井伊直弼が暗殺された桜田門が「外桜田門」と呼ばれるのに対し、この門は「内桜田門」と呼ばれている。
太田道灌が築城の頃、この辺りには日比谷入江の波が打ち寄せていたようだ。 そこで太田道灌は「泊船亭」というものを造り、ここに道灌の家紋である桔梗紋が付けられた。 これにより「桔梗門」とも呼ばれるようになったそうだ。 現在でも門の鬼瓦に、桔梗紋が彫られているという。
警備が厳重な内桜田門
桔梗濠と蛤濠の間に架かる土橋を渡ると「内桜田門」、つまり「桔梗門」である。 現在は皇居参観者や、勤労奉仕者などが出入りする門であり、橋の手前にゲートが設けられている。
入口が狭いせいか、西の丸玄関門や坂下門に比べ、警備が厳重に見える。
皇居の勤労奉仕って、まだやってるんですね・・・ 「白い割烹着」というイメージがあるけど、これは古すぎですかね?(笑)
太田道灌と江戸城
外桜田門の土橋を渡り、正面の高麗門から入ると、右に櫓門がある枡形となっている。 関東大震災で被害を受けたが、復元されたそうだ。 高麗門周辺と、桔梗濠の石垣の造りが違うのが良くわかる。
先日、江戸東京博物館で開催されている、「戦国武将展」を見に行ったら、「太田道灌の書状」が展示されていた。
太田道灌と言えば 「江戸城築城」と「山吹」の故事が有名である。 何か伝説のようなイメージしかないが、この書状を見たら、いきなりリアリティをもって歴史の中から浮かび上がってきた。
桜田巽櫓
内桜田門から桔梗濠沿いに歩くと、二重櫓が建っている。 「桜田巽櫓」、「桜田二重櫓」、または単に「巽櫓」とも呼ばれている。 本丸から見て東南(辰巳)の角にあることから、この名が付いた。
これも関東大震災で損壊し、解体・復元されたものである。
優雅な姿をしているが、石落しや狭間を持ち、防御に優れているように見える。
江戸城には19個の櫓があったというが、現在残るのは、この桜田巽櫓、伏見櫓、そして富士見櫓の3つだけである。 残念・・・
桜田巽櫓と外桜田門を望む
内堀通りから見ると、優美な姿を見せてくれる。 お濠の水草がなければ、水面に映る姿も見ることができるのだが、この水草は残念至極である。
皇居の一般参観は、昨年より当日受付が可能となり、内桜田門前の広場で先着順で受け付けているそうだ。 内桜田門から入城し、富士見櫓下や正面鉄橋などがコースのようである。 暇を見つけて、一度行って来よう。