2023/05/25 09:23:13
近江鉄道の鳥居本駅から出発。
昭和6年(1931)築という駅舎は、赤い屋根に煙突が立ち、半円形の窓を持つ洋風建築。
まるで童話の世界から抜け出したようである。
2023/05/25 09:29:28
創業万治元年(1658)という赤玉神教丸本舗。
食べ過ぎ、飲み過ぎ、食欲不振に効くという、赤い丸薬を現在も販売している。
建物を横から見ると、複雑な屋根i組みが見事である。
2023/05/25 09:57:33
鳥居本宿を抜けると、のどかな田園風景となり、右手から新幹線の線路が近づいてくる。
2023/05/25 10:06:48
用水路沿いの静かな集落。 小野町は、東山道の時代に駅家として機能していたそうだ。
2023/05/25 10:21:25
街道のすぐ左手を、東海道新幹線が爆走する。
時速280キロ近い割には、あまり騒音はうるさく感じないし、あっという間に消え去っていく。
2023/05/25 10:24:34
小野町は、平安時代の女流歌人・小野小町の出生地と云われ、阿弥陀如来が刻まれた自然石が小町地蔵として祀られている。
2023/05/25 11:17:50
万葉集にも登場する鳥籠山(とこのやま)という由緒ある山。
壬申の乱(672)で、天智天皇の子・大友皇子と弟・大海人皇子が争った戦場である。
2023/05/25 11:22:04
石清水神社の手前に、地蔵堂と多くの石地蔵が祀られている。
近辺の街道沿いから集められたのだろう。
2023/05/25 11:59:08
中山道第64宿の高宮宿。
多賀大社の入口であり、街の中央に大鳥居が立っている。また高宮布の産地として栄え、近江中山道の宿場で最も大きな宿であった。
2023/05/25 12:19:53
天保時代に彦根藩が多くの人々から費用を募って掛けた橋なので、他の川のように渡し賃を取らなかったので無賃橋と呼ばれる。
2023/05/25 12:23:52
葛籠一里塚(法士一里塚)の石碑。
塚は影も形もなく、そこに立っていたと思われる石碑の一部が転がっていた。
2023/05/25 12:35:11
彦根市法士町付近の街道風景。
法士町は「ほうぜちょう」と読むそうだ。
2023/05/25 13:16:24
麻原料を背負う女性・菅笠の旅人・近江商人が立つ彦根市のモニュメント。
2023/05/25 13:47:40
昭和12年に近江商人、商社「丸紅」の専務であった古川鉄治郎氏によって寄贈され、建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計で建てられた。
2023/05/25 14:22:02
伊藤忠商事・丸紅の創始者初代忠兵衛が暮らし、二代忠兵衛が出生した豊郷本家。
2023/05/25 14:55:39
石部神社手前にあったお堂。
名称は不明だが、お堂の基壇には多くの石仏が置かれていた。
2023/05/25 15:02:28
古代の部民制における、石の職人集団といえる石作部(いしつくりべ)に由来があるとされ、平安期編纂の延喜式に記される古社である。
石の職人集団の作なのか、狛犬が立派であった。
2023/05/25 15:15:43
中山道第65宿、愛知川宿は冠木門が出迎えてくれた。
現在は宿場の面影は薄く、普通の町並みになってしまっていた。
2023/06/25 23:37:05
郡分(こおりわけ)延命地蔵堂。
宿場時代には、右側を流れる用水が郡と郡を分ける境界だったという。
2023/06/25 23:41:47
冠木門の先で国道8号に合流する。
手前の川に架かる橋の欄干には、愛知川びん細工手まりを模したモニュメントが飾られている。