2019/05/24 09:37:46
鳥居峠を控え、「奈良井千軒」と云われるほど賑わった。 現在も足を一歩踏み入れると、タイムスリップしたような風景を目にすることができる。
2019/05/24 10:16:46
奈良井宿高札場の先で、道路から外れて右の山道に入る。 鳥居峠入口にむけての道である。
2019/05/24 10:54:47
1587年、木曽義正と武田勝頼の軍が戦った古戦場。 武田勝頼の軍は大敗し、武田方の戦死者で谷が埋もれたと云われる。 この戦いを境として、武田家は滅亡への道を歩み始めた。
2019/05/24 11:35:37
往時は中利茶屋?があった。 水場の横から山道を更に進むと、やがて「明覺霊神碑」、「明治天皇駐蹕所跡碑」が現れる。
2019/05/24 11:54:30
「駐蹕(ちゅうひつ)所」とは何かを調べると、「天子が行幸の途中、一時乗り物をとめること」とあった。 明治天皇は何に乗って峠を越えたのだろうか?
2019/05/24 12:02:03
横に立つ案内板には、「It is very often but, keep in mind that you may encounter bears.」と書かれていた。 海外から来た人がこれを読むと、さぞかし恐ろしいと思うだろう。
2019/05/24 12:28:16
芭蕉の句碑や鳥居峠古戦場跡碑などの石塔が立つ。 「公園」というより、山中の広場といった感である。
2019/05/24 12:30:53
途中で展望が開け、眼下に藪原の町を見下ろすことができる。
2019/05/24 12:56:39
鳥居峠を越え藪原側に降りてきた。 奈良井からの登り始めと同様、足元は石畳が敷かれている。
2019/05/24 13:28:06
皇女和宮も宿泊。 鳥居峠を控えた宿場なので宿泊客も多く、木曽11宿の中でも規模の大きな本陣だったそうだが、今は標柱が立つのみである。
2019/05/24 14:12:20
「木曽路」という銘柄の酒蔵だが、ここでは販売していないようであった。 そこで近くの酒屋で購入、担いで帰ってきた。
2019/05/24 14:38:07
右に白い標柱が立つ。 街道はここで右に折れるが、京方出口の枡形である。
2019/05/24 14:46:05
保存展示されているD51の前に、日本橋から66里の藪原一里塚跡碑が立つ。