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近 江(江州)

中山道第65宿 愛知川宿(1) 高宮宿から愛知川宿への街道風景

高宮宿から愛知川宿までの街道風景。この間には米国人建築家ヴォーリズの設計による「豊郷小学校旧校舎群」や、伊藤忠・丸紅の創業者である伊藤忠兵衛の屋敷跡などが残り、ベンガラの塗られた町並みは、近江商人発祥の地に相応しい豊さを感じさせてくれる。
百年の街並み

東近江市五個荘 豪壮な近江商人の家が立ち並ぶ

近江商人発祥の地と云われる、東近江市の五個荘金堂地区を訪れる。巨万の富を蓄えた豪商の家・屋敷は、舟板塀や白壁の土蔵が並び、財力の豊かさを垣間見ることができる。しかし決して成金趣味的ではないようだ。
近 江(江州)

中山道第64宿 高宮宿(2) 高宮上布と多賀大社で潤った

高宮宿は多賀大社の門前町として賑わい、さらに高宮上布の集散地として経済的にも潤い、埼玉の本庄宿に次ぐ規模を持つ宿場であった。現在も多賀大社の大きな鳥居が中心部に残り、宿場の雰囲気を留める街であった。
近 江(江州)

中山道 第64宿 高宮宿(1) 「小野小町」出生の地を歩く

鳥居本宿から武佐宿を目指す歩き旅の1日目。鳥居本宿を出発すると、やがて平安時代の女流歌人で、絶世の美女といわれた小野小町の出生の地といわれる小野町に入る。小野小町塚のすぐ目の前を、東海道新幹線が時速280Kmで爆走している。
気まぐれ日記

前立腺がん闘病記(18) ついに闘病生活にピリオドを打つ

前立腺がん手術後の血液検査を受けた。その結果、手術前には30以上もあったPSA値が、何と0.14という驚異的な数値へ下がっていた。がんの部位はほぼ除去できたと思われるという医者の言葉を信じ、ここに闘病生活にピリオドを打つことにした。
気まぐれ日記

前立腺がん闘病記(17) 「おしっこ袋」から解放される

退院後の約2週間、カテーテルを付けての生活であったが、やっとオシッコ袋をぶら下げての生活から解放された。また手術で摘出した前立腺などの病理検査の結果も知らされた。転移の有無など、果たしでその結果は如何に?
気まぐれ日記

前立腺がん闘病記(16) おしっこ袋をぶら下げて・・・

退院翌日にオシッコが出なくなり、再びカテーテルを付けられてしまった。それから24時間肌身離さず、カテーテルと共に暮らす日々が続いている。次回病院を訪れる時に外れると思うが、その日が来るのが待ち遠しい・・・
気楽な旅行記

岩手県平泉町 奥州藤原氏の栄華と義経最後の地を訪れる

岩手県平泉町の中尊寺を訪れる。奥州藤原氏の栄華の名残りをとどめる中尊寺の金色堂は、現在もまばゆい光を放っている。また源頼朝に追われた義経が、最後を迎えた地でもあり、平安時代末期の歴史を感じる旅であった。
気まぐれ日記

前立腺がん闘病記(15) 病室に御守りを忘れ神罰が下る

退院時に病室に御守りを忘れてきてしまった。「願うだけ願いやがって!」と神様が怒ったのか、退院した日の夜中からオシッコが出なくなってしまった。恐るべき塩竃神社の「うまくいく御守」のパワーである。
気まぐれ日記

前立腺がん闘病記(14) 退院の記念品は尿漏れパッド

尿道に入っていたカテーテルが外され、翌日退院することになった。退院記念に尿漏れパッドを大量に買い込んで自宅に帰ると、病院から「病室内にお守りを忘れています!」との電話が。お守りだけに、処分して下さいとは言えなかった。
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