中山道 第63宿 鳥居本宿(1) 中山道最後の峠を越える

鳥居本宿

旅行日:2022年11月11日

番場宿を出発し、京へ向けて中山道最後の峠となる摺針峠へ向かう。 摺針峠からは琵琶湖を望むことができるという。 峠を下れば鳥居本宿。 その先は琵琶湖沿いの平地を進むことになる。

木曽路を抜けて落合宿に入った時、「これで山道も終わりだ・・・」と寂しい気分になったが、この摺針峠は本当に最後の峠である。 最後の峠道を楽しみながら歩いてみよう。

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コースデータ

  • 日 付  :2022年11月11日
  • 街道地図 :柏原宿~醒井宿~番場宿~鳥居本宿
  • 宿間距離 :柏原宿 ~醒井宿 1里(3.9Km)
  •      :醒井宿 ~番場宿  1里(3.9Km)
  •      :番場宿 ~鳥居本宿 1里1町(4.0Km)
  • 日本橋から:累計117里25町(462.1Km)
  • 万歩計  :27,323歩

※ 街道地図はGPSログを基に、実際に歩いたコースをGoogleMap上に作図

小摺針峠へ

西番場を出ると、街道のすぐ左は名神高速道路。 高速の土手沿いに伸びる旧道は徐々に勾配を増し、摺針峠の手前にある小さな小摺針峠へ向かう。

小摺針峠へ

小摺針峠越えの旧道。 振り返って伊吹山に別れを告げようと思ったが、残念ながら霞んで見えなかった。 そして自転車で中山道を旅している女性が追い抜いて行ったが、さすがにこの坂はきつい。 途中から自転車を押していた。

小摺針峠

名神高速道はトンネルに入り、旧道はその上を進んで小摺針峠の頂上を迎える。 頂上は市境で、米原市から彦根市へと入る。 

小摺針峠

小摺針峠の頂上は単なる坂道の上といった感じで、すぐ下りに転じる。 名神高速道のトンネルも短いようだ。

旧中山道

泰平水

往時から旅人の喉を潤した泰平水が、今も流れ落ちている。 しかし飲むには勇気がいる。

泰平水

小摺針峠を下ると三叉路となり、分岐には中山道道標が立つ。

旧中山道

摺針峠へ

小摺針峠を下り終えると、すぐに摺針峠の上りである。 江戸から京に向けて中山道を歩く時の最後の峠越えである。 峠からは琵琶湖を遠望することができるというが、果たして見えるだろうか? 期待に胸を膨らませながら、峠道を一歩一歩進んでいく。

摺針一里塚跡

摺針峠入口に、日本橋から118里の摺針一里塚跡の石碑が立つ。 一里塚の遺構は残されていない。

摺針一里塚跡

摺針峠へ

摺針峠に向かう街道沿いの小さな集落。 昔の摺針村である。 

摺針峠

やがて道路脇に細く残された旧街道に入り、上に見える鳥居を目指す。 摺針峠の頂上には神明宮があり、峠の名の由来となった老婆を祀っている。

摺針峠

超訳異訳 摺針峠の名の由来

昔々 学問に挫折した青年がトボトボとこの地を通ると、一人の老婆が石で斧を研いでいた。

「何やってんの?」と聞くと、斧を研いで針を作るという。

「ゲゲッ!」 それを聞いて己の未熟さに気付いた青年は、その後勉学に励み弘法大師になったという。

「弘法も筆の誤り」というが、若き頃から失敗を繰り返していたようだ。

摺針峠からの琵琶湖は・・・

江戸時代の摺針峠には大きな茶屋があり、参勤交代の大名や朝鮮通信使、皇女和宮も立ち寄ったという。 また旅人は絶景を楽しみながら「するはり餅」に舌鼓を打ったそうだ。

望湖堂

摺針峠の頂上にあった茶屋の「望湖堂」からは、琵琶湖を見渡す絶景が広がっていたというが、残念ながら平成3年に火事で焼失したという。

今は干拓されて琵琶湖は遠ざかっているが、往時は眼下に湖が広がっていたのだろう。 この日は残念ながら霞んでよく見えなかった。 それ以上に、Fテック社のエレベーター試験棟が景観を壊している。

摺針峠

摺針峠を越えて振り返る。 正面の家が望湖堂跡で、右の急坂が旧中山道である。 左の車道は、切通しとなって傾斜を緩めている。

摺針峠

中山道最後の山道を行く

摺針峠の望湖堂跡から下ると、車道から左に分れる踏み跡に入り、急斜面を下っていく。 「本当にこれが旧中山道か?」と思えるほどの細い踏み跡で、大回りして下る車道のショートカットのようである。

左の旧中山道への分岐。 見落としてしまいそうな細い道である。

摺針峠

急斜面に付けられた獣道のような踏み跡を進む。 一応手すりが付いているが、腐食しているようで頼りになりそうもない。 しかしこれだけの手すりが作られているので、やはり旧中山道なのだろう。

摺針峠

急斜面を下り終えると車道に出るが、向かいの車の待避所のような所から、さらに山中へと分け入っていく。

摺針峠

最初は雑草を掻き分けるように進むが、やがて林の中に道筋が現れてきた。

摺針峠

最後に竹やぶを抜けると右に工場の塀が現れ、峠道を終えて車道に合流する。 中山道最後の峠越えは、距離は短いがなかなか楽しいコースであった。

摺針峠

北国街道との分岐点

中山道の鳥居本宿は、朝鮮人街道や越前に向かう北国街道が分岐する交通の要衝であった。 摺針峠を下った地点は、この北国街道との追分であった。

摺針峠を下った旧街道は、下の写真の左側から茶色の建物の奥を右へと続き、民家の間を進むと矢倉川に行く手を阻まれてしまう。

旧街道を進む前に国道8号に出て、「摺針峠望湖堂」と彫られた大きな石碑を見る。

望湖堂石碑

矢倉川にぶつかった所に、「左北国 米原 きの本道」「右中山道」と彫られた道標が立ち、ここが中山道と北国街道の追分のようである。 国道8号に迂回して矢倉橋を渡り、鳥居本宿へと入って行く。

北国街道追分

以前に中山道の追分宿から分岐する北国街道(善光寺道)を、自転車で新潟の直江津まで旅したことがある。 この時に、いつか直江津から鳥居本までの北国街道(北陸道)にも行ってみたいと考えた。

そして今回鳥居本の北国街道終点に立ち、改めて直江津から鳥居本を目指して歩こうと思ってしまった。

東海道は小田原で止まったままだし、松本から糸魚川への千国街道にも行きたい。 もう残された時間は少ない・・・ 頑張れ 自分!!

 


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