岐阜県関市 ”刃物のまち”に刀鍛冶の槌音は聞こえなかった

長良川鉄道

訪問日:2022年4月7日

2021年12月に岐阜県の美濃市を訪れた時、長良川鉄道の関駅で「鉄印」を貰うことを目論んだ。 しかしこの時は、時間が無くなり諦めた。 そして2022年4月、中山道を歩くため岐阜を再訪したついでに、1日を割いて、午前中は犬山城下町の旧花街「櫻楽園」を散策。 その後「鉄印」を得るため長良川鉄道の関駅に向かった。 

関市は日本刀や包丁など、刃物で有名な町である。 もっとも「関の孫六」という名前程度しか知らない。 しかし町を歩けば「トンテンカン」と、刃物を鍛える槌音が聞こえるかもしれないと思いながら、関の町をぶらぶらと歩いてみた。

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長良川鉄道の鉄印

「鉄ちゃん」ではないのだが、ローカル色豊かな鉄道乗車の記念として「鉄印」を貰うようにしている。 前回長良川鉄道の鉄印を得ることができなかったので、この鉄印を貰うために美濃太田駅から関を目指した。

一両編成の車両と、沿線や無人駅の桜。 絵に描いたようなローカル鉄道である。

長良川鉄道

関に到着。 長良川鉄道の本社所在地のようで、ホームも2本ある有人駅であった。

長良川鉄道

駅入り口。さすがに刃物のまちである。

長良川鉄道

鉄印を入手。 「越美南線(えつみなんせん)」とは、旧国鉄時代に岐阜と福井を結ぶ越美線として着工した路線の一部である。 美濃太田と北農駅間が越美南線として営業開始したが、途中で工事は中止され、その後長良川鉄道に移管された。  「越美北線」は、福井からの九頭竜線としてJR西日本が現在も営業している。

鉄印

旧中山道を歩く旅のついでに鉄印を集めているが、岐阜県では明知鉄道に続いて2枚目。 次は第55宿美江寺を走る樽見鉄道だ。

駅から坂下町へ

とりあえず目的を果たしたので、のんびりと関の町中を歩いてみることにした。

駅から南に向かって歩くと、「関善光寺」と案内が出ていた。 帰りに寄ることにして先に進む。

岐阜県関市 岐阜県関市 岐阜県関市

関名物「黒からあげ」

遅めの昼食を食べに、途中にあった手打ちうどんのお店に入る。 メニューに関名物の「黒からあげ」とあったので、その「黒からあげ定食」を注文。 ボリューム感たっぷりの定食だった。

黒からあげ

からあげは本当に黒い。 お店の人に聞くと、椎茸と海藻の”ひじき”を使っているそうだ。 揚げすぎで固そうに見えるが、中は柔らかい。 しかしニンニクやショウガなどに漬け込んだから揚げに比べ、インパクトに欠ける気がした。

黒からあげ

本町通りから鍛冶町、金屋町、常盤町

鍛冶町とか金屋町という町名から、昔ながらの鍛冶屋のような所がありそうなので、スマホの地図を見ながら探訪する。

アーケードの続く本町通りの商店街が現れたが、人気は感じられない。

岐阜県関市

常盤町、金屋町、鍛冶町と続く道を歩く。 左右には袖壁を持つ家が並ぶが、残念ながら鍛冶場のような所はなかった。

岐阜県関市 岐阜県関市

鐘馗様を屋根に乗せた家がある。

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長良川鉄道の踏切。 少し南に進めば、フェザーミュージアムとか関鍛冶伝承館があるが、それより途中で五重塔が見えたので、そのお寺に行くことにした。

長良川鉄道

写真撮影禁止の新長谷寺

遠くに五重塔のようなもの(実際は三重塔だった)が見えたので、そのお寺を訪れてみた。 名前は新長谷寺という立派なお寺であった。 ”はせでら”と読むのかと思ったが、”しんちょうこくじ”と読むそうだ。

新長谷寺の横に、2体のお地蔵様が祀られていた。 説明版によると、1体は享保 もう1体は文政の時代に建立されたとのこと。

新長谷寺

新長谷寺の立派な総門。 この総門から境内に入ると、本堂や三重塔、さらにいくつかのお堂が並ぶ立派なお寺にびっくりである。 しかし境内に入ったとたん目に飛び込んできた注意書き。 「修行の場で観光地ではないので撮影禁止!」

頭の先からつま先まで120%観光客。 どこかから監視されていそうな気がしたので、遠慮して早々に退散した。

新長谷寺

自宅に帰って調べると、別名「吉田(きった)観音」と呼ばれ、室町・鎌倉時代建立の重要文化財が数多くあり、美濃の法隆寺とも呼ばれているそうである。 関市からすれば立派な観光資源であり、多くの観光客を呼び込みたいと、指をくわえているのだろう。

ゆっくり見られなかったのは残念だが、修行の邪魔をしては申し訳ないと思いつつ、新長谷寺を後にした。 新長谷寺から吾妻町方向を望む。

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御開帳していた関善光寺

駅に戻る途中、関善光寺に立ち寄ってみる。 長野以外では甲斐善光寺を知っているが、ここにも善光寺があるとは知らなかった。 さらに運が良いことに、7年に一度の御開帳が行われていた。

本来は昨年行われる予定であったが、コロナの関係で1年延期されていたそうだ。 境内には前立本尊から綱で結ばれた「回向柱」 も立てられ、人も少なかったので心行くまで回向柱に触れて拝むことができた。 「ボケませんように・・・」

関善光寺

 

本町通り商店街を歩けばあったのかもしれないが、町中で包丁など刃物を扱う店舗を目にすることは無かった。 また鍛冶屋らしい工場も見かけなかったので、鍛冶の槌音を耳にすることも無く、”刃物のまち”というイメージは薄れてしまった。

さすがに今時ふいごで火を起こし、トンテンカンと槌音を響かせることは無いのだろう。 しかし現在も刃物は日本一の生産量を誇り、剃刀のフェザーや貝印など企業の発祥の地でもあるそうだ。

いずれにしても歴史を感じる、静かな街並みを持つ関市であった。 長良川鉄道沿線では、もう一つ郡上八幡にも行ってみたいと思っている。 しかし岐阜県は遠い・・・

明日は中山道の鵜沼宿から加納宿、現在の岐阜市までの歩き旅である。

 


 

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