2022/06/09 09:08:22
前回の終了地点である、岐阜駅からの道と中山道の交差点から出発。 天気は上々である。
2022/06/09 09:31:02
応仁年中(1467~69)に勧請されたという。
2022/06/09 09:34:40
日本橋から106里。 右に一里塚跡の碑が立っていた筈だが、何故か撤去されている。 周りを探しても見つからなかった。
2022/06/09 09:37:03
東海道線高架に沿った道と合流し、その先清本町2交差点で高架下を潜る。
2022/06/09 10:12:38
日本三大躰厄除大師に数えられている鏡島弘法乙津寺が近くにある。鏡島弘法は後で訪れることにして、まずは街道沿いに歩いてみる。
2022/06/09 10:24:54
かつての中山道は、鏡島から河渡の渡しで長良川を渡ったが、現在は渡し跡に河渡橋が架る。今回はここでUターンして、鏡島弘法から小紅の渡しを利用して長良川を渡る。
2022/06/09 10:39:52
京都の東寺、神奈川の川崎大師と並び、日本三大躰厄除大師の一つに数えられている鏡島弘法乙津寺(おつしんじ)。 右の木は御神木の楠木だが、枝が払われて可哀そうな形になっている。
2022/06/09 10:48:49
中山道の裏街道だった小紅の渡しに向って、長良川の河川敷を突っ切り水辺に向かう。
2022/06/09 10:52:09
呼び出しボタンが設置され、ボタンを押すと対岸の小屋から船頭さんが出てきて迎えに来てくれた。
2022/06/09 10:59:08
小紅の渡しで長良川を渡り、振り返ると金華山や岐阜駅前の高層ビルが見えていた。
2022/06/09 11:23:24
河渡橋から長良川土手沿いに歩くと、かつての”河渡の渡し”跡付近となる。しかし河川敷は灌木に覆われていた。
2022/06/09 11:26:25
天保13年(1842) 荷駄役人足達が銭百文ずつ寄進し、家内安全・五穀豊穣を祈願して建立したという。 馬頭観音と呼ばれているが、本尊は愛染明王だそうだ。
2022/06/09 11:32:25
長良川土手上から河渡宿を望む。 一段と大きな伊吹山が、背景の山並みを飾っている。
2022/06/09 11:38:14
長良川右岸の船着場では米・塩・木材などの物資集積地として栄えたが、空襲により往時の面影を焼失した。
2022/06/09 11:46:44
天王川に架る慶応橋で河渡宿は終わり、瑞穂市へ入る。
2022/06/09 12:09:16
生津と書いて”なまず”と読む。 この先で糸貫川を渡るが、昔は鶴の名所であった。 たぶん左右に田んぼか湿地が広がっていたのだろう。
2022/06/09 12:11:00
一段高い所に地蔵堂があり、道標も立っている。
2022/06/09 12:17:40
延命地蔵が祀られ、毎年8月24日に盛大な地蔵祭が行われる。 かつては尾張・美濃・近江の三国素人相撲 が行われえいたが、現在は子供相撲だそうだ。
2022/06/09 12:19:47
本田はかつて立場があり、幕府直轄の代官所もあったが、その後大垣藩に組み込まれたという。
2022/06/09 12:31:50
遠くに伊吹山を望み、左右には田植えを終えた水田が広がる。
2022/06/09 12:39:44
街道歩きはここで中止して、樽見鉄道の鉄印をもらいに本巣駅まで乗車する。
2022/08/02 16:30:45
無人駅の美江寺駅。 電車が来るまで1時間近くを、のんびり というよりボ~ッと待ち続ける。