訪問日:2018年6月30日
山形市内のレトロ建築探訪日帰り旅 Part-2である。 前半は「山形城「や「文翔館」「旧山形師範学校」など大型の建築物を見学したが、後半は街中に残る古い商店などを中心に訪れた。
天候が悪くて計画が根こそぎ崩れた前日までの秋田の旅と異なり、青空が広がり猛烈な暑さに耐えながら、乗りにくくスピードも出ないレンタサイクルでの街歩きの後半戦である。
花街の面影 「花小路」へ
「旧山形師範学校本館」を訪れた後、向かった場所は七日町の「花小路」である。
「七日町」は正しくは「なぬかまち」と読むそうで、かつては山形芸妓が活躍した「花小路」があった。 昭和初期には100人を超す芸妓がいたが、昭和の後半より娯楽の多様化や芸妓の高齢化、後継者不足などにより衰退の道を歩んだそうだ。
細い路地の「花小路」
山形駅から少し離れた場所の旧花街「花小路」 この少し南側にある「小姓町」には遊郭があったそうだ。
通りには「昭和レトロ飲食街 花小路」と書かれたマップが掲げられている。
花街が衰退してスナックなどに業態変換が進んだのか、元花街とは思えない飲み屋街の雑多感が漂う。
どこの飲み屋街も昼間は寂れた感じであるが、この「花小路」も夜に来ればきらびやかな夜の顔に変身するのだろうか?
花街時代の元料亭だろうか? もはや花街としの天寿は全うしたようである。
花小路入口に建つ「千歳館」
明治9年(1876)創業の老舗料亭「千歳館」 現在も料亭として現役のようである。
街中で見かけたレトロ建築
「花小路」を離れ、街中に点在するレトロな建築物を見て回る。
レトロ感漂う3つのアーチ状の壁飾りを持つ建物。 アーチの下側には、アーチを支える柱の飾りも付いていた。
七日町ニ郵便局
大正14年(1925)築で、当初は洋品店だったそうだ。 建物の右下には昭和レトロな赤くて丸いポストが残されている。
七日町御殿堰
約400年前に造られたという「山形五堰」の一つで、中心街を流れる農業用水。 平成22年に石積み水路として整備されたそうだ。
大沼百貨店
閉店が相次ぐ百貨店業界の中で、地元資本として頑張っている大沼百貨店。 元禄13年(1700)に荒物屋として創業したのが始まりで、百貨店としては松坂屋、三越に次いで3番目に古い老舗だそうだ。 がんばれ! 大沼!!
屋台村ほっとなる横丁
山形の地酒やうまいものが食べられる屋台村。 しかし路地の雰囲気は、時の重みを身にまとった「花小路」にはかなわない。
市島銃砲火薬店
昭和2年に建てられ、山形市内で最初のコンクリート製店舗とのこと。 名前の通り猟銃や火薬を扱っていた。
重厚な外観だが切妻屋根が乗っており、隣の蔵と対比すると面白い。
明善寺
変わった外観を持つお寺なのでパチリ。 あとで調べると鼓楼と鐘楼だそうだ。
なかたち石
行方不明者を探すための、今風にいうと掲示板。 東京の呉服橋と常磐橋の間に立つ「迷子しらせ石」と同じで、、片面に尋ねる人を、もう一方に教える人を書いた張り紙を行った。 頭部には笠石が載っていたようだ。
東京にある「迷子しらせ石」はこちら ↓
怪しげな昭和の香り・・・
街中のレトロ建築を巡る駆け足の旅も後半に入った。 そしてそこで強烈で異彩を放つ建物に出くわし、「これぞ私の昭和の思い出!」と感涙にむせってしまった!
西村写真館
大正10年(1921)築で、当主自ら設計施工したそうだ。 NHKの連ドラにでも出てきそうな、切妻屋根のアーチや2連の小窓、玄関軒下の飾りなどが魅力的である。
怪しく強烈な昭和臭 山形ロマン映劇
西村写真館の隣に建つ倉庫のような建物に目をやると、「山形ロマン映劇」という看板が目に飛び込んできた!
映画館とは思えぬ建物だが、「山形ロマン映劇」という名からピンク映画専門館だろう。 すでに廃業したようだが、ポスターはこの大きな壁に貼っていたのだろうか?
学生の頃にこの手の映画を見に行った時は、ストーリー部分は白黒、絡みの部分はカラーといった「パートカラー」だった。 ストーリーは興味ないので白黒の部分で目をつぶっていると、そのまま眠り込んでしまうことが度々・・・ 懐かしい!の一言。
第一小学校旧校舎(山形まなび館)
県下初の鉄筋コンクリート造りで、アールデコ調の半円アーチなどが美しい。 銀座の秦明小学校などの復興小学校に雰囲気が似ている。
羽州海道沿いの建物
山形市の目抜き通りである羽州海道(国道112号)は「花笠まつり」の会場だそうだ。 この「花笠まつり」は、ひたすら踊りが練り歩くだけなのだろうか?
吉池小児科医院
吉池小児科・皮膚科医院という看板があり、現役の病院のようである。
ひときわ目を引き、どこをとっても立派な造りで、もっと近くでじっくりと眺めたい建物である。
丸太中村近江屋
羽州海道沿いの見世蔵。 現在の建物は明治27年に発生した大火の直後に建てられたそうで、二階部分の装飾は立派なものであった。
この見世蔵の奥に3棟続きの粉蔵、米蔵があるようだが、残念ながら非公開である。
寝装野村屋
丸太中村近江屋の隣に建つ見世蔵。 1800年頃に建造されたそうだが、塔屋を持つ見世蔵は初めて見た。 この塔屋の目的は何だったのだろう?
十日市跡碑
説明文によると、正平11年(1356)に斯波兼頼が山形城主となった時、城南に十日市を設けた場所に十日町が生まれ、城下町山形の発祥をなしたとあった。
紅の蔵(山形まるごと館)
紅花交易で財をなし、山形藩の御用商人として「五人衆」に数えられた「長谷川家」の蔵屋敷だったそうである。
「奥へ抜けられます」との案内を見て裏手に回ると、いくつかの蔵と紅花が咲いていた。
山形城三の丸土塁跡
山形駅に戻る途中に三の丸土塁跡があった。 駅前の観光案内でもらった「城下町やまがた探検地図」を見ると、三の丸を含めた山形城の大きさが良くわかる。
そば処三津屋の半板そば
三の丸土塁跡の近くに、美味しそうな蕎麦屋があったので遅めの昼食。 「板そば」がお勧めで、1人なら「半板そば」が良いというので決定。
運ばれた蕎麦を見てビックリ! 巨大な「ざる」というか「すのこ」の中央に蕎麦が寄り集まっている。 ボリュームは充分にあるのだが、見た目が寂しいというか面白いというか・・・
美味しい蕎麦を食べ終えて山形駅に戻り、サクランボをお土産に買って帰路に着いた。
約5時間ほどの山形滞在であったが、レンタサイクルのお蔭で十分に楽しめた。 これが歩いて回っていたら、暑さで途中リタイアしていたかもしれない。
復元されたものとはいえ、思っていた以上に山形城は立派であった。 しかし「城下町」としての山形市は武家屋敷とかが残る訳でもなく、また街中から城も見えないので「城下町」という雰囲気はあまり感じられなかった。
しかし明治以降に建てられたレトロな建築物が多く残るので、この点をもう少しアピールしても良いのではないかと感じた。
山形市の Part-1 はこちら ↓