旅行日 : 2017年09月20日
中山道の熊谷に負けず、宇都宮の夏も暑い。 とてもではないが街道を歩く気がしない。 しかし9月18日に台風18号が通り過ぎ、その後の秋めいた乾いた空気と青空を期待して、5月以来の約4か月ぶりに日光街道を歩いてきた。
今回は宇都宮宿から今市宿まで、1泊2日で日光杉並木をのんびり歩く予定であった。 しかし2週間ほど前に痛めた左足首が、途中から痛くなってしまい、足を引きずりながら・休憩しながらの苦行の旅となってしまった。
日 付 | 区 間 | 宿間距離 | 実距離 | 万歩計 | ルート | |
---|---|---|---|---|---|---|
2017年9月20日 | 宇都宮宿から 徳次郎宿 |
14.6Km | 16.26Km | 24,362歩 | Map | |
2017年9月21日 | 徳次郎宿から 大沢、今市宿へ |
12.8Km | 13.34Km | 19,561歩 | Map | |
日本橋からの累計 (累計日数 : 13日目) |
141.2Km | 184.80Km | 251,872歩 |
宿間距離 : 各区間のコース計画時、ルートラボを利用して計測した距離。
(宿間距離の数値クリックで、ルートラボの計画ルートを表示)
実距離 : 寄り道などを含め、GPSログを基に基に実際に歩いたコース距離。
(ルート欄の「Map」→ GPSログから作図した実ルートを表示)
宇都宮宿に残る旧家
東武宇都宮駅に、朝9時頃に降り立つ。 日光街道と奥州街道の分岐点まで歩き、清住町通りへ曲がって日光街道へと入っていく。
【 江戸時代に繁盛した店が残る 】
江戸時代に油屋や油粕を肥料として売って繁盛した(株)上野。
蔵は外装工事か何かで覆われていた。
この先、右の桂林寺に入る交差点あたりの道がクネっと曲がっている。
枡形の跡で、往時は日光方の木戸があったようだ。
【 食と空間の創造「たまき」 】
食と空間の創造「たまき」とある。
最中が有名らしいが、まだ開店前だった。
【 大谷石の蔵 】
産地が近いせいか、大谷石を使った蔵が多い。
ヨーロッパの建築を思わせるような窓の装飾である。
桜並木が現れる
清住町通りから国道119号を経て、徳次郎宿を目指す。 しばらくは市街地が続く、余り面白くない道を歩く。
【 勝善神の碑 】
”そうぜんしんのひ”と読み、馬の神を祀ったもの。
名馬の誕生を祈願する意味が強いようで、馬頭観音とは異なるそうだ。
木に隠れている石塔がそれで、ゴミ集積場が邪魔して良く見えなかった。
【 桜並木が現れる 】
宮環上戸祭町交差点を過ぎると、桜並木が始まる。
春には見事な桜のトンネルができるのだろう。
【 上戸祭一里塚 】
気付くと桜並木は杉へ代わり、上戸祭一里塚が現れる。
日本橋から28里で、国道の左右に両塚が残る。
【 光明寺 】
徳次郎宿との中間にあり、大名の徳川家墓参時の休憩所として使われた。
竜宮城の入口の様である。
【 紅葉も混じる並木 】
街道沿いの並木は、主に杉が中心だが、桜や紅葉も混じる。
春は桜、秋は紅葉と、季節が合えばさぞかしきれいな道なのだろう。
杉はまだ大きく育っていない。 近年に植樹されたものなのか?
【 高谷林一里塚 】
「宇都宮IC入口」交差点の高架を走る道を、東北道と勘違いする。
高谷林一里塚を探してウロウロしてしまった。
【 第六号接合井 】
今市浄水場から戸祭配水場までの標高差が240mあるそうだ。
その為、送水管への水圧を弱めるための施設で、全部で6か所あった。
昭和24年の今市地震で大半は倒壊、この第六号接合井だけが当時の姿を残す。
徳次郎宿
昔から日光方面へ車で出掛ける時、”徳次郎”という地名を見ていた。 面白い名だと思っていたが、「とくじら」と読むとは知らなかった。
国道119号の徳次郎交差点には、「Tokujiro」と読みが振ってある。 しかし路線バスの停留所案内では、”かみとくじら”、”しもとくじら”とアナウンスしていた。
【 大谷道標 】
現在は廃道となった、大谷観音への道の道標が立つ。
生垣に囲まれているので、気付かずに通り過ぎるところであった。
【 大谷石の瓦 】
大谷石の蔵の屋根を見ると、瓦も大谷石で出来ているようだ。
このような大谷石の瓦を使った建物を数軒見かけることが出来た。
【 田中道道標 】
徳次郎交差点手前にあり、「神社入り口約五丁 田中道」と彫られている。
往時は徳次郎宿本陣や問屋場があった付近だが、今は全く面影はない。
【 智賀都神社 】
参道入口には推定樹齢700年という「長寿の夫婦ケヤキ」という巨木が立つ。
700年ということは、将軍達の日光参拝を全て見てきたということになる。
このあたりから、2週間ほど前に痛めた左足首が再び痛くなる。 少し休むと楽になるが、しばらく歩くと再び痛くなり、足を引きずって歩くことに・・・
【 徳次郎六本杉 】
中央分離帯に杉が植えられている。
単に杉並木の一部を再生したのか、何か云われがあるのか不明である。
【 大網道道標 】
「大網道」と彫られた立派な道標が立つ。
GoogleMapを見ると、右手に流れる田川の向こうに大網道という道がある。
【 六本木一里塚 】
「六本木」とは、徳次郎六本杉と何か関係があるのだろうか?
日本橋から30番目の一里塚で、道路反対側には日光街道植樹記念碑がある。
【 歩きスマホの元祖 二宮尊徳と石那田堰 】
「二宮尊徳先生遺跡石那田堰」と書かれた標柱が立つ。
二宮尊徳と言えば、薪を背負いながら本を読む二宮金次郎の像を思い出す。
今風に言えば、歩きスマホみたいなものである。
標柱から右に坂を下ると二宮尊徳が設計した石那田堰がある。
二宮金次郎の像以外は良く知らないが、このような所で活躍していたとは・・・
【 緑のトンネル 】
歩いてきた道を振り返ると、桜の並木が見事なトンネルを作っていた。
【 宇都宮に戻るバスがやってきた 】
痛い足を引きずりながら、何とか石那田のバス停に到着。
予約してある宇都宮駅前のホテルに向け、今日歩いてきた道をバスで戻る。
宇都宮 旧篠原家住宅
JR宇都宮駅まで戻り、ホテルに入る前に、近くにある「旧篠原家住宅」を訪れる。
篠原家は、江戸時代の初め頃から、奥州街道沿いのこの地で、醤油の醸造や肥料商を営む豪商であった。 現在の建物は明治28年に建てられたものだそうだ。
【 堂々たる風格を持つ 】
黒漆喰や大谷石を用いた建物は、重量感と風格が満ち溢れている。
2階の座敷は、簾戸(すど)が入り涼しげである。
また1階から2階の床の間に通る、巨大な大黒柱は一見の価値がある。
1階と2階を結ぶ箱階段。 かなり急である。
昭和39年には、奥州街道の拡幅に伴い、約7mの家曳きを行ったそうだ。
宇都宮の餃子
宇都宮といえば「餃子」で全国に名を馳せている。 しかし最近は浜松と消費量を競っているようである。
【 餃子像 】
宇都宮のシンボルと云われる餃子像。
餃子の皮に包まれたビーナスだそうだ。
この餃子像を移転するときに、誤って落として真っ二つに壊れた瞬間を報じる、「とちぎテレビ」のニュース映像がネット上にあった。 申し訳ないが、思わずアリャ!と笑ってしまった。
餃子像倒壊の瞬間 : https://www.youtube.com/watch?v=t8JnA-eN6fs
【 とにかく餃子を食べる 】
夕食はもちろん餃子を食べに、足を引きずりながら街に出る。
有名な「みんみん」は行列が出来ているのでパスして、適当な店に入る。
餃子よりビールの方が美味く、思わずお代わりしてしまった。
ビールをたっぷり体に注入し、そのまま一晩寝れば、足の痛みも消えるだろう! そんな根拠も何もない、淡い期待を胸に抱いて、早めにベッドに横になる。
天気予報によると、明日は快晴のようだ・・・