地点名 | 通過時刻 移動時間 | 累積距離 区間距離 | 平均速度 | 高度 高度差 | 平均勾配 |
---|---|---|---|---|---|
START | 09:25:08 | 0.00km | 139m | ||
04:09:56 | 16.43km | 3.9km/h | ↑137m | ↑0.83% | |
GOAL | 14:26:10 | 16.43km | 276m |
2017/09/20 09:32:00
山門前に「蒲生君平先生少年時代修学の寺石碑」がある。 近くの桂林寺には、この儒学者の墓もある。
2017/09/20 10:11:55
栃木医療センターの前庭にあり、名前に引かれて見に行く。 説明板によると学名は「児手柏」(コノテカシワ)と呼び、推定樹齢450年以上とあった。 それにしては木が小さい。
2017/09/20 10:43:12
日本橋から28里。 国道の両側に左右の塚が残る。
2017/09/23 12:57:13
「宇都宮IC入口」という交差点で、高架の道路を東北自動車道と勘違いし、高谷林一里塚を探し回る。 正しくは宇都宮北道路の高架だった。 紛らわしい交差点名である。
2017/09/20 11:58:19
日本橋から29里。
2017/09/20 12:04:34
西洋のお城のような形をしている。 今市浄水場から戸祭配水場までの標高差が240mある為、送水管にかかる水圧を弱めるための施設だそうだ。 全部で6か所あったが、昭和24年の今市地震で大半は倒壊し、この第六号接合井だけが創設当時のままの姿を残しているとのこと。
2017/09/20 12:12:01
大谷観音への道標だったそうだ。 生け垣に囲わた中に立つので、気付かずに通り過ぎるところだった。
2017/09/20 12:28:34
調べると、城主は新田徳次郎昌言であったと伝えられる。 地名となった人物だろうか?
2017/09/20 12:43:29
樹齢700年と推定される、巨大な「長寿の夫婦ケヤキ」」が参道入り口に立つ。
2017/09/20 13:42:15
塚の上に標柱だけが立つ、シンプルな一里塚である。 もう片方の塚は消えてしまったようだ。
2017/09/20 13:51:34
二宮尊徳先生遺跡石那田堰と書かれた標柱が立つ。 右に坂を下ると、尊徳の指導により作られた用水が流れる。
2017/09/20 14:03:18
第六号接合井と似たような建物が建つ。 今市地震で倒壊後に再建されたものと思われる。
2017/09/20 14:25:06
次の大沢宿への途中であるが、バスの時間が丁度良いのでここで終了。 宇都宮へバスで戻る。