中山道第64宿 高宮宿(2) 高宮上布と多賀大社で潤った

高宮宿

旅行日:2023年5月25日

江戸から64番目の宿場である高宮宿。 多賀大社の門前町として賑わい、また全国的に有名だった高宮上布の集散地で、埼玉の本庄宿に次ぐ、中山道第2の規模を持った宿場だったそうである。

現在は千葉に住んでいるが、もともと東京で生まれ育ったので、本庄は知っている。 しかし高宮という地名は全く知らなかった。

中山道で1番、2番の規模を誇った宿場なら、現在ももう少し賑やかでも良さそうだが、残念ながら大きく発展はしなかったようである。

 

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コースデータ

  • 日 付  :2023年5月25日
  • 街道地図 :鳥居本~高宮宿~愛知川宿
  • 宿間距離 :鳥居本宿 ~ 高宮宿  1里18町(5.9Km)
  •      :高宮宿  ~ 愛知川宿 2里(7.9Km)
  • 日本橋から:累計121里7町(475.9Km)
  • 万歩計  :26,692歩

※ 街道地図はGPSログを基に、実際に歩いたコースをGoogleMap上に作図

大堀町から高宮宿へ

壬申の乱の戦場だった鳥籠山ともいわれる大堀山の裾を通り、芹川を渡って大堀町に入る。 この大堀町を抜ければ、もう高宮宿は近い。

大堀町の交差点を渡り「旧跡 床の山」と刻まれた石碑を見て進むと、旭森公園の先に地蔵堂と多くの石仏が置かれている。

彦根市大堀町 石地蔵

石清水神社

地蔵堂の隣には、飛鳥時代からこの地に祀られているという石清水神社がある。

石清水神社と街道を挟んだ反対側には、「かどや」という茶屋があったが、更地に井戸だけがポツンと残されている。 この井戸水で煎れた茶が大正天皇に献上されたという。

岩清水神社

石清水神社から先は道幅が狭くなり、旧街道らしい風景が現れる。

彦根市大堀町

高宮宿

中山道で本庄宿に次ぐ2番目の規模を誇った高宮宿は、多賀大社の門前町として賑わったが、それ以上に経済的な豊かさをもたらしたものが高宮上布である。

高宮上布とは将軍家に献上されるような上質の麻織物で、近江商人によって全国に売り捌かれるなど、高宮宿は集散地として豊かな経済力を持っていたという。

 

近江鉄道の踏切を越える。 踏切手前には細くて背の高い多賀大社常夜灯が立ち、ここが高宮宿の見附跡で、江戸方入口であった。

近江鉄道踏切

賑わいを見せた宿場の面影を残している。

高宮宿

高宮上布の布惣跡

”布惣”は高宮上布を扱っていた問屋。 7つの蔵一杯に集められた高宮上布が全部出荷され、それが年に12回繰り返さなければ平年でないといわれたという。

現在は「宿駅 座 楽庵」という大きな看板を掲げ、コミュニティセンターとして使われているようだが、7つあった蔵は5つが残されているそうだ。

布惣跡

高宮神社から布惣跡を見る。

布惣跡

街道沿いには、祭提灯などが飾られた提灯屋さんが・・・ 宿場の風景によく似合う。

高宮宿 高宮宿

多賀大社一の鳥居

街道沿いに大きな鳥居が現れる。 多賀大社参道入口に立つ一の鳥居で、この鳥居の先に多賀大社。 といっても3Km以上離れているが・・・

多賀大社一の鳥居

この鳥居は寛永12年(1635)に建立。 傍らには「是より多賀みち」と彫られた、道標を兼ねた大きな常夜灯が立っている。

多賀大社一の鳥居

凄い神を祀っている多賀大社

多賀大社へは、近江鉄道の高宮駅から多賀線に乗って2駅目にある。

地元では「お多賀さん」の名で親しまれているそうだが、調べるとどえらい神を祀っていることを知った。

祀られている神は、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)で、この二人が日本の島々や天照大神(あまてらすおおみかみ)をはじめとする、八百万(やおよろず)の神々を産んだという。

まさに神話の世界であるが、日本という国の生みの親である。

高宮宿の町並み

多賀大社の鳥居は高宮宿の中央付近にあり、その先に本陣や脇本陣があったようである。 賑わいを見せた宿場の面影が、比較的よく残されている。

紙子塚

芭蕉が貞享元年(1684)に宿泊した小林家。 この時小林家から新しい紙子羽織を贈られ「たのむぞよ 寝酒なき夜の 古紙子」という句を詠んだ。

紙子とは紙で作った衣服で、小林家は芭蕉の古い紙子を塚に収め、「紙子塚」と名付けたという。

芭蕉紙子塚

本陣跡と脇本陣

高宮宿には本陣と、2軒の脇本陣があった。 下の写真は脇本陣の1軒で、問屋を兼ねていたという。 また門前には高札場になっていた。

高宮宿脇本陣

高宮宿の本陣は小林家が務めた。 本陣の遺構としては、現在表門のみが残されている。

高宮宿本陣跡

円照寺

本陣跡の向かいに円照寺がある。 明応7年(1498)、高宮氏の重臣・北川九兵衛が仏堂を建立したのが起源で、境内には明治天皇ゆかりの「止鑾の松(しらんのまつ)」や「家康公腰懸石」がある。

円照寺

高宮宿南側の町並み。

高宮宿 高宮宿

無賃橋

高宮宿は、南側を流れる犬上川で宿場の京方出口となる。

天保3年(1832)、彦根藩は高宮宿の有力者らに命じて犬上川に橋を架けさせた。 そして渡り賃を払わなくても良い橋にしたことから「むちんばし」と呼ばれるようになったという。

現在の高宮橋のたもとには、むちん橋地蔵尊のお堂がある。 昭和52年(1977)に橋の改修工事の際に、発掘された2体の地蔵尊を祀っている。

むちん橋地蔵尊

犬上川は平時は涸れ川だと聞いていたが、訪れた時は普通の川であった。 前日に雨でも降ったのか??

犬上川

犬上川を越えて高宮宿を後にする。

時間があったら多賀大社を訪れようと思っていたが、それ以上に優先度の高い寄道先がある。 それは五箇荘と安土城。 やはり安土城をパスして通り過ぎるわけにはいかない。 次回訪れる時に、時間を作って多賀大社を訪れてみよう。

 


 

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