訪問日:2022年4月7日
2021年12月に妻と2人で中山道を歩き、鵜沼宿まで来たので寄道して犬山市を訪れた。 この時は国宝の「犬山城」が表向きの理由であった。 しかし個人的な真の目的は、犬山城下町にあった「櫻楽園」と呼ばれた旧遊郭、つまり赤線跡地に残る残滓を探すことである。 しかし この時は妻がいたので、簡単に「ここは昔の赤線だった」と説明し、サラッと見て終えてしまった。
そして2022年4月。 鵜沼宿から再び中山道を歩こうとやってきたが、今回は気楽な単身での歩き旅である。 そこで再度犬山を訪れ、自由気ままにゆっくり探索することにした。
まずは真面目に表の道を
名鉄犬山駅で下車して犬山城を目指す。 「櫻楽園」跡の探索は最後の楽しみに残し、先に犬山城へと続くメインストリート「本町通り」に入る。
前回来た時に比べると観光客は少ない。 古い建物も残るが、多くは土産物や飲食の店が並ぶ。
格子に飾られた雛人形。
途中にあった「どんでん館」に入ると、祭で曳かれる山車が飾られていた。 コロナの影響で、この2年ほど活躍する場は無かっただろう。
普通の観光客同様に、左右をキョロキョロと眺めながら、しかし足早に歩を進めると、正面に犬山城天守が見えてきた。
国宝犬山城
犬山城は現存する12天守のなかで、国宝に指定されている5つの城のひとつである。 昨年12月に訪れた時、天守に上がっているので、今回はパスしようと思っていた。 しかし思いの他 桜が残っていたので、再び登城することにした。
木曾川沿いの小高い山の上に立つ犬山城は、別名「白帝城」とも呼ばれている。 これは中国・長江流域の丘上にある白帝城にちなんで名付けられたという。
本丸への道
本丸に向けて大手道の坂をあがる。 この付近は黒門と呼ばれる門があったようだ。
さらに進むと立派な櫓門が現れる。 本丸を護る最後の門である鉄門(くろがね門)である。 残念ながら現在の鉄門は、想定された姿で再建されたものである。 しかしコンクリート造りとはいえ、門の有無は城の風格を左右すると思う。
いざ本丸へ
鉄門をくぐると、本丸の向こうに天守がそびえ立つ。
犬山城は室町時代の天文6年(1537)に建てられ、天守は現存する日本最古の様式だそうだ。 外観は3重構造に見えるが、内部は4階地下2階の構造となっている。
足元は怖い・・・ 天守からの眺め
バリアフリーとは真逆の急な階段を上り、天守最上階を目指す。 敵の侵入を防ぐため、わざと急な階段にしているそうだが・・・ 年寄りにはきつい!
最上階は望楼として回廊が設けられている。 四方の眺めは大変よく、眼下に木曽川、天気が良ければ御岳山や、名古屋駅前の高層ビルやテレビ塔も見えるそうだ。 しかし身の安全を図る手摺は低く、高所恐怖症の人には恐ろしい場所だろう。
個人の所有物だった天守閣
犬山城は天文6年(1537)に築城され、江戸時代から明治維新で廃城となるまで、成瀬家が城主であった。 そして明治24年(1891)の濃尾地震で天守は被災。 修復を条件に、幕末まで城主だった成瀬家に譲渡され、成瀬家は再び城主となったそうだ。
その後明治期を含め、大正、昭和、平成の4つ時代を、成瀬家が所有し続けたとは凄い話である。 城の維持管理費だけでなく、相続税などを考えても並大抵なことではない。 さすがお殿様である。
いざ旧花街「櫻楽園」へ
犬山城からの帰りは、メインストリートの「本町通り」を避け、裏道の「大本町通り」に入る。 この「大本町通り」が、旧赤線地帯の「櫻楽園」だそうだ。 「大本町通り」という名前からして、「本町通り」の本家本元。 往時のメインストリートだったことが想像できる。
静かな裏道
「大本町通り」に一歩足を踏み入れると、メインストリートの人混みとは縁遠い、静かな裏通り。 ここが犬山を訪れた真の目的地である。
この「櫻楽園」と呼ばれた花街は、明治末期から盛んになったようで、最盛期には 二十数軒の置屋と120~130人もの芸妓がいたそうだ。
塀の装飾に色香が漂う
料亭だったのだろう。 いかにも花街という色っぽさを持つ建物が残る。
一見ベンガラ調に見えるが、ただ茶色に塗られているだけ・・・
ぬけられました
ここも元は料亭だったと思われる。 この板塀に歴史を感じる。
上の写真の家と棟続きで、凄い看板を掲げる店がある。 「割烹会席香楽」とか「御料理仕出し」とあるので、仕出し中心なのだろう。 しかし現在営業しているのか否か判らない。
この香楽さん横にある細い路地を覗くと、奥に丸い飾り窓が見えた。 路地入口に「ぬけられます」とでも書かれていないか探したが、さすがに無い。
とにかく路地に入ってみる。 この路地の奥には検番があったそうだが、残念ながら取り壊された。
2階の軒下には白熱灯のボール球が並ぶ。 夜になると妖しく灯り、誘蛾灯のように客を誘っていたのだろう。
路地の突き当りを右に曲がり、少し進むと道路に出た。 ぬけられました!
旧花街に残る横綱級の遺構
思わず「オォ~!」と声が出るような建物が現れた。 4軒ほど並ぶ長屋が妓楼跡の香りというか、オーラを強烈に放っている。
扇の装飾を持つピンクのブロック塀、玄関屋根や、入口の上に付けられた装飾窓。 そのものの雰囲気である。
2階の軒下や手摺にはボール球が残り、ベンガラ色の外壁と相まって、夜はさぞかし艶めかしい光を放っていたのだろう。
観光客が多い城下町であるが、そのメインストリートのわずか1本先の道に、遊郭があったとは驚きである。 メインストリートを行きかう観光客の大半は、このような場所があるとは知らないのだろう。
生まれは”線前”だが、幼い頃には売春防止法が完全施行の”線後世代”。 せめて当時の雰囲気だけでも残しておいてもらいたいものである。