豊臣秀次と近江商人発祥の街 近江八幡(滋賀県)

近江八幡

訪問日:2019年4月22日

滋賀県の甲賀市にあるミホミュージアムに、国宝の曜変天目茶碗を見に訪れた。 はるばる滋賀まで来たので、1泊した翌日に近江八幡を訪れた。

近江八幡は、豊臣秀吉の甥である豊臣秀次が開いた城下町で、商業都市としての発展をめざして楽市楽座により商人が活躍し、近江商人発祥の地となった。

新町通りに代表される往時の雰囲気を残す城下町だが、米国のヴォーリズという建築家による洋館も多く残る、見どころ満載の街であった。
 

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近江商人の街

近江八幡の駅からバスを利用して小幡上筋というバス停で下車。 ここから街歩きを開始する。

2週間ほど前に長野の松本を訪れたが、松本城の城下町と異なり、近江八幡はいたるところに情緒ある風景が展開していた。

市立八幡小学校

明治6年創立の木造の古い校舎・・・ と思ったが、なんと鉄筋コンクリート。

耐震構造に建て替えたそうだが、モルタルによる下見板張り風と凝っている。 近江八幡市に拍手である!

八幡小学校

風情溢れる街並み

中山道の宿場のように、街道に沿って線として広がる街と異なり、城下町なので面として広がり、いたる所に歴史を感じる建物が残っている。

近江八幡

朝鮮人街道

朝鮮通信使が通った道。 中山道の脇道で、野洲で分岐し、鳥居本で再度合流するそうだ。

朝鮮人街道

旧伴家住宅

「扇屋」という屋号の近江商人で、畳表や蚊帳(かや)を商って豪商となった。

月曜のため郷土資料館は休館。 旧伴家住宅や旧西川家住宅の見学はできなかった。

伴家

新町通りの街並み

タイムスリップしたような景観。 伝統的建造物群保存地区に指定されている。

近江八幡

右の森五郎兵衛邸は、江戸日本橋や大阪本町にも出店するなど活躍し、現在も日本橋室町に「近三商事株式会社」として活躍中だという。

近江八幡

中2階の窓の意匠が凝っている。

近江八幡

麩の吉井

丁子麩は近江名物だそうだ。 お土産に買ったお麩のラスクは評判が良かった。

麩の吉井

白雲館

明治10年に擬洋風建築として建てられた八幡東小学校。 現在は観光案内所として使われている。

白雲館

豊臣秀次の居城 八幡山城址へ

市街地のはずれに八幡山という小さな山がある。 ハイキング向けの歩きのルートもあるようだが、ロープウェイを使ってしまった。

八幡山頂上からは、琵琶湖や近江八幡の市街地の眺めが良いが、豊臣秀次が築いた八幡山城の石垣も残っている。

日牟禮八幡宮

八幡山へのロープウェイ手前に、平安時代創建といわれる日牟禮八幡宮がある。 近江八幡の地名の由来らしい。

立派な楼門をくぐると拝殿があり、その奥に本殿が建つ。

日牟禮神社

八幡山城址

八幡山の頂上へは、ロープウェイでわずか数分。 山頂駅から少し歩くと展望台で、琵琶湖と対岸の比良山系の眺めが良い。 しかし当日はあまりクリアに見えなかったのが残念である。

八幡山

八幡山城の現在は石垣のみを残すが、本丸、西の丸、北の丸などがあったそうだ。

八幡山城跡

本丸跡には、秀次菩提寺の瑞龍寺が京都から移築されている。

瑞龍寺

【 豊臣秀次と近江八幡 】

豊臣秀吉の甥で、養子となって関白を継いだ秀次は、18歳で近江43万石の領主となった。

碁盤の目状の近江八幡の城下町を開き、信長亡き後の安土城下の民を移し、商業都市としての発展を目指して楽市楽座の制度を設けた。 さらに八幡堀を琵琶湖とつないて物流のルートも拓き、商いの町としての基盤を整えた。

しかし秀吉と茶々の間に秀頼が誕生したことにより疎んじられ、謀反の疑いで切腹を命じられる。 享年28歳であった。

首は三条河原にさらされ、さらに妻妾や子女、併せて29人も処刑された。 何が原因で秀吉の逆鱗に触れたのだろうか?

情緒あふれる八幡堀

八幡山城築城の際、防衛上の役割と、琵琶湖と城下町を結ぶ水路として造られた。

堀沿いには白壁の土蔵や旧家が並び、情緒あふれる景観を見せている。

八幡堀八幡堀

かわらミュージアム

近江八幡の家並みを見ると、黒い瓦が「いらかの波」のように並び重なって美しい。 「八幡瓦」が地場産業だそうだ。

月曜のため休館だったが、足元を見ると瓦が埋め込まれた洒落た通路であった。

かわらミュージアムかわらミュージアム

ヴォーリズ建築を訪ねて

近江八幡は古い商家だけでなく、ヴォーリズという建築家が建てた洋風建築が20軒余り残るというので、いくつかの建物を訪れた。

ヴォーリズの名は聞いたことがある程度で、ほとんど知らなかった。 資料によると、大阪心斎橋の大丸百貨店や、明治学院のチャペルなどを手掛けたということだが、近江八幡との関係も深いようである。

近江兄弟社の創立者でもある

ヴォ―リズはメンソレータムを日本に輸入し、近江兄弟社の創立者の一人だそうだ。

近江兄弟社のショールームには、歴代のメンソレータムが陳列されている・・・ と思ったが、良く見ると「当時の類似品の数々」と書かれていた・・・

近江兄弟社

【 メンソレータムとメンターム 】

近江兄弟社のショールームを見ていて、メンソレータムのパッケージにある可愛い看護婦さんが、小さな男の子のキャラクターに変わっていることに気付いた。

いつも使っているリップクリームは、確か看護婦さんが描かれている・・・ たまたま妻が持っていたので良く見ると、何とそこには「ロート製薬」と書かれていた。

「エッ! メンソレとかメンタムって、近江兄弟社じゃないの??」 「そもそもメンソレータムを略してメンソレとかメンタムって呼んでるんじゃないの?」

この小さな疑問を調べたら、子供の頃からお世話になっていたメンソレータムの深い歴史を知ることになった。 そして現在の近江兄弟社の正しい製品名は「メンターム」であることも判った。

ダブルハウス

池田町洋館街と呼ばれる所に、何軒かのヴォーリズ建築が立ち並んでいる。 しかし素人の私の目から見ると、「知らなければそのまま素通り」してしまうような建物であった。

その中の一つである「ダブルハウス」と呼ばれる、いわば二世帯住宅は少々洒落た造りとなっていた。

ヴォーリズ建築

池田町の洋館街は古いレンガ塀で囲まれ、良い味わいを醸し出している。

ヴォーリズ建築

ヴォーリズ学園

近江兄弟社学園から、創立者にちなんで「ヴォーリズ学園」に名称変更した。

ヴォーリズ学園

ヴォーリズ記念館

昭和6年(1931)築。 ヴォーリズ夫妻が後半生を過ごした住宅で、見学するには予約が必要であった。

ヴォーリズ記念館

旧八幡郵便局

大正10年(1921)築。 洒落た外観を持ち、1960年まで郵便局として使われた。

旧八幡郵便局

アンドリュース記念館

明治40年(1907)築。 裏手より撮影。 煙突がにょきにょきと面白い。

アンドリュース記念館

和洋折衷の風景

羽目板張りの建物の向こうに、チャペルが立つ。

八幡教会

近江牛で昼食を

近江牛の本場に来たので、「近江西川」で近江牛のランチ w/ ビール。

近江牛ずくし弁当には、牛トロ、牛のたたき以外に、近江名物である赤こんにゃくのにぎりも入っていた。

近江牛づくし弁当

赤こんにゃくは初めて食べたが、生のレバーのような微妙な色合いであった。 味は・・・ 無味無臭の、ただのコンニャクだったような気がする。

 
 

近江に拠点を置いて、他国へ天秤棒を担いで行商に励んだ商人の総称が近江商人だそうで、近江八幡・日野・五個荘から多く輩出したという。

その流れをくむ現在の企業を調べると、商社や百貨店などの有名企業の名が並ぶ。

中山道を日本橋から京都目指して歩いているが、まだ木曽の入口である。 そして木曽を抜けて岐阜や滋賀県に入ると、寄り道したい場所が数多くある。 第66宿の武佐宿のあたりまで歩が進めば、日野や五個荘にも訪れようと思う。
 
 
なお 近江八幡を訪れる前日に京都大徳寺・龍光院所蔵の、国宝「曜変天目茶碗」の特別展訪問記を参考までにリンクしておく。

国宝といえど たかがお茶碗 されど曜変天目
旅行日 : 2019年4月21日「曜変天目茶碗」 12~13世紀に中国で造られ、世界で3つしか残っていない。 そしてその3つすべてが日本にあり、国宝指定されている。その中の一つである、京都大徳寺塔頭・龍光院所蔵の曜変天目茶碗が、滋賀...

 


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