訪問日:2019年10月31日
両側に迫る山の谷間を流れる木曽川。 この木曽川に沿って険しい峠を越え、深い谷を抜け、山の底を縫うようにして伸びる道は、江戸時代に多くの旅人が歩いた中山道である。
木曽福島は、この中山道の福島宿として栄えた町である。 江戸から37番目、木曽十一宿に数えられ、関所が置かれ代官も居住するなど、木曽谷の中心的な宿場であった。
残念ながら昭和2年(1927)の大火で町の大半を焼失したが、「上の段」と呼ばれる地区に、僅かに宿場の面影を残す建物が並ぶ。
町の中心を流れる木曽川の河岸に細長く広がる木曽福島を、中山道の歩き旅の途中、紅葉が色づき始めた10月末に訪れた。
福 島 関 所
木曽川の断崖上の狭い場所に関所を設け、有事の際は関所を封鎖して江戸防衛にあたった。 特に入鉄砲と出女には厳しく吟味がなされ、女性が関所を通過するには一刻(2時間)もの時間を要したという。
中山道の木曽福島入口(江戸側)では、大きな関所門のモニュメントが出迎えてくれる。 関所門をくぐり、来た道を振り返る。
福 島 関 所
細い道で崖上に上がると、関所が復元されている。 明治2年(1869)に廃止され、その後 木曽川の断崖を大きく開削して国道を通すなどして、大きく変貌を遂げた。 展示されていた当時のジオラマを見ると、関所のすぐ脇の崖下に木曽川が流れていたようである。
関所の隣には 木曽代官山村氏に仕えた高瀬家 がある。 この高瀬家は島崎藤村の姉「園」の嫁ぎ先で、小説「家」のモデルだそうだ。
崖に造られた「初恋の小径」
高瀬家のすぐ先から、崖に造られたジグザグの階段を下る。 「初恋の小径」という洒落た名前が付けられ、所々に初恋を詠った俳句が立つ。
街中を流れる木曽川
木曽福島の街中を木曽川が流れる。 深く切れ込む両岸は、四季折々に変化を見せてくれると思われるが、僅かな平地を利用した崖家造りには人間の知恵が現れているようである。
紅葉の木曽川
関所の下を流れる木曽川。 激しい流れが深い谷を造り、両岸が秋色に染まり始めている。
崖 家 造 り
木曽川沿いのわずかな土地を利用し、身を寄せ合うように建てられた家々。 道路から見ると普通の家である。 しかし川に面する裏手を見ると、川にへばり付くように三・四階建ての家が建ち並んでいる。 河原に降りて見上げると、なかなかの迫力である。
木曽義仲の墓と山村代官屋敷
木曽川に架かる橋で対岸の街に向かう。 木曽義仲の墓所や、福島関所の関守を務めた山村代官屋敷などを見ることができる。
興禅寺と木曽義仲公墓所
木曽三大名刹の一つに数えられる興禅寺。 「看雲庭」と呼ばれる大きな枯山水の庭が有名で、木曽義仲手植えの2代目枝垂桜もある。
境内奥には遺髪が治められているという「木曽義仲公墓所」がある。 同じ木曽義仲の墓所は、隣の宿場「宮ノ越宿」の徳音寺にもある。
山村代官屋敷
山村氏は関ヶ原合戦の戦功で木曽谷の代官となり、明治2年までの274年もの間、木曽谷を支配し関所を守った。
大 手 橋
中山道や関所と山村代官屋敷をつなぐ橋は、御屋敷前橋と呼ばれていた。 しかし明治に入って「大手橋」と名付けられた。 現在の橋は昭和11年に架けられ、土木遺産として認定されている。
銘酒「七笑」の蔵元・七笑酒造
明治25年(1892)創業、銘酒「七笑」の蔵元「七笑酒造」。 1本買って帰ろうと思ったが、翌日も中山道を歩く予定なので諦めた。
七笑酒造の向かいにある「おん宿 蔦屋」。 一晩お世話になったが、外人客が非常に多かった。
宿場風情の残る「上の段」
旧中山道は、現在の街の中心部より一段高いところを通っている。 木曽義昌の居城「上之段城」があった場所で、「上の段」と呼ばれている。 距離は短いが、往時の宿場風景を残す家並みや、江戸時代からの小路などが残されている。
鉤の手から高札場へ
旧中山道の「 鉤の手」を直角に曲がると、「善又橋」が再現されている。 清水が湧いて小川が流れる場所に、木橋が掛けられていたものを復元している。
再度直角に曲がり、急坂の途中に「高札場」が復元されている。 「キリシタン禁制」や「徒党強訴の禁止」などが掲げられていたそうだ。
上の段の町並み
往時の面影を残す「上の段」の町並み。 一段高い場所にあるため、昭和2年の大火からも難を逃れた。 卯建や千本格子、蔵の壁に用いられた「なまこ壁」などが往時を偲ばせる。 屋根は 木曽特有の石置き屋根だそうだが、下からでは判らなかった。
上の段の出口にある枡形には井戸が残る。 中山道を往く旅人たちの喉を潤したのだろう。
寺門前小路と武田信玄の娘「真理姫」の供養塔
美しいなまこ壁と板塀の続く細い小路。 この一帯は木曽氏19代の義昌 の居城「上之段城跡」 だそうだ。
寺門前小路の突き当りは「大通寺」。 武田信玄の娘で、義昌に嫁いだ真理姫の供養塔がある。
江戸時代からの小路が残る
「上の段」を通る中山道には、「寺門前小路」のような細い小路がいくつも直交している。 これらは木曽義昌の居城があった時代の名残で、江戸時代から残っているものもあるという。
「西の小路」と呼ばれる小路は 上之段城郭の西の外れの通りで、乱積みの石垣は武家屋敷の名残りだそうだ。
木曽川沿いの県道から上の段方向に伸びる「巾の小路」。 他にも「馬宿小路」など、趣のある小路が多く、これらの小路を散策するのは楽しい。
上の段から下り、木曽福島の駅方向に伸びる中山道から外れ、「牛越小路」という細い道も雰囲気が良い。 木曽福島の駅に向かうのであれば、この道はお勧めである。
中山道を京都に向けて歩く旅で、福島宿まで来た時に木曽福島で一泊した。 そのおかげでゆっくりと町を散策することができた。 宿場の面影を残す「上の段」だけではなく、昭和2年の大火後に再建された町の中心部も昭和の風情を漂わせ、山間のこじんまりとした静かな町であった。
泊まった宿は日本人の宿泊客より外人客のほうが多かった。 宿の人に聞くと、外人客は妻籠、馬籠と歩いて木曽福島に一泊。 翌日は薮原へ電車で移動し、鳥居峠を越えて奈良井宿へと歩くそうだ。 それに対して日本人は車やバスで来て、さらっと見物して去っていくので、お金をあまり落とさないとこぼしていた。