のんびり中山道 関ヶ原宿~今須宿~柏原宿(2022/11/10)

マーカーリスト

写真レポート


関ヶ原宿

2022/11/10 10:04:48

関ヶ原宿

旧街道は国道となって拡幅されたが、左右にうねる道は旧街道の面影を残している。



藤堂高虎陣跡

2022/11/10 10:14:01

藤堂高虎陣跡

関ヶ原中学の校庭に、築城の名手といわれた藤堂高虎の陣跡碑が立つ。 関ヶ原の戦いでは、福島正則と共に西軍の大谷吉継と激突した。



不破の関

2022/11/10 10:43:09

不破の関

古代東山道の関所跡。 壬申の乱(672年)の後に、都を守るために天武天皇の命により設置された。



大谷吉継墓道標

2022/11/10 10:51:57

大谷吉継墓道標

旧道は分岐を右に進むが、分岐点に大谷吉継の墓への道標が立つ。 この道標の裏には「矢尻の池」がある。 壬申の乱のとき、水を求めて大友皇子軍の兵士が矢尻で掘ったと伝えられている。



大谷吉継の墓

2022/11/10 11:20:26

大谷吉継の墓

大谷吉継の陣跡を経て墓まで山道を上る。 この墓は大谷吉継を攻めた藤堂高虎が、敵将を敬い建てたもの。 左の墓は大谷吉継を介錯した湯浅五助の墓。



山中集落を進む

2022/11/10 11:42:50

山中集落を進む

古代東山道の宿駅だった山中集落。 壬申の乱では合戦の場となった。



黒血川地蔵尊と鶯の滝

2022/11/10 11:47:32

黒血川地蔵尊と鶯の滝

右に鶯瀧地蔵菩薩、黒地川地蔵尊を祀る社があり、左には鶯の瀧が流れ落ちている。 この先で新幹線のガードを潜り、常盤御前の墓へと向う。



常盤御前の墓

2022/11/10 11:51:59

常盤御前の墓

源義経の母である常盤御前は、東国に走った義経の行方を追ったが、この地で土賊に襲われて息を引き取ったという。



今須一里塚

2022/11/10 12:20:29

今須一里塚

日本橋から114里。 国道工事で一度壊されたが、平成2年に復元された。 塚に立つ木は榎だという。



妙応寺 徳川家康腰掛石

2022/11/10 12:40:44

妙応寺 徳川家康腰掛石

街道を外れ、東海道線の下を潜ると妙応寺がある。 関ヶ原合戦の翌日、徳川家康が今須宿本陣に立ち寄り、休憩時に腰かけた石を移設したそうだ。



今須宿問屋場跡

2022/11/10 12:45:56

今須宿問屋場跡

今須宿には人馬継立の問屋が7軒あった。 写真はその中の1軒である山崎家。 文政3年(1820)の築だそうだ。



車返しの坂

2022/11/10 13:02:39

車返しの坂

左に分岐する草付きの坂が旧道。 荷車や牛車が引き返すほどの急坂かと思いきや、もっと面白い逸話から名付けられた坂である。 本編に詳細有り。



美濃と近江の国境

2022/11/10 13:24:03

美濃と近江の国境

街道を横切るような溝。 美濃と近江の国境で、「寝物語の里」と呼ばれる地に入る。



分水嶺

2022/11/10 13:38:00

分水嶺

街道沿いの長比城跡登り口の石柱脇の側溝に、「この水は伊勢湾に流れる」と書かれた小さな案内版が立つ。 GoogleMapを見ると「分水嶺」となっているが、琵琶湖と伊勢湾の分水嶺か?



柏原宿に入る

2022/11/10 13:54:39

柏原宿に入る

日本橋から60宿目。 近江国に入って最初の宿場である。 正面の山は「丸山」



高札場跡からの町並み

2022/11/10 14:16:30

高札場跡からの町並み

市場橋から柏原宿を振り返る。 常夜燈が立つ所は、かつて高札場があった。 



伊吹堂

2022/11/10 14:44:14

伊吹堂

寛文元年(1661)創業の伊吹もぐさ店。 広重の木曽街道69次「柏原」に、福助人形と共に描かれている。 福助人形は現在も残っているが、撮影禁止のようだ。