第36宿 宮ノ越宿 木曽義仲の伝説が多く残る

奈良井宿

旅行日:2019年10月31日

暑い夏を避け、9月から中山道歩きを再開する予定であった。 しかし相次ぐ台風の襲来と、それによる中央線特急「あずさ」の運休や中央高速の不通などが続いたが、ようやく交通状況が元に戻った10月末に再開することができた。

今回は2泊3日で、藪原宿から福島、上松、須原、野尻宿と歩いてきた。 しかし秋の日が短い時期と交通の便の悪さが重なり、さらに宿がどこも満室で、なかなか取れないため、午後3時頃には行動を切り上げるという、あまり効率の良くない区間であった。

日 付 区 間 里程表 計画路 GPS 万歩計
2019年
10月31日
藪原宿~宮ノ越宿 1里33町 7.5Km Map GPS 26,119歩
宮ノ越宿~福島宿 1里28町 7.0Km
2019年
11月1日
福島宿~上松宿 2里14町 9.4Km Map GPS 29,331歩
上松宿~倉本駅 3里9町 12.8Km
2019年
11月2日
倉本駅~須原宿 Map GPS 21,329歩
須原宿~野尻宿 1里30町 7.2Km
合 計 11里6町 43.9Km 76,779歩
日本橋からの累計
(累計日数 : 25日目)
77里4町 302.8Km 527,232歩

里程表 : 別冊歴史読本「図説 中山道歴史読本」より。
計画路 : 現代の旧中山道ルート図で、歩く予定のコース。

「GarminConnect」を利用してGoogleMap上に作図。

GPS  : GPSログを基に、実際に歩いたコースをGoogle MAP上に作図。


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藪原駅から出発

快晴の10月31日。 5か月ぶりに藪原駅に戻ってきた。 藪原の駅舎は、明治43年(1910)の中央本線開業当時の木造駅舎だそうだが、古さは感じない。

藪原駅

鳥居峠を越えるまでは日本海に向かう奈良井川であったが、藪原を出発して初めて太平洋に注ぐ木曽川とご対面である。

木曽川

旧国道に入る

国道21号の獅子岩橋手前のガードレール切れ目から、廃道となった旧国道に入る。

旧国道から木曽川対岸を走る現国道を見ると、鳥居峠の大きなレリーフが見える。

鳥居峠レリーフ

木曽川に架かる「菅橋」。 昭和8年に建設された、木曽谷で初めての鉄筋コンクリートアーチ橋。 現在は土木遺産として認定されている。

菅橋

旧中山道と吉田洞門

国道と合流した先に、左の山中に入る林道がある。 旧中山道だそうだが、途中で道は消えているとのこと。 現在は木曽川沿いの吉田洞門を通る。

中山道古道

吉田洞門は木曽川を眺めながら側道を歩く。 藪原方向を振り返ると、山肌の一部が色付き始めていた。

吉田洞門

ドライブインの手前には、たくさんの石塔が立つ。 国道拡幅時に移設されたもののようだ。

中山道石仏

静かな山吹トンネル旧道を歩く

先に進むと山吹トンネルとなるが、トンネル手前で旧国道に入ることができる。 ここも廃道となった旧国道だが、静かで雰囲気の良い道であった。

吉田一里塚跡

山吹トンネルの手前に、ひっそりと石碑が立つ。 日本橋から67里で、中山道の中間点はもう近い。

吉田一里塚跡

旧国道に入る

山吹トンネルの手前で、廃道となった旧国道に向けて右に入る。

中山道は山吹山の山腹を通っていたようだが、現在は山裾を回るように木曽川沿いを歩く。

旧国道19号

廃道マニアが好みそうな静かな道。 明るい陽射しの中を進むが、先で道はカーブして山の影へと入る。

旧国道19号

落ち葉に覆われた道。 山腹の旧中山道は既に木々に埋もれたが、この旧国道も自然に帰ろうとしているようだ。

旧国道19号

この旧国道は廃道となり手入れがされていない。 落石などもあるかと思うので注意が必要である。

木曽義仲の伝説が多く残る

巴淵交差点を右に曲がり国道と離れ、徳音寺集落に向かう。 洗馬宿の地名や「あふたの清水」も木曽義仲の由来であったが、宮ノ越宿はまさに木曽義仲ゆかりの旧跡が数多く残る。

巴 淵

山吹山の麓を流れる木曽川が、巴状に渦巻くことから巴淵と名付けられたそうだ。

幼少より木曽義仲と育った巴御前は、この淵に住む龍神の化身として義仲を護り続けたという伝説が残る。

巴淵

いかにも龍が住んでいそうな水を湛える巴淵に紅葉が映える。

巴淵

徳音寺集落

静かな徳音寺集落を進む。 途中に有栖川宮御休所跡碑を見ることができる。

観音寺集落

旗揚八幡宮

治承4年(1180)、義仲27歳の時に1000余騎を従えて平家打倒の旗揚げをした。 傍らの大ケヤキは、義仲の元服を祝って植えられたという樹齢800年の巨樹である。

旗揚八幡宮

徳音寺 義仲と巴御前の墓が残る

木曽義仲が、母の小枝御前の菩提を弔うために建立したという徳音寺の山門。

得音寺

奥の墓所には木曽義仲の墓を中心に、右に母・小枝御前、今井四郎兼平 左に巴御前、樋口次郎兼光など木曽一族の墓が並ぶ。

木曽義仲の墓

巴御前の墓(左)には、享年91歳と書かれていた。 もし事実なら凄い!

巴御前の墓

義仲館

徳音寺の近くには義仲館がある。 義仲と薙刀をもった巴御前の像が立つ。

義仲館

【怪力の持ち主? 巴御前】

巴御前といえば薙刀を連想する。 しかし義仲が京を落ち延びる時、追ってきた敵の武将2人を巴御前が掴まえ左右の脇に挟み込み、「グィ!」と絞めたら頭がもげてしまったという話が残る。 恐ろしい怪力の持ち主である。

瀬戸内海の大三島にある大山祇神社の宝物館を訪れると、国宝級の武具が所せましと並んでいる。 源義経奉納の鎧とか武蔵坊弁慶の薙刀に交じって、「伝 木曽義仲奉納 鎧」「伝 巴御前使用 薙刀」が奉納されている。 まさにのけ反るほどの驚きの品々である。

宮ノ越宿

日本橋から36宿目で中山道の中間点に位置している。 往時は木曽川の水が用水に使われ、往還を流れていた。 その往還には並木もあったが、昭和36年頃の国道拡張工事で伐採され、用水路も家並み近くに移されて昔の面影はなくなった。

この宮ノ越付近は「日義村」という地名である。 明治7年に宮ノ越村と原野村が合併した時に、この地の英雄である「朝日将軍木曽義仲」の日と義をとって命名したと云われている。

宮ノ越駅入り口

徳音寺や義仲館と中山道を挟んだ反対側に宮ノ越駅がある。

宮ノ越宿

宮ノ越宿本陣

宮ノ越宿は明治16年(1883)の大火で90軒近くを焼失し、本陣も主屋部分を失った。 しかし客殿部分は焼失を免れ、再生工事が完了して無料で公開されている。

宮ノ越本陣

この一段高い部分に、大名 つまりお殿様が座ったのだろう。

宮ノ越本陣

宮ノ越宿の街並み

宿場内の街並みは、あまり昔の姿をとどめていない。

宮ノ越宿

街道沿いに、旅籠であった田中邸が公開されている。 明治16年(1883)の大火時に搬出された建具類と、隣村から運んだ建物部材を使用して再建された建物だそうだ。

旧旅籠田中屋

宿場の京方出口付近には、「南無阿弥陀仏」や「四国三十三所観世音菩薩」と彫られた大きな石塔群が建つ。

宮ノ越宿

宮ノ越宿を出て少し歩けば中山道の中間点で、ここを過ぎればいよいよ後半戦。 日本橋を出発したのは、2016年3月26日。 何と3年半かかってようやく半分である。

この間に足首を痛めたり、母の葬儀などが重なって1年9か月もブランクが空いてしまった。 とくに足の故障は酷く、一時は中山道歩きも諦めの境地であったが、何とか歩けるようになった。 無理せず、再発しないよう気を付けながら、後半戦に向けて歩を進めていこうと思う。


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