34宿 奈良井宿 木曽平沢から「奈良井千軒」へ

奈良井宿

旅行日:2019年5月23日

江戸から34宿目の奈良井宿。 木曽路最大の難所といわれる鳥居峠(1197m)を控え、また曲げ物や漆器、櫛などの木工が盛んで、「奈良井千軒」と云われるほど賑わった。

明治に入り、国道19号が宿場を外れて整備されたため、幸運にも街並みは残された。 しかし建造物の維持・保存に対する地元の人達による努力は、大きなものかがあったと思われる。 現在は重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。

日 付 区 間 里程表 実距離 万歩計 ルート
2019年
5月23日
木曽路入口~贄川宿 Map
贄川宿~奈良井宿 1里31町 7.3Km 7.6Km 15,181歩
2019年
5月24日
奈良井宿~藪原宿 1里13町 5.3Km 6.1Km 10,184歩 Map
合 計 3里8町 12.6Km 13.7Km 25,365歩
日本橋からの累計
(累計日数 : 22日目)
65里33町 258.9Km 269.8Km 450,453歩

里程表 : 別冊歴史読本「図説 中山道歴史読本」より。
実距離 : 各区間のコース計画時、ルートラボを利用して計測した距離。

実距離の数値をクリックで、ルートラボの計画コースを表示

MAP  : GPSログを基に、実際に歩いたコースをGoogle MAP上に作図


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国道19号を奈良井に向かう

贄川宿の京方出口である枡形を抜けて国道19号に出る。 大型トラックが遠慮なく行き交い、雨が降っていたら思いっきり水しぶきを浴びながら歩くことになるだろう。 天気に恵まれて本当によかった・・・

贄川のトチ

国道19号から右に少し入ると、「贄川のトチ」が聳え立つ。 樹齢1000年といわれるトチの木で、まさに神が宿っているような大樹である。

贄川のトチ

擁壁上の歩道?を進む

国道沿いの中村漆器産業の前で、左に分岐する道に入る。 すぐに国道の擁壁上へと導かれ、突き当りに設けられた階段を上がって山道の旧道へ入る。

擁壁上の中山道

下の国道を見ると、上下線とも歩道らしきものは無い。 この工事現場の鉄板のようなものが敷かれた道が歩道らしい。

押込一里塚跡

国道19号の桃岡交差点の手前に、日本橋から63里の押込一里塚跡碑が立つ。 この碑の向かいに一里塚らしき塚があるが、どうも往時の一里塚ではないようだ。

押込一里塚跡

旧長瀬村の旧道

国道から左に分岐する旧長瀬村の旧道に入る。 特に見るようなものは無いが、静かな道を歩けるのは嬉しい。

旧中山道

道の駅「木曽ならかわ」

国道19号にある道の駅で昼食と大休憩。

道の駅ならかわ

「木曽くらしの工芸館」では、木曽漆器や木工品が販売されている。 妻は豚汁など具だくさんの味噌汁用に大きめなお椀を購入。 もちろん支払いは私・・・ 余計な出費を強いられた。

木曽漆器

漆工の町 木曽平沢

道の駅「木曽ならかわ」で国道と別れ、県道を進んで「木曽平沢」を目指す。

木曽平沢は漆工の町として知られるが、木曽平沢町並み保存会発行の「木曽平沢 町並み 建築てくてくマップ」によると、産業としての基盤が確立して発展したのは明治に入ってからと説明されていた。

この「木曽平沢 町並み 建築てくてくマップ」には、平沢の町並みの由来や独特な名称などが紹介されており、その一部を下記に紹介する。

諏訪神社

「物見坂」と呼ばれる坂道を上がると、塩尻市役所楢川支所の奥に「諏訪神社」がある。 木曽路に入ったにも関わらず、境内には4本の御柱が立っていた。

平沢諏訪神社

斜交いの建物が並ぶ

平沢の町に入ると、建物が街道に対して斜交いに建てられている。 街道が湾曲しているため、地割が街道と直角ではないためらしい。

木曽平沢

建物の前には空地が設けられている。 寛永2年(1749)の大火後、尾張藩により3尺のセットバックを命じられた結果である。 しかし所有はあくまで私のもの(「吾持ヵ」)という意味から、アガモチと呼びならわされている。

木曽平沢

建物の側面には、敷地奥にある作業場の土蔵への通路が設けられ、「ドジ(通り土間)」と呼ばれているそうだが、これがそうなのか?

木曽平沢

街道沿いには漆器の店が並ぶが、戸が閉まっていたり半分だけ開いていたりと、店に入ることに躊躇してしまう。 なんでも漆器は紫外線に弱いので店の中は暗くしてあり、営業していても戸を閉めている店が多いそうである。

奈良井川

奈良井川に架かる橋から平沢の町方向を眺める。 右側が平沢の町である。

奈良井川

木曽楢川小学校

サワラ、ヒノキなど豊かな森林資源をふんだんに使用した校舎。 また給食時には漆器の食器一式を使用するという。 本物に触れ、大切に使用するということも学んでいるのだろう。

楢川小学校

奈良井宿 その1

木曽11宿中で最もにぎわった宿場で、宿内の街並みは東西八町五間、俗に「奈良井千軒」と呼ばれている。 宿場の中に足を踏み入れると、当時の面影を残す建物が立ち並ぶ。 まるでタイムスリップしたかのようなレトロな雰囲気に包まれ、江戸時代の旅人気分を味わうことができる。

奈良井駅

奈良井宿の入口は、JR奈良井駅からすぐ近くである。

奈良井駅

旧中山道杉並木

奈良井駅の先で、右へ戻るような坂道を上がって八幡宮を目指す。 この道は旧中山道で、途中に当時の杉並木が残り、距離は短いが雰囲気のある道である。

旧中山道杉並木

二百地蔵

八幡宮裏手にある地蔵堂の前に、200体近くあるという石仏群が静かにたたずむ。 明治に入り国道や鉄道の敷設時に、奈良井宿の周りから集められたものである。

石仏群

木曽の大橋

奈良井宿から中央線の反対側に行くと、総檜造りの橋が架かる。 旧中山道とは関係ないが、綺麗な橋なので立ち寄ってみた。

木曽の大橋

この日の奈良井宿の宿は、民宿を含めてまったく予約が取れなかった。 止むを得ず塩尻にホテルを確保しておいたので、電車で塩尻に戻る。

奈良井宿 その2

翌朝、塩尻から電車で奈良井の駅を再訪。 奈良井宿をゆっくり見学してから、鳥居峠を越えて藪原宿までを歩く。 距離はさほど長くはないので、妻と二人で「街道歩き+山歩き」を楽しむ一日である。

江戸時代にタイムスリップ

宿場に足を一歩踏み入れると、そこには江戸時代を肌で感じることができる町並みが続いている。

奈良井宿

朝9時頃から歩き始めたので、まだ観光客は少ない。 土産物店なども開店準備をしている、静かな時間帯である。

奈良井宿

味処 越後屋

築200年の建物。 元は木曽漆器の製造を行っていたそうで、「ぬりもの」の看板が残る。 また大きなお盆のような看板も目を引く。

奈良井宿

マリア地蔵尊

大宝寺の境内奥に、頭部が欠け、赤子を抱いた子育て地蔵尊がある。

マリア地蔵尊

この赤子が手にする蓮華の先が十字架のようになっており、隠れキリシタンが地蔵尊を装って秘かに祀ったといわれている。

マリア地蔵尊

ゑちごや旅館

創業220年の旅籠で、1日2組だけしか宿泊客をとらない。 泊まりたかったが、1ヵ月以上先まで満室だった。

入口には古い看板が並んでいたが、聞くと講の招き看板というものだそうだ。

奈良井越後屋

鍵の手

宿場の中ほどを過ぎると、「鍵の手」と呼ばれる道が屈曲する所がある。 この鍵の手とは別に、奈良井宿では宿場の東西の端に枡形が置かれていた。

奈良井宿

中村邸

天保8年から14年(1837~1843)の間に建てられ、奈良井宿の典型的な町屋形式を伝えているという。

1階と2階の間にある庇は鎖で吊っただけのもので、泥棒が庇の上に登ると、庇ごと落ちる仕組みになっているそうだ。

奈良井宿

高札場

宿場の西側出口には、高札場が復元されている。

高札場



奈良井宿は昭和53年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、歴史的景観に配慮した建物の修復が進み、現在は江戸の宿場町を肌で感じる町並みとなっている。

この町に宿泊し、夕方や早朝の町並みを見たかったのだが残念であった。 しかし少し早目に歩き始めたおかげで、観光客も少ない静かな町歩きを楽しむことができた。

あるお店の人の話によると、もうじき観光バスで大挙して客がやってくる・・・ とのことであった。 奈良井宿を訪れる時は、早い時間帯に訪れることをお勧めする。

最後に少しレトロ感を出すために、白黒で撮った写真を添付しておく。


奈良井宿


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