今市宿から鉢石宿 そしてゴールの日光・神橋へ

神橋

旅行日 : 2018年03月26日

昨年9月に宇都宮から今市までを歩いた際に左足を痛め、その後完治と言うには程遠い状態だが、だいぶ歩けるようになった。 そこで日光街道の最後に残された今市から鉢石宿、そして最終ゴールである日光・神橋に向けて歩いてきた。

約半年ぶりの街道歩きだが、今回は杉並木と日光東照宮を訪れるというと、妻が「私も行く!」と初めての参戦である。

今回で何とか日光街道に決着をつけたいと思うが、果たして足は持つのだろうか? 天気は良いが、足に不安を抱えての歩き旅の開始である。

日 付 区 間 宿間距離 実距離 万歩計 ルート
2018年3月26日 今市宿から
鉢石宿・神橋
8.5Km 10.2Km 18,698歩 Map
日本橋からの累計
(累計日数 : 14日目)
149.7Km 195.03Km 270,570歩

宿間距離 : 各区間のコース計画時、ルートラボを利用して計測した距離。

(宿間距離の数値クリックで、ルートラボの計画ルートを表示)

実距離  : 寄り道などを含め、GPSログを基に基に実際に歩いたコース距離。

(ルート欄の「Map」→ GPSログから作図した実ルートを表示)


 

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今市宿

今市宿は江戸から20番目の宿場で、日光街道のほか、壬生道、会津西街道、日光北街道などが集まる交通の要衝でもある。

昔は「今村」と呼ばれていたそうで、村人たちが集まって定市が開かれるようになり「今市」と呼ばれるようになった。

二宮金次郎が神様に!

東武鉄道の下今市駅前から右手の細い道に入ると、報徳二宮神社がある。 「二宮金次郎」の名で知られる「二宮尊徳」を祀る神社である。

「二宮金次郎」といえば、薪を背負って歩きながら勉強する姿の像しか知らなかったが、この地で神様になっていたとは・・・ 神社の裏手には二宮尊徳の墓碑が立つ。

二宮尊徳墓碑

渡邊佐平商店 お酒購入をあきらめる・・・

天保13年創業の造り酒屋で、街道沿いには「こもかぶり」が置かれている。 ここで酒を買うと日光まで担いで歩かないといけないので、利き酒の甘い誘惑を断ち切って先へと進む。

渡邊佐平商店

二宮尊徳終焉の地

正面に「今市宿」と書かれた大きな木の柱が立つが、側面には「二宮尊徳翁終焉の地」とも書かれている。

二宮尊徳終焉の地碑

これは何か?

街道沿いの連子格子を持つ家。 玄関前にはトーテムポールのような彫り物が立つ。

今市宿

再び杉並木へ

今市宿を抜けると、再び杉並木が始まる。 国道から離れ、静かな杉並木の中を3.5Kmほど歩くことができる。

滝尾神社

杉並木の始まる左に、風車を祀る滝尾神社がある。 境内には奉納されたかざぐるまが風に回り、風車の色が赤は厄除け・健康長寿、桃色は方位除け・縁結び、黄色は金運を示すそうだ。

滝尾神社

杉並木公園

杉並木沿いに杉並木公園が整備され、「朝鮮通信使今市客館跡」を示す大きな石碑や、二重連の水車がある。 水車には水が流れておらず、回っていなかった。

杉並木公園

杉並木公園から線路越しに、日光連山の女峰山(左、2483m)と赤薙山(右、2,010m)を眺める。

日光連山

1,000万で杉並木のオーナーに!

杉並木には個人名や企業名の札が付いた大樹がある。 杉並木オーナー制度というもので、杉並木保護に賛同された人が、並木杉1本につき1000万でオーナーになるそうだ。 10万位なら私でも・・・と思ったが、桁が違いすぎる!

日光街道杉並木

野口薬師堂

杉並木を進むと、境内入口に石の鐘楼が置かれる野口薬師堂がある。

昔ここには青雲山蔵寺という寺があり、貧しい寺のため釣り鐘を造ることができず、代わりに日光廟造営にたずさわった石工に頼んで造らせたという説があるようだ。

竜蔵寺薬師堂

国道沿いの杉並木

杉並木は国道119号に合流し、杉並木の中を国道が走るようになる。 交通量も多く、また歩道も無い危険な国道歩きを余儀なくされる。

常夜灯

国道に合流すると、立派な常夜灯が立っていた。 東京ではもう桜が咲いたが、この付近ではまだ梅が盛りであった。

常夜灯

歩道が消え土手の上を歩く

歩道が無くなり白線内の路側帯も狭く、車がすぐ脇を掠めるように走る怖い部分がある。

良く見ると並木の土手に上がる踏み跡があり、土手上をしばらく歩くことになる。 しかし基本は路側帯を歩くので十分注意が必要である。

日光街道杉並木

「並木太郎」とか「銀杏杉」と名の付いた大きな杉も、この歩道のない区間にある。 車がスピードを出して頻繁に走るので、ゆっくり見ている余裕はなかった。

男体山が顔を出す

並木が切れたところで、男体山が顔を出した。 日光に近づいたことを実感する。

日光街道杉並木

異人石

宝殿交差点の先で杉並木は国道から外れ、200mほどだがホッとする旧道歩きに戻ることができる。 この旧道の中に「異人石」と呼ばれる石が残る。

明治の頃に、杉並木を愛する外国人が石屋に頼んで座りやすく削ってもらい、毎日ここに座って並木を眺めていたそうだ。

異人石

痛めていた左足が痛み出したので、「ちょうど良い!」と異人石に座ってしばし休憩をとる。 座って眺める杉並木の風景は、確かにきれいである。

最後の杉並木

JR日光駅の入口となる相生町交差点まで来ると、杉並木も終わりが近い。 この交差点付近には木戸があったようだが、今は何もない。

日光街道杉並木

東武日光駅

最後の杉並木を抜けると、東武日光駅である。

東武日光駅

鉢石宿

鉢石宿は日本橋から21番目、日光街道最後の宿場である。 徳川家康が東照宮に祀られると、その門前町として栄えた。

鉢石宿の街並み

東武日光駅から日光街道のゴールである神橋までの間は、日光東照宮の門前町である「鉢石宿」。 東照宮に向けてゆるく連続する坂道の両側には、日光名物の湯葉や羊羹の老舗が並ぶ

鉢石宿

地名の由来「鉢石」

地名の由来となった「鉢石」が残る。 地表に露出した岩盤で、鉢を伏せたような形をしていることから「鉢石」と称された。

鉢石

板垣退助像

金谷ホテル入口には板垣退助の像が立つ。 戊辰戦争の時、幕府方の大鳥圭介と官軍の板垣退助が話し合い、日光を戦火から守った功績により像が立てられた。

板垣退助像

神橋 日光街道ゴールへ到着!

痛い足を引きずって、ついに日光街道のゴール「神橋」へ到着である。

神橋

将軍や勅使しか渡れない橋であったが、現在は300円で誰でも渡ることができる。

「せっかくなので・・・」と料金を払って渡ってみたが、富士山と同じで、少し離れた所から橋全体を眺める方が良いようだ。

神橋

平成の大修復を終えた日光東照宮へ

平成の大修復を終え、昨年3月に一般公開された陽明門を訪れようと、東照宮へ足を伸ばす。 特に修復を行った結果、目がパッチリしたと評判の「三猿」を見逃す訳にはいかない・・・

陽明門

我が国で最も美しい門と云われる「陽明門」。 彫刻の数は508体もあるそうで、胡粉の白地や漆黒の漆の上に金箔や極彩色に彩られている。

日光東照宮

平日の月曜なので人は少ないだろうと思っていたが、さすがの一級観光地。 海外からの観光客も含め、人がゾロゾロ。

「陽明門」だけでなく、「三猿」や「眠り猫」の前は特に人だかりが激しい。 一方「上神庫」の屋根下(妻側)に描かれている、狩野探幽作といわれる「想像の象」などには見向きもしないようである。

人の多さに見る気を失い、そのせいか足の痛みも倍増したようで、最後は手すりにつかまらないと階段を降りることができなくなってしまった。

東照宮と鳴き龍の御朱印

妻が東照宮と薬師堂の「鳴き龍」の御朱印を頂いてきた。

東照宮御朱印鳴龍御朱印

東武特急・リバティで帰途につく

痛い足を堪えて東照宮の見学を終え、バスで東武日光駅に戻ってきた。

次の特急は2017年にデビューした特急リバティであった。 特に鉄道ファンではないが、一度乗ってみたいと思っていた列車である。

特急リバティ

日光街道完歩祝い用の酒を買って帰る

お土産として、桜の季節にふさわしい「四季桜」というお酒を購入。 自宅に戻って、日光街道完歩を記念して祝杯である。

四季桜

もう一つのお土産は、東照宮の薬師堂(鳴き龍)で購入した「鈴鳴龍守」。 鳴き龍の声は、鈴を鳴らしたように聞こえることから「鈴鳴きの龍」とも呼ばれているそうだ。 鈴をあしらったお守りには、「鈴鳴きの龍」の御利益があることだろう。

鈴鳴龍守

 

足に不安を抱えて下今市から歩き始めたが、あまり調子が良くなかったのか、早い段階から痛みがぶり返した。 それでもゴールの神橋までは、あまり苦になるような痛みではなかった。 しかし目的を達した安心感からか、東照宮を歩いている間にかなり痛みが増加した。

4月からは中山道の歩き旅を再開しようと考え、テストマッチとして位置づけた今回の歩き旅であったが、結局不安は解消することはなかった。

しかし 何より日光街道はこれで終了である。 何とか足を治して、次の街道歩きに挑戦しよう!

 


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