訪問日:2018年6月30日
JR東日本管内を4日間乗り放題の「大人の休日倶楽部パス」を利用して、2泊3日で秋田の白神山地を旅行した。 2泊3日なので、「大人の休日倶楽部パス」の有効期間がまだ1日残り、更に座席指定も2回分が残っている。
秋田から帰った翌日だが、この「大人の休日倶楽部パス」の特典を最大限に活用しようと、レトロな建築物が多く残るという山形市を訪れることにした。
山形城の城下町である山形市は、明治期に2度の大火で当時の街並みの大半を焼失したが、戦争中に空襲を受けなかったのでレトロな建築物が多く残るという。
レンタサイクルで出発
事前の調べで無料のレンタサイクルがあることが判り、山形駅の観光案内所で申し込みを行う。
借りた自転車はシートを限界まで高くしても低すぎ、変則もないので一生懸命ペダルを回してもなかなか進まない”超ママチャリ”。 それでも歩いて回るよりは良いかと出発する。
旧済生館本館(市郷土館)
明治11年(1878)築の凝洋風建築。 当初は県立病院だったが、その後民営に移管され市立病院「済生館」の本館として使用された。
現在は山形城内に移築され、「山形市郷土館」として公開されている。
3層の塔屋と、中庭を囲むように14角形の回廊があり、8つの部屋に区切られて診療室などに利用されたそうだ。
日本百名城の一つである山形城のスタンプがこの旧済生館本館にあるので、前日の秋田城に続いてゲットしておく。
山形城(霞城)
山形藩の初代藩主・最上義光により築城された城である。 この最上義光は仙台藩の伊達政宗の叔父にあたるそうである。
この最上義光の娘「駒姫」は豊臣秀次の側室として召されたが、秀次が謀反の疑いで切腹させられた時に、駒姫も連座を疑われて京三条河原で処刑されたそうだ。 僅か15歳だったとか・・・
南大手門跡
南大手門跡から入城。 大手門を名乗るだけあって立派な石垣が残る。
堀に架かる橋は土橋で、石垣の間隔をみると道幅は広い。 中に入ると立派な枡形となっており、この門がメインではないかと思わせる。
復元された本丸一文字門
本丸を囲む内堀に架けられた大手橋と本丸一文字門全景。 往時は右の石垣の上に「一文字櫓」と呼ばれる櫓門があった。 ぜひ復元を願う。
大手橋を渡り高麗門をくぐると枡形に入る。
枡形内から見た本丸入口である一文字櫓の櫓台。 往時の櫓門の姿が目に浮かぶ。
二の丸東大手門
二の丸の大手(正面)にあたる「二の丸東大手門」 高麗門や櫓門、続櫓などで構成される枡形門である。
櫓門内部が公開され、発掘された瓦や古地図などが展示されている。
続櫓から櫓門を見る。
大手橋から高麗門、櫓門、左の続櫓と、東大手門の全体を見る。
山形城は本丸・二ノ丸・三ノ丸と三重の堀と土塁で囲まれ、奥羽では最大、国内で5番目の広さだそうである。 また関ヶ原の戦いでの功績により、最上家は57万石の大々名となり、城下町は大いに繁栄したそうだ。
今回山形城を訪れ、復元された本丸一文字門や二の丸東大手門を見て、57万石にふさわしい立派な城であったことを知った。
山形城から城下町の散策へ
山形城の見学を終え、街中に点在するレトロな建築物の探索へ出発する。
この日は良く晴れて暑い陽射しが降り注ぎ、盆地特有の暑さなのか、既に汗だく状態での散策開始である。 自転車を借りて良かった!
山形聖ペテロ教会
明治末期の1910年頃の築と伝わるそうだ。 とんがり帽子をかぶった鐘楼の塔や、急勾配の屋根など、絵本から抜け出てきたような教会である。
香味庵まるはち
明治18年創業で、旧羽州海道沿いの老舗漬物屋。 建物は明治期に建造され、大正時代に改修されているそうだ。
湯殿山神社
山形城の鬼門封じとして650年前に創建されたそうで、「夏越の祓(なごしのはらえ)」で茅の輪くぐりが造られていた。
作法にのっとり八の字に三回くぐって穢れを祓ったが、べったりとこびりついた私の穢れは綺麗になったのだろうか?
文和五年阿弥陀板碑
昭和46年に極楽寺境内の土中から発見されたそうだ。 「上部に阿弥陀如来の種子(梵字)キリークを刻み」と説明されていたが、「阿弥陀如来の種子」って何じゃ? と意味が判らなかった。
文翔館 (旧県庁舎、県会議事堂)
旧県庁舎
大正5年に建設された建物。 昭和50年まで県庁舎として使用されていたそうで、豪華な歴史的建造物である。
国の重要文化財に指定されているが、現在は山形県郷土館として公開されている。
建物に一歩踏み入れると、大正時代にワープしたうような感覚に陥る。
内装も豪華な「正庁」 訓示や辞令交付等を行った部屋で、講堂にあたるそうだ。
「知事室」 机や椅子などの調度品も含めて復元し、映画「るろうに剣心」のロケが行われたそうだ。
県会議事堂
旧県庁舎の隣には、レンガ造り2階建ての旧県会議事堂も残されている。
一歩中に足を踏み入れると、高くかまぼこ型にカーブする天井に、思わす「オォ!」と感嘆の声を上げてしまう。
旧山形師範学校本館へ
「文翔館」の見学を終えて裏手に置いた自転車に戻った時に、山形城の次に見た「山形聖ペテロ教会」に似た教会があることに気付いた。
山形六日町教会
「文翔館」より古い大正3年築だそうで、教会そのものは明治10年代の伝道所として開設されたそうだ。
建物の色や形も、「山形聖ペテロ教会」に似ているようだ。
旧山形師範学校本館(教育資料館)
明治34年(1901)築。 時計台やアーチを描く屋根や飾り窓など実に優雅である。
すぐ隣には師範学校の講堂も残されている。
「山形城」と「文翔館」はなかなか見応えのある建物であった。 また旧山形師範学校本館も一見の価値はあるが、今回は時間の関係で内部の見学はパスしてしまった。
更に多くのレトロ建築を訪れたが、これらはPart-2で紹介することにしよう。
山形市 Part-2 はこちら ↓