旅行日:2015年10月3日
安中宿から、次の松井田宿を目指す。 安中から松井田にかけての街道沿いには、原市の杉並木が一部残る。 かなりの杉が枯れたか または伐採でなくなっていたが、もし数多く残されていたら、日光の杉並木のような景観になっていたことを考えると残念である。
ここまで来ると、ローカル色豊かになる。 徐々に近づく妙義山を眺めながら、街道風景を楽しみながら歩を進める。
日 付 | 区 間 | 里程表 | 実距離 | 万歩計 | ルート | ||
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2015年 10月3日 |
板鼻宿~安中宿 | 0里30町 | 3.3Km | 3.2KM | 22,195歩 | Map | |
安中宿から松井田宿 | 2里16町 | 9.6Km | 9.2KM | ||||
合 計 | 3里10町 | 12.9Km | 12.4Km | 22,195歩 | |||
日本橋からの累計 (累計日数 : 11日目) |
32里0町 | 125.7Km | 135.4Km | 207,039歩 |
里程表 : 別冊歴史読本「図説 中山道歴史読本」より。
実距離 : 各区間のコース計画時、ルートラボを利用して計測した距離。
(ルートラボ → ルートを見る → “のんびり中山道”で検索)
新島譲旧宅
同志社大学の創立者で、岩倉視察団に加わった新島襄の旧宅に立ち寄る。 ボランティアのガイドさんに「新島襄の生家か?」と聞くと、「新島襄の生まれは江戸の安中藩屋敷だが、米国から帰国後、この故郷の家にしばらく滞在した」と説明してくれた。
【新島襄旧宅】
この地に滞在中にキリスト教の講演を行い、その場で30人に洗礼を行った。 この30人が、安中の旧碓氷郡役所教隣にある安中教会を設立した。
安中原市の杉並木
【道端の道祖神】
安中原市の杉並木に入ると、歩道上に道祖神など3基の石塔が立つ。
【安政遠足】
給水タンク壁面には、安中藩士が駆け抜ける安政遠足の様子が描かれている。
【安政遠足とは】
「えんそく」ではなく「とおあし」と読む。 安中藩士の鍛錬のため、安政2年に藩士96人が安中城から碓氷峠の熊野神社まで駆け上り、日本のマラソン発祥といわれている。 近年は「侍マラソン」として復活し、出場者は仮装して走っているそうだ。
【原市杉並木】
昔は700本以上あったが、今は十数本になってしまったそうだ。 僅かだが見事な杉が残る。
松井田への街道風景
原市から松井田にかけての中山道は、国道をあまり歩くことなく、風景を眺めながら静かな旧道歩きを楽しむことが出来る。
【街道沿いの旧家】
良く手入れされた庭木と、白壁の塀を持つ民家が現れる。
【原市高札場跡】
茶屋本陣だった五十貝家の前に、高札場跡と明治天皇原市御小休跡碑が立つ。
【眞光寺の時の鐘】
太平洋戦争で供出を免れたそうだ。 背後に寺ではなく教会がある。
【八本木立場茶屋跡】
御休処として、当時は“志がらきお茶漬”が名物だったそうだ。 お茶漬け大好き! 食べたい・・
【街道沿いの旧家】
ここにも街道風景を際立たせる、立派な旧家がある。
【道祖神と百番供養塔】
百番供養塔とは何かを調べたら、百観音巡拝記念で建立したものだそうだ。
【廃 屋】
街道沿いには、時たまこのような廃屋が現れる。
【屋敷林】
上州の空っ風を防ぐ屋敷林を持つ家が現れる。 横から見ると、厚さは50センチ程度に刈り込まれている。
【妙義山】
碓井川を眼下に、妙義山の眺めが良い。
【石塔群】
国道18号から旧道に入ると、多くの石塔が並んでいた。
【路傍の道祖神】
街道沿いの草むらに、ポツンと立つ庚申塔と道祖神が可愛く見える。
松井田宿
慶長7年に碓氷峠越えの道が中山道として制定されると、松井田に宿が開かれた。 以後往来の人やで、妙義山の登山口として賑わった。 東信州の諸藩から運ばれる年貢米の半分は、ここで米宿に売り払って換金していたそうだ。
【妙義山登山口の看板が残る】
下町交差点の先で、左に入るT字路が妙義山への登山道入り口であった。
角の民家2階には「妙義登山口」の看板が残る。
【畑中醫院】
街道沿いに一際目を引く旧家が残る。「畑中醫院」の看板が下がっていた。
【松井田宿】
一直線に伸びる街道沿いには、多くの古い家が残る宿場である。
【蔵造りの旧家】
松井田駅に向かうため仲町交差点を左に曲がると、
黒塗りの重量感あふれる旧家が現れた。
【とおあし最中】
街道途中の小野屋という和菓子屋さんに、「とおあし最中」と看板があった。
気になったので、今回のお土産に決定!
【松井田駅】
松井田駅から帰途につく。
ここ長い間、旅行などは新幹線や高速を使っての車の移動が中心で、ローカル鉄道を利用する機会は少なかった。 しかし中山道踏破の距離が伸びるにつれ、利用する鉄道も少しずつ変化し、やがてバス路線も使うようになる。
今回利用した信越本線はあと2度ほど使う。 更に軽井沢の先はしなの鉄道や小海線を使うことになる。 鉄道マニアではないが、今後はこれらも楽しみとなる。