旅行日:2019年5月23日
奈良井宿を出ると、すぐに鳥居峠の登り口である。 鳥居峠は標高1,197mだが、奈良井宿の標高が940mと高いので標高差はさほど無い。
この鳥居峠を越えると藪原宿である。 お六櫛と呼ばれる木櫛の産地として有名で、最盛期には住民の6割以上が櫛で生活していたといわれる。 また野麦峠を越える飛騨街道の追分の宿で、諏訪に向かう女工たちで賑わったそうである。
日 付 | 区 間 | 里程表 | 実距離 | 万歩計 | ルート | ||
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2019年 5月23日 |
木曽路入口~贄川宿 | — | — | — | — | Map | |
贄川宿~奈良井宿 | 1里31町 | 7.3Km | 7.6Km | 15,181歩 | |||
2019年 5月24日 |
奈良井宿~藪原宿 | 1里13町 | 5.3Km | 6.1Km | 10,184歩 | Map | |
合 計 | 3里8町 | 12.6Km | 13.7Km | 25,365歩 | |||
日本橋からの累計 (累計日数 : 22日目) |
65里33町 | 258.9Km | 269.8Km | 450,453歩 |
里程表 : 別冊歴史読本「図説 中山道歴史読本」より。
実距離 : 各区間のコース計画時、ルートラボを利用して計測した距離。
実距離の数値をクリックで、ルートラボの計画コースを表示
MAP : GPSログを基に、実際に歩いたコースをGoogle MAP上に作図
奈良井宿から鳥居峠へ
奈良井宿を抜けると、すぐ先にある鳥居峠への入口から山登りが始まる。 もっとも奈良井宿から鳥居峠間の標高差はあまりない。 この日は藪原宿まで歩いて終わりなので、足元に咲く花など探しながら、のんびり峠越えを楽しむことにした。
奈良井宿
奈良井宿の西のはずれにある鎮(しずめ)神社より奈良井宿を振り返る。 左右に木曽らしい石置き屋根が見える。
鳥居峠への入口
鎮神社のすぐ先から右の階段を上がって山の中に入り、鳥居峠登山口へ向かう。
鳥居峠
江戸時代の旅人はわらじを履いて、深い山に分け入って旅を続けた。 細い山道・悪路と闘い、足を泣かせながら歩いたことだろう。 しかし現代は、山の中と云えども道は整備され、快適なハイキングコースと化している。
鳥居峠登山口
鳥居峠の入口からは、復元された石畳の道を歩く。 道の両側には「令和」を記念して、モミジの植樹が行われていた。 まだ若木であるが、10年、20年先の秋には、真っ赤な紅葉を見せてくれることだろう。
中の茶屋(葬沢)
木漏れ日の中、しばらく歩くと「中の茶屋」が現れる。 この地は木曽義昌と武田勝頼軍の古戦場で、大敗を喫した勝頼軍の戦死者五百余名を葬ったので「葬沢」と呼ばれている。
鳥居峠一里塚跡
日本橋から65里。 案内板は楢川中学1年生が書いたようで、上手な字で書かれている。
峰の茶屋
往時の中利茶屋が置かれた場所に休憩所があり、水場やトイレが設置されている。
鳥居峠
峰の茶屋から更に山道を上がると、「標高1,197m」と書かれた標識が木に括り付けられていた。 ここがピークのようである。
御嶽山を望む
御嶽神社に石の鳥居が立つ。 木曽の領主・木曽義元が戦勝祈願して奉納し、鳥居峠の名の由来となった。
御嶽山遥拝所ともいわれ、本殿横からは残雪の御嶽山が良く見えた。
義仲の硯水
木曽義仲が平家討伐の旗揚げをした際、御嶽神社に戦勝祈願の願書を認める時に使われた、硯の水と云い伝えられている。
藪原の町を見下ろす
展望の開けた場所から、藪原の町が良く見える。
鳥居峠を終了する
鳥居峠を下り終えると、登り口と同じように石畳が復元されていた。
鳥居峠を歩く間、藪原側から歩いてくるグループと何組もすれ違った。 しかしその殆どが欧米系の外国人ばかりで、日本人の姿を見かけることはなかった。
外国人が増えたとは聞いていたが、まさかこれ程とは! 平日の金曜ではあったが、日本人はどこへ行ったのか??
藪原宿へ
鳥居峠を越えて藪原の町に入っても、旧街道らしい曲がりくねった道がしばらく下り続ける。 しかし車などの交通量は少なく、のんびりと歩くことができる。
天降社のオオモミジ
あまり聞いたことがない「天降社」という名の神社。 石段左に立派なオオモミジがある。 紅葉時期でないのが残念である。
原町清水
鳥居峠を越える旅人達が喉を潤したもので、現在も飲み水として利用されている。 冷たくおいしい水であった。
尾州御鷹匠役所跡
尾張藩が鷹狩り用のヒナを確保するために設けた役所跡。 木曽の厳しい自然の中で育った鷹は優秀で、藩主や将軍家に人気があり、明治4年(1871)まで続けられた。
藪原宿
尾州御鷹匠役所跡のすぐ先に、飛騨街道との分岐がある。 細い道を右に入ると、やがてJRの跨線橋を渡って藪原宿へと入っていく。
跨線橋のすぐ先に本陣跡の標識が立つ。 鳥居峠を控えて宿泊客も多く、木曽11宿の中でも規模の大きな本陣で、文久元年(1861)には皇女和宮も宿泊した。
手打ちそば「おぎのや」
築120年の古民家を再生したそうで、太い梁や囲炉裏など趣深い。
木曽川源流の水と自家製粉、手打ちにこだわったというだけあって、大変おいしい蕎麦であった。
旅籠こめや
慶長13年(1698)創業という。 数年前まで営業していたようだが、カーテンが閉められている。 木祖村観光パンフレットの宿泊情報には掲載されていない。
防火高塀跡
元禄8年(1695)、大火により藪原宿は焼失した。 そこで各戸1間につき1寸づつ提供し、火除け地として広小路を造り、防火のための石塁・高塀を設けた。
木曽の銘品「お六櫛」
江戸時代から続く櫛問屋の篠原商店。 店内に足を踏み入れると、土間の台上に浅い箱を並べ、その中に多くの櫛を置いている。
女将が正座していろいろ説明してくれたが、「この櫛で髪をとかすと、髪の艶が良くなる」とのこと。 「髪は女の命」とも言われるので、妻に1つプレゼント・・・
「昔はこのような紙に包んで売っていた」と、レトロ感漂う包装紙の復刻版を付けてくれた。
【 お六櫛の伝説 】
昔、妻籠の娘「お六」は頭痛に悩まされていた。 そこで御嶽神社に願をかけたところ、「ミネバリという木で櫛を作り髪を梳けばよい」とのお告げを受ける。 これに従って櫛を作り髪を梳くと、たちどころに頭痛が消えたという。
このミネバリという木は、非常に目の詰まった堅い木だそうである。
枡形と高札場跡碑
街道から右に下る道が中山道で、ここは京方出口の枡形である。 この枡形の右角に、高札場跡の碑が立つ。
藪原一里塚跡碑
枡形を下りしばらく進むと、良く手入れされたD51が保存展示されている。 この角には、日本橋から66里の「藪原一里塚跡碑」が立つ。
地酒「木曽路」を担いで帰る
藪原宿には長野県で2番目に古い老舗酒造「湯西酒造」がある。 自分用のお土産として1本購入!
JR藪原駅
今回は藪原で終了、藪原駅から帰途につく。 この藪原駅は、明治43年(1910)開業当時の駅舎らしいが、外壁などは張り替えているのだろう。
鳥居峠は奈良井川と木曽川の分水嶺をなしている。 地図を見ると、藪原宿の西側を木曽川が南に向かって流れる。 そして鳥居峠から続く山並みの東側には、奈良井川が北に向かって日本海を目指している。
ついでに木曽川の源流はどこかを調べてみると「鉢盛山」という山で、松本から上高地に行く道沿いにある梓湖の南側にある山であった。