旅行日:2022年11月10日
近江の国、現在の滋賀県に入って最初の宿場である柏原宿に到着。 古代東山道の宿駅として栄え、両隣の今須宿・醒ヶ井宿との間はそれぞれ1里と近いが、宿場の規模は大きかったという。
JR東海道線の駅があるにも関わらず、現在も街道筋には往時を偲ばせる建物が残る静かな町である。 また伊吹山の眺めも良い。 新幹線から眺める伊吹山は、あっという間に消えさってしまうが、じっくりと眺めながら歩くことができる宿場でもある。
コースデータ
- 日 付 :2022年11月10日
- 街道地図 :関ケ原宿~今須宿~柏原宿
- 宿間距離 :関ケ原宿~今須宿 1里(3.9Km)
- :今須宿 ~柏原宿 1里(3.9Km)
- 日本橋から:累計114里24町(450.3Km)
- 万歩計 :21,313歩
※ 街道地図はGPSログを基に、実際に歩いたコースをGoogleMap上に作図
柏原宿と伊吹山
柏原宿は東西13町(約1.4Km)で、本陣1、脇本陣2、旅篭22軒、問屋6軒で、戸数人口も加納宿(岐阜市)や高宮宿(彦根市)に次ぐ規模だったそうだ。
正面の丸山に向かって街道が伸びている。
街道の右手にそびえる伊吹山。 伊吹山は高山植物が豊富だそうで、7月~8月頃の花盛りの季節に訪れてみたい。
八幡神社横からの伊吹山。
柏原宿東町から市場町へ
JR柏原駅入口を過ぎると東町から市場町となり、宿場の中心部に入る。 そして街道沿いの家々には、かつての屋号が掲げられている。
蝋燭屋助三郎
助三郎という屋号の蝋燭(ろうそく)屋。 江戸時代は油を使った行灯の灯りが主で、蝋燭は贅沢な品だったようだ。
造り酒屋の西川家
造り酒屋だった西川家。 その先の木立のある家は問屋の吉村家で、昭和の代表的な映画監督だという吉村公三郎の実家だそうだ。
本陣跡 皇女和宮が宿泊した
皇女和宮が降嫁時に宿泊した、本陣の南部家。 和宮は宿泊当日朝に愛知川宿を出発し、夜は柏原宿に宿泊。 翌日は関ケ原を越えて赤坂宿まで進んだ。
秋葉山常夜灯と高札場跡
柏原宿の中心、市場橋から柏原宿の東側を振り返る。 常夜灯の横には高札場跡の説明板も立っている。
この日は関ヶ原から歩きはじめて柏原宿まで歩き、少し早いがここで終了とした。 そしてこの日の宿泊地である米原に東海道線で向かう。
米原の目的は「大谷吉継の首塚」を訪れることで、ついでに北国街道の宿場でもあった米原の町並みを楽しむことにした。
市場橋から柏原宿西側へ
一夜明けた翌日、米原から柏原へ戻り、昨日の終了地点である市場橋から再スタートである。
市場橋から西に続く今川町に入ると、「伊吹艾(もぐさ)」を商う「伊吹堂亀屋佐京商店」がある。 柏原宿はもぐさが特産品で、最盛期には10軒以上のもぐさ屋があったという。 「怒られてお灸を据えられた」ことはあるが、実際のお灸は経験が無い。
市場橋から柏原宿西側の街道風景。
もぐさの「伊吹堂」と福助人形
寛文元年(1661)創業で、広重の浮世絵・木曽街道六十九次の「柏原」のモデルとなった「伊吹堂亀屋左京商店」が残る。 浮世絵にも描かれた巨大な福助人形も残るが、現在は残念ながら撮影禁止である。
左が「伊吹堂亀谷左京商店」。 右は造り酒屋「巌佐九兵衛跡」で、柏原宿で最も宿場の雰囲気を残す場所である。
亀屋の六代目・松浦七兵衛は、江戸や大阪まで広範な宣伝活動を行って店を繁盛させたという。
その宣伝手法とは、江戸吉原の遊女に「江洲柏原 伊吹山のふもと 亀屋佐京のきりもぐさ」と宴会の席で唄わせ、亀屋左京の名を広めた。
遊女に歌わせるためにつぎ込んだ金は広告費であり、その費用対効果はかなり高かったのだろう。 凄い発想だ!
福助人形は商売繁盛・千客万来・福徳招来などのご利益があるといわれるが、その由来の一つに、この伊吹堂の番頭がモデルという説がある。
伊吹堂の番頭・福助は正直者で、袴と扇子を常に身に付け、道行くお客さんにもぐさを勧めていた。 そしてお客さんには感謝の意を表し、真心で対応したので商売は繁盛したそうだ。
この話を聞いた京都の伏見人形屋が、「福を招く縁起物」として、福助の姿を模した人形を売り出したのが福助人形の由来という説がある。
柏原歴史館
伊吹堂の向かいには造り酒屋「巌佐九兵衛跡」で、醸造に使われた大きな樽が残されている。
少し先に進むと、伊吹堂亀屋佐京商店の分家・旧松浦家住宅を利用した柏原歴史館がある。 大正6年(1917)に建てられ、内部が公開されている。
伊吹堂で見ることができなかった福助人形がたくさん飾られている。 歴史館の方に伊吹堂の福助の話を聞くと、「大きさは天井に届くほどで、ハリボテのようなもので出来ている」とのことだった。
柏原宿今川町・西町
柏原歴史館を過ぎ、宿場の出口に向かって進む。 宿場全体では、市場橋を中心に東側と西側に分れるが、伊吹堂のある西側の方が宿場の面影は色濃く残っているようである。
漆喰で造られた虫籠窓を持つ家が現れた。 建て替えられたのか洒落ている。
西の荷蔵跡と柏原銀行跡
左手前の紅葉のある場所は、柏原宿に2箇所あったうちの一つ「西荷蔵跡」。 白い漆喰の建物は旧柏原銀行跡で、現在は福祉交流センターとなっている。
「やくし道」道標
正面に「従是明星山薬師堂」、左に「やくし江乃道」、右に「屋く志への道」と刻まれる。
お茶屋御殿跡と火の見櫓モニュメント
十字路を左に曲がると、昔の火の見櫓が復元されている。 十字路右側には、2代将軍徳川秀忠が建てたお茶屋御殿跡が公園となっている。
郷宿跡 脇本陣と旅籠の中間クラスの宿
郷宿とは脇本陣と旅籠の中間程度の宿泊施設で、身分の高い武士や村役人が、公用で旅する時に泊ったそうだ。 江戸からこの柏原までの間で、初めて聞くような気がする。
柏原一里塚へ
中井橋という小さな橋を渡り、さらに進むと金毘羅山常夜灯が立つ。 ここまで来ると人家は途絶え、最期に柏原宿を振り返る。
街道から少し外れた場所に、日本橋から115里の柏原一里塚が復元されている。 右の並木が中山道だが、のどかな街道風景である。
並木沿いに「西見附跡」の説明版が立つ。 柏原宿の西の入口である。
天気は秋晴れ。 のどかな田園風景の中を足取り軽く、次の宿場である醒ヶ井宿を目指そう。