旅行日:2023年5月26日
彦根に1泊した翌朝、昨日のゴールであった近江鉄道愛知川駅に降り立ち武佐宿を目指す。
武佐宿は愛知川宿のすぐ隣。 10Kmほどの距離だが、途中「五個荘」へ寄道するので、中山道はさほど先に進むことはできない。
近江商人というと五個荘・近江八幡・日野が有名だが、中山道沿いの五個荘や豊郷・愛知川から生まれた商人は「湖東商人」とも呼ばれているようだ。
コースデータ
- 日 付 :2023年5月25日
- 街道地図 :愛知川宿~(五個荘)~武佐宿
- 宿間距離 :愛知川宿 ~ 武佐宿 2里18町(9.8Km)
- 日本橋から:累計123里25町(485.7Km)
- 万歩計 :25,042歩
※ 街道地図はGPSログを基に、実際に歩いたコースをGoogleMap上に作図
愛知川宿を出発
愛知川駅から再び愛知川宿眺めながら歩き、武佐宿を目指す。 この日のハイライトは、近江商人発祥の地「五個荘」である。 まずは「五個荘」目指してスタートである。
愛知川宿の京方出口を流れる不飲川を渡ると、国道8号に合流である。 橋には愛知川の伝統工芸である「びん細工てまり」のモニュメントが飾られている。
愛知川一里塚
国道8号に合流し、道路反対側の奥まったところに1本の石柱が立つ。 日本橋から122里の愛知川一里塚跡である。
愛知川を挟んだ「睨み灯篭」
国道8号を進み御幸橋を渡って愛知川を越える。 この愛知川を挟んで2つの常夜灯が立ち、お互い対峙しているので「睨み灯篭」と呼ばれている。
祇園神社の常夜灯
御幸橋手前にある祇園神社に、大きな常夜灯が立つ。
御幸橋
御幸橋で愛知川を渡る。 かつては無賃橋が架かっていたが、明治天皇巡幸のため馬車の通れる板橋を架橋。 その後地元に払い下げを受け「御幸橋」と名が付いた。
大神宮常夜燈
愛知川を渡ると、東近江から五個荘地区に入る。
旧道入口に立つ大神宮常夜燈。 愛知川対岸の祇園神社常夜灯と対峙しているので「睨み灯篭」と呼ばれている。
小幡でこ
五個荘中町の旧中山道。 国道8号の喧騒を離れホッとする。
やがて五個荘小幡地区に入る。 ここは「小幡でこ」と呼ばれる郷土玩具の家がある。 「でこ」とは「土人形」のことで、家の前にいくつか並べられていた。
トタンで覆われた茅葺屋根の家の先で近江鉄道の踏切を渡る。 踏切を越えた先を左に曲がれば五個荘駅である。
街道風情の色濃い道を進むと、右に小幡神社御旅所、その向かいに中澤酒造が現れる。
御代参街道道標
小幡から東海道の土山宿を結ぶ、御代参街道との分岐に道標が立つ。 江戸時代中期、皇族の名代が伊勢神宮や多賀大社への参詣に通ったことから御代参街道と名が付いた。
道標には「右京みち 左いせ ひの八日市みち」と刻まれている。
旧中山道ポケットパークには、「村中安全」と刻まれた大神宮常夜燈が立つ。
五個荘金堂地区へ
近江商人発祥の地と云われる五個荘。 中でも金堂町は、現在も商人たちの本宅と伝統的な農家住宅が立ち並び、美しい町並みを作り出しているという。 公開されている近江商人屋敷もあり、中山道を途中で外れて金堂地区の町歩きへ寄道する。
名残り松
街道は大同川という小さな川を渡り、左に五個荘中央公園を見ながら進む。 やがて右に1本の立派な松が現れた。 「名残り松」と呼ばれ、後ろの白壁の土蔵は「中山道散策案内所」である。
次に現れたのは楠木だろうか? 古木だがかなり剪定されているようだ。
街道の両側に、趣のある茅葺屋根の家が現れる。 屋根に白いものがいくつも乗っており、「何だろう?」とよく見ると、どうもアワビの貝のようである。 カラスなどの鳥が、巣作りに萱を引っこ抜いていくことを防ぐそうだ。
地蔵堂
地蔵堂が祀られる。 この地蔵堂を右に曲がって街道を外れ、五箇荘金堂地区に向かう。
この地蔵堂で右に曲がり、国道8号を越えて五個荘竜田町から金堂地区へと寄道である。
五箇荘金堂地区に関しては、下記を参照。
街道に戻り再び武佐宿を目指す
五箇荘金堂地区の町歩きを終え、再び中山道の地蔵堂に戻り、街道歩きを再開する。
西沢梵鍾鋳造所と旧五個荘郵便局跡
玄関先に大きな梵鐘が置かれる西澤梵鐘鋳造所。 西澤家は9代300年にわたり鋳造を行っているそうだ。
向かいは旧五個荘郵便局跡の松井家住宅。 石造りの家に見えるが、木造2階建てにモルタルを塗ってある。 木造とは思えない・・・
五個荘北町家の街道を進み、保存修理中でシートで覆わた片山家住宅の先に、綺麗に手入れされた茅葺屋根の家が現れる。
案内版には「片山半兵衛家」とあり、大名家などの小休所として利用されたとある。
若宮八幡宮と観音正寺道標
五個荘石塚に入ると、小さな祠と灯篭がある蔵のような建物が現れた。 蔵の入口の上には「若宮八幡宮」とあるので、鳥居はないが神社のようである。
若宮八幡宮向かいの細い路地入口に、「三十二番かんのん正寺」と刻まれた観音正寺道標が立つ。
観音正寺は西国32番札所で、聖徳太子が建立したと伝わり、この細い路地から国道8号を越えた山の上にある。
道標の上には千手観音と思われる石仏が祀られ、綺麗に花が手向けられていた。
石塚一里塚跡
街道風情が無くなり、アパートの前に石塚一里塚の碑が立つ。 日本橋から123里である。
国道8号との合流点手前に、道中合羽姿に天秤を担いだ近江商人像が立つ。
国道8号に合流。 右に見える繖山(きぬがさやま)の中腹に観音正寺があり、山頂付近には日本百名城に数えられる「観音寺城址」がある。
この先街道は万葉の昔から多くの歌に詠われた老蘇(おいそ)の森を通り、武佐宿へと入って行く。 武佐宿は伊勢に向かう八風街道の追分があり、海産物や紙・布などの物資の往来で賑わったという。
はたしてどの様な宿場風景を残しているのだろうか?