道に入り、最後のひと上りで馬籠宿北側の外れにある、陣場上の展望台に到着である。
天正12年(1584)に豊臣秀吉と徳川家康が戦った小牧長久手の戦いで、この地に徳川方の武将が陣を敷いて馬籠城を攻めたそうだ。 そのためこの地を陣場と呼ぶようになったという。
このような歴史的な逸話も面白いが、とにかくここからは恵那山の眺めが良い。 恵那山は標高2191m。 中央アルプスの最南端に位置する山である。
この陣場上展望台の先が馬籠宿の入口で、街道は下り坂となって宿場内へと導かれていく。 この日は馬籠宿に宿泊。 新型コロナウィルスのため、海外からの観光客が途絶えたおかげで、馬籠宿内の宿を予約できた。
今晩は山深い木曽谷を抜けたことを祝って、一人で祝杯をあげよう!