2019/12/13 10:10:43
12月中旬だが、山の雪化粧は思ったほど多くは無かった。
2019/12/13 10:14:58
右手の錫杖と左手の十字架を高く掲げ、合唱する姿は印象的である。
2019/12/13 10:23:59
左の庭田屋は、映画「男はつらいよ」で寅さんが宿泊したそうだ。
2019/12/13 10:41:50
上在郷橋という小さな橋を渡り、右に曲がって川沿いに下る。
2019/12/13 10:43:27
アーチを持つ2つの橋が見える。 阿寺渓谷から流れる阿寺川の合流地点である。
2019/12/13 11:00:20
通行不能と言われるしらなみ坂に挑戦。 最初は道があるが、最終的に踏み跡も消えて通行不能であった。
2020/01/17 18:09:30
踏み跡も消失し踏破を断念。 戻るのも面倒なので国道に出る。
2019/12/13 11:36:51
GoogleMapに「田口マーク」と出ていた。 調べると車のハンドルをデザインした西濃運輸の社章で、創始者・田口利八の生家がある所だそうだ。
2019/12/13 11:50:32
八人石集落を過ぎると、国道下を流れる水路に設けられた地下道を通って十二兼集落側に出る。
2019/12/13 12:00:33
十二兼駅の跨線橋を渡って国道に出て、十二兼一里塚跡碑を見に行く。 日本橋から78里、京へ59里である。
2019/12/13 12:14:49
上流に柿其溪谷のある柿其川との合流地点。 河原には大きな石が並ぶ。
2019/12/13 12:24:32
読書ダムから読書発電所への導水路。 山中に突然現れる巨大なコンクリート構造物は、大正12年(1923)に建設された。
2019/12/13 12:37:30
左右から山が迫っている。 「羅天の桟道」と呼ばれる、木曽路最大の難所が近づいてくる。
2019/12/13 12:48:23
中山道随一の大難所といわれた「羅天の桟道」。 往時は険阻な道だったのだろうが、現在は車が行き交う立派な道となっている。
2019/12/13 13:24:05
第41宿。 宿場内は古い家は少ないが、「かぎや」とか「あやめ」などと、昔の屋号の看板が吊るされる。
2019/12/13 13:25:33
脇本陣を勤めた宮川家。 明治の大火で消失し、説明板が無ければ気付かずに通り過ぎてしまう。
2019/12/13 13:30:51
旧中山道は、ガードレールの隙間から狭い階段を下る。
2019/12/13 13:35:08
階段を数段上がり、民家前を通る旧中山道。 細い砂利道が現れた。
2019/12/13 13:50:49
旧中山道から右に分岐し、JRの跨線橋を渡って南木曽駅へ向かう。
2019/12/13 13:50:04
大同電力(現中部電力)の社長であった福沢桃介が、読書発電所建設のために大正11年(1922)に架けた。
2019/12/13 13:55:34
昔は三留野という駅名だったそうだ。