旅行日 : 2017年03月24日
栗橋宿を出ると、すぐに利根川を渡り茨城県に入る。 昔の常陸国である。 地図で見ると、日光街道は茨城県の西のはずれを、かすめるようにして通っている。 この茨城県にあった宿場は、中田宿と古河宿の2つだけである。
今日の目的地は、中田宿を通って古河宿までである。 事前に古河市観光協会のHPを見たら、「茨城の小京都」と呼ばれているらしい。 初めて聞いた話であるが、どのような街なのか楽しみである。
日 付 | 区 間 | 宿間距離 | 実距離 | 万歩計 | ルート | |
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2017年3月24日 | 栗橋宿から古河宿 | 8.4Km | 11.87Km | 16,863歩 | Map | |
日本橋からの累計 (累計日数 : 7日目) |
67.3Km | 90.66Km | 122,001歩 |
宿間距離 : 各区間のコース計画時、ルートラボを利用して計測した距離。
(宿間距離の数値クリックで、ルートラボの計画ルートを表示)
実距離 : 寄り道などを含め、GPSログを基に基に実際に歩いたコース距離。
(ルート欄の「Map」→ GPSログから作図した実ルートを表示)
栗橋駅を出発
前回帰途についた栗橋の駅に再び降り立ち、古河を目指して出発する。
【 栗橋駅前商店街 】
何故か四角形の同じ形をした建物が並ぶ。 計画的に作ったのだろうか?
【 現代版 静御前 】
駅前の静御前の墓。 アニメの静御前が、義経にお姫様抱っこされている。
中田宿
栗橋宿を出て利根川を渡った所に、本陣1軒・脇本陣1軒・旅籠6軒の、小さな中田宿があった。 当時は現在の利根川橋の下、利根川に面して、現在は河川敷となっている場所にあったそうだ。
【 利根川を渡る 】
「坂東太郎」とも呼ばれる利根川。 橋の中央で茨城県古河市に入る。
東北本線鉄橋の少し上流で、渡良瀬川が合流している。
【 中田の街並み 】
大正から昭和にかけての利根川改修工事により、現在の地に移転した。
移転を繰り返したそうで、往時の面影は全くない。
【 光了寺 】
光了寺の前身は、静御前の遺骸を葬ったという「高柳寺」。
後鳥羽上皇から賜った「蛙獏龍(あまりゅう)の舞衣」等、遺品が保存されているという。 是非見たい!
茶屋新田
東北本線の踏切を渡り、茶屋新田に入る。 道路は2Km以上続く直線となる。
【 松並木 】
江戸時代は松並木が続いていたそうだ。
昔の風景を取り戻そうと、新しい松が植えられたらしいがまだ小さい。
100年後には立派な並木になるだろう。
【 石仏群 】
馬頭観音や念仏供養などの石仏が並ぶ。
【 菜の花畑 】
街道沿いに広がる菜の花畑。 のどかな風景である。
実際は直線の単調な道を歩き続け、この様な風景は少ない。
原町一里塚
県立古河第2高校の手前に、台座が道標となっている十九夜塔がある。
県立古河第2高校のグラウンドには、原町一里塚が残る。
ネットが邪魔してるが、左下に白い標柱が立っている。
古河宿
古河宿入口では、大きな常夜灯のモニュメントが迎えてくれた。
街道沿いにも小型の常夜灯が置かれていたが、夜に灯りがつくのだろう。
【 古河城御茶屋口門址 】
古河城入口であったこの場所は、「茶屋口」と呼ばれていた。
ここを左折して街道を外れ、古河城址に向かう。
【 鷹見泉石記念館 】
古河藩藩士の武家屋敷で、鷹見泉石という蘭学者が晩年を過ごした。
往時の建坪は100坪近くあり、現在の倍ほどの広さだった。
左の玄関座敷には、お雛様が飾られている。
敷地の通り沿いには板塀が続き、往時を偲ばせる雰囲気良い道である。
【 甘露煮の”ぬた屋” 】
甘露煮は古河名物で、生産高も日本一だそうだ。
ワカサギの甘露煮をお土産に買ってきたが、美味しかった。
お店の横に回ると、立派な冠木門を持っている。
【 福法寺の山門 】
ぬた屋近くの福法寺山門は、古河城二の丸御殿入口にあった「乾門」を、
江戸時代に移築したものである。
【 古河宿本陣跡 】
肴町通りや江戸町通りの街並みを見た後に街道に戻る。
本陣跡と高札場跡の石碑が、街道を挟んで立っている。
【 古河宿道標 】
街道は古河駅入り口の次の交差点を左折し、更に右へとクランク状に曲がる。
交差点角には、上に常夜灯を持つ大きな道標が立つ。
道標左の小さな鳥小屋風の扉を開けると、スタンプが置かれている。
中田宿から、多くの所にスタンプ台が設置されていた。
【 武家屋敷 】
街道を少し外れると、武家屋敷の白壁が続く。
個人の家で、わざわざ武家屋敷風の塀を作ったそうだ。
【 よこまち柳通り 】
よこまち柳通りに入ると、可愛いお姫様を描いた宿場の幟が街灯に掛かる。
静御前でも表しているのだろうか? かなりイメージは違うが・・・
古河宿出入り口には大きな常夜灯、宿場内には小型の常夜灯が立つ。
よこまち柳通りは、往時の街道色を色濃く残している。
宿場出口。 この先小山宿まで長い国道歩きが始まる。
古河は全体的に良く整備され、観光に力を入れていることが感じられる街で、結構古い建物なども多く残っていた。 街中の風景は、「百年の街並み」カテゴリー内の下の記事に、別途まとめてあるので一読願います。
しかし「茨城の小京都」と云われているらしいが、申し訳ないが「小京都」と呼ぶほどのことでもないような気がする。