中仙道

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美 濃(濃州)

中山道 第57宿 垂井宿(2) 静かな宿場風情を残す町

江戸から57番目の垂井宿。旅籠だった亀丸屋や長浜屋の建物などが残り、観光地化されていない静かな宿場風景を残している。南北朝の争乱期には、北朝の仮御所が置かれ、足利尊氏も訪れたという歴史を持っている。
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中山道 第57宿 垂井宿(1) 「昼飯町」と「青墓町」

赤坂宿から垂井宿の間には、源義朝(頼朝や義経の父)が平治の乱で平清盛に敗れ、落ち延びてきた地が青墓町がある。また江戸城三大刀傷事件に数えられる事件を起こした青野城城主など、歴史的な逸話に事欠かない地域である。
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中山道 第56宿 赤坂宿(2) 「お嫁入り普請」で見栄を張る

「お嫁入り普請」とは家並の見栄えを良くするため、街道側だけを2階屋に見せた建物。言い換えれば「なんちゃって2階屋」である。幕末の皇女和宮降嫁時に、赤坂宿があまりに貧相だったので、この方法で54軒も立替えたという。
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中山道 第56宿 赤坂宿(1) 呂久川は流れを変えて揖斐川へ

中山道の美江寺宿と赤坂宿の間には呂久川が流れ、渡し舟で川を越えていた。あの皇女和宮も呂久川を御座船で渡っている。しかし現在は細い用水路に姿を変え、ここに渡しがあったとは思えない。呂久川は何処に消えたのだろうか???
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中山道 第55宿 美江寺宿 樽見鉄道「鉄印」求めて寄道する

河渡宿から美江寺宿を目指して歩いたが、美江寺宿手前を走る樽見鉄道で歩みを止めた。樽見鉄道の鉄印を得るため、本巣駅へと寄道するためである。翌日再度樽見鉄道美江寺駅から中山道歩きを再開。美江寺宿をゆっくり見て、次の赤坂宿へと向かった。
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中山道 第54宿 河渡宿 「小紅の渡し」で長良川を渡る

加納宿を出発し、河渡宿を目指す。途中中山道の裏街道として栄えたという「小紅の渡し」を利用して長良川を渡る。つかの間の船旅ではあるが、気持ち良い川風に吹かれながら、往時の旅人気分を味わうことができる貴重な体験であった。
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中山道 第53宿 加納宿(2) 黄金の信長像がお出迎え

鵜沼宿を出発し、途中各務原市民公園で休憩をとり、加納宿までの後半戦に出発である。途中「手力雄神社」に寄道などしながら加納宿を目指す。加納宿に到着してJR岐阜駅北口に回ると、そこには燦然と光り輝く黄金の信長像がマスク姿で出迎えてくれた。
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中山道 第53宿 加納宿(1) 各務原の読みかたと驚きの地名

中山道鵜沼宿から、現在の岐阜市である加納宿を目指して歩く。途中各務原市を通るが、今まで「かがみはら」と読むものと思っていたが、どうも違うようである。また各務原市内の地図を眺めていたら、「織田信長」の名を持つ公園や町名があることに驚いた。
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中山道 第52宿 鵜沼宿 うとう峠を越え豪華に”ひつまぶし”

美濃市の「うだつの上がる町並み」を訪れた翌日、中山道太田宿から鵜沼宿までを歩く。景色の良い木曽川堤防上を歩き、やがてうとう峠に入ると木曽川ともお別れである。うとう峠を越えてお腹もすいたので、昼食は少し贅沢に「ひつまぶし」を楽しんだ。
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中山道 第51宿 太田宿(2) 見事な卯建を持つ脇本陣が残る

宿場の面影を残す太田宿。なかでも脇本陣の林家は往時の姿を留め、立派な本卯建が威厳と格式を示し、なかなか見応えのある建物である。この脇本陣には、明治維新で活躍した板垣退助や、女流歌人の白蓮なども宿泊したという。
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