岩手県平泉町 奥州藤原氏の栄華と義経最後の地を訪れる

金色堂

旅行日:2023年4月21日

前日は宮城の塩竃神社や多賀城址などを回り、仙台市内のホテルに一泊。 そして翌日は、今回の旅行の主目的である岩手県平泉の中尊寺へと向かう。

平安時代後期に平泉を中心に勢力をふるった、奥州藤原氏の栄華を極めた中尊寺の金色堂はあまりに有名である。

また平泉で少年期を過ごした源義経は、平家打倒のヒーローとなりながら、兄である源頼朝に追われ、最期を迎えた地でもある。

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中尊寺 奥州藤原氏栄華の象徴

中尊寺は比叡山延暦寺の慈覚大師円仁という高僧により、平安時代前期の嘉祥3年(850)に開かれた。

その後奥州藤原氏の初代清衡により、大規模な造営が行われ、現在の中尊寺が形作られると、その後中尊寺を中心に約100年近く繁栄したという。

月見坂

月見坂と呼ばれる中尊寺参道を進むと、樹齢数百年の杉の巨木が立ち並ぶ。 江戸時代に伊達藩により植樹されたという。

月見坂

弁慶堂 身長186㎝の弁慶が立つ

中尊寺には、金色堂以外にも多くの建物が残る。

その中の一つである弁慶堂には、186㎝の等身大といわれる弁慶と源義経像が安置されている。

それにしても、あの時代に身長186㎝とはデカい!

弁慶堂

峯薬師堂 目の絵がたくさん

目にご利益あるという峯薬師堂。 多くの目が描かれた幟旗や、絵馬が飾られている。

峯薬師堂 峯薬師堂

中尊寺本堂 不滅の法灯が灯り続ける

明治42年(1909)に再建された本堂。

堂内には総本山の比叡山延暦寺から分火された「不滅の法灯」があり、宗祖伝教大師最澄が点して以来、消えたことがない天台宗の象徴的な灯だそうだ。

中尊寺本堂

金色堂 奥州藤原氏のミイラが眠る

中尊寺に唯一現存する創建時の遺構といわれる金色堂。 初代藤原清衡が天治元年(1124)に創建したと伝えられ、1951年に国宝建造物の第1号に指定された。

須弥壇内には、藤原清衡(中央壇)、基衡(右壇)、秀衡(左壇)のミイラ化した遺体が納められ、右壇には泰衡の首級も納められているという。

金色堂

旧覆堂 川瀬巴水が描いた金色堂

日本の風景を詩情豊かに描いた、大正・昭和期の版画家・川瀬巴水が描いた「平泉金色堂」

川瀬巴水

ここに描かれた旧覆堂は鎌倉時代に建てられたと推測され、約600年もの間金色堂を風雨から守ってきたものである。

昭和38年(1963)に金色堂の解体修理時に、新たな覆堂が造られた。 そして旧覆堂は少し離れた所に移築されている。

旧覆堂

拝観を終え、駐車場に戻る途中で腹ごしらえ。 参道の途中にあった蕎麦屋で昼食である。

中尊寺

写真はないが、讃衡蔵(さんこうぞう)という、中尊寺の宝物殿はお勧めスポットである。

多くの国宝や重要文化財などが展示され、なかなか見ごたえのある宝物殿であった。

高館義経堂 義経伝説始まりの地

兄・頼朝に追われ、少年期を過ごした平泉に再び落ち延びた源義経。

藤原氏三代秀衡の庇護のもと、この高館に居館を与えられたが、頼朝の圧迫に耐えかねた秀衡の子・泰衡の急襲にあい、この地で妻子とともに自害したと伝わる。

現在の義経堂は、仙台藩主第四代伊達綱村が義経を偲んで建てたものだそうだ。

高館義経堂

義経堂からの眺望は素晴らしく、眼下に北上川が流れ、その先に束稲山の眺望が広がる。

高館義経堂

拝観受付の方と少し雑談した時、義経はここで自害せずに逃げ延び、大陸に渡ってジンギスカンになったという伝説の話になった。

「ここはまさに義経伝説の始まりの地です・・・」と、少し誇らしげに話していた。

毛越寺

平泉まで来たら、やはり毛越寺(もうつうじ)は避けて通れない。

いままで名前は知っていたが”もうえつじ”と読むものと思っていた。 また基本的に庭しかないということも、恥ずかしながら知らなかった。

そしていろいろと調べて勉強した結果・・・

奥州藤原氏二代基衡、三代秀衡により造営され、その規模は堂塔四十、僧坊五百を数え、わが国無二の霊地と称されたという。

しかし度重なる災禍に当時の伽藍はすべて焼失。 現在は寺院の遺構や、平安時代の作庭様式を伝える浄土庭園に、その面影をうかがい知ることができるそうである。

 

1989年に再建された本堂。 平安時代の建築様式を取り入れているそうだ。

毛越寺

浄土庭園を散策

奥州藤原氏が目指した浄土世界を表現したという浄土庭園。 私は感性が乏しいせいか、ただの池としか見えなかった。

毛越寺 毛越寺 毛越寺

観自在王院跡 二代藤原基衡公夫人の墓碑を探す

浄土庭園を散策していると、「観自在王院跡」という案内板が目に入った。

読むと二代藤原基衡の夫人が二つの阿弥陀堂を建立し、現在の阿弥陀堂の東側に基衡公夫人の墓碑があるというので、探しに行ってみた。

案内版も何もないが、松林にポツンと石柱が立っていた。 奥に見えるお堂が阿弥陀堂である。

毛越寺

世嬉の一酒造 日本酒とクラフトビール

この日の宿がある一関市の地図を見ていて、「世嬉の一酒造」という造り酒屋を見つけた。

地酒を買って帰ろうと、宿に向かう途中寄道する。

世嬉の一酒造 世嬉の一酒造

レストランなども併設した、お洒落な造り酒屋であった。 日本酒だけでなく、クラフトビールも造っていたので購入。

今回の旅では、日本酒2本、ビール6本の収穫である。

お土産

世界遺産の隠れ宿 果実の森

この日の宿は、一関市の山中にある「世界遺産の隠れ宿 果実の森」

客室全てに100%源泉かけ流しの檜内風呂があるという、ちょっと贅沢な宿である。

果実の森

驚いたことに、全館床暖房なので素足のままで良いとのこと。 床暖房はしていなかったが、フロントから部屋まで裸足ですたすたと行く。

果実の森

部屋は予想以上に広く、掃除も行き届いて綺麗であった。

果実の森

果実の森

部屋の風呂も結構広い。 レバーを自分で操作して湯量を調整する。

果実の森

夕食は三陸の魚貝や岩手の食材などを使った、美味しい料理を楽しむことができた。

果実の森

奥州藤原氏の最後

奥州藤原氏3代目の秀衡の時に、源義経が兄の頼朝に追われて身を寄せてきた。

そして4代目の泰衡は、頼朝からの圧力に負けて義経を攻め、自害へと追い込んだ。

泰衡は義経の首を頼朝に送ったが、頼朝は奥州藤原氏を滅ぼすと決意し、自ら軍を率いて奥州へ向かったのである。

泰衡は戦に敗れ殺され、ここに奥州藤原氏は滅亡した。

金色堂に収められている泰衡の首級は、この戦の結果なのだろう。

 

東北の地に一大勢力を築きながらも源氏との戦いに敗れた奥州藤原氏。

そして平家と藤原氏を滅ぼした源頼朝は、ここで武家政権の確立へと道を進めたのである。

 


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