旅行日:2023年5月25日
昨年秋に中山道最後の峠である摺針峠を越え、琵琶湖の東に広がる平地に降り立ち、日本橋から63番目の宿場である鳥居本宿まで歩を進めた。
しかし昨年末の検査入院にて前立腺がんと診断され、6月に入院手術を受けることになった。
そして他への転移有無の検査とか何やらで、なかなか中山道歩きの続きを楽しめずにいたが、少しでも京に向けて進んでおこうと、入院直前に出かけることにした。
コースデータ
- 日 付 :2023年5月25日
- 街道地図 :鳥居本~高宮宿~愛知川宿
- 宿間距離 :鳥居本宿 ~ 高宮宿 1里18町(5.9Km)
- :高宮宿 ~ 愛知川宿 2里(7.9Km)
- 日本橋から:累計121里7町(475.9Km)
- 万歩計 :26,692歩
※ 街道地図はGPSログを基に、実際に歩いたコースをGoogleMap上に作図
再び鳥居本宿へ
新幹線で米原に降り立ち、近江鉄道に乗り換えて鳥居本で下車。 鳥居本宿のシンボル的存在である、赤玉神教丸の製造販売を続ける有川家をもう一度見ようと足を向けた。
近江鉄道 鳥居本駅
駅舎は開業当時の1931年築。 赤い屋根に立つ煙突や高い天井と、半円形の窓を持つ駅舎は、まるで童話の世界から抜け出してきたようである。
受け継がれて350年 赤玉神教丸
創業万治元年(1658)という有川製薬。 食べ過ぎ・飲み過ぎだけでなく、二日酔いにも効くという赤玉神教丸を今でも販売している。
現在の建物は宝暦年間(1751~1764)に建てられたものだという。
鳥居本宿の風景
有川製薬から駅方向に歩き振り返る。 正面に有川製薬の大きな屋根が見える。
檜皮葺の屋根と木造の火袋を持つ常夜灯が立つ。 昨年秋に訪れた時は、ここまで歩いて鳥居本駅に引き返して帰京した。
長池地蔵尊
倉庫のような小屋に守られた長池地蔵尊。 大きな看板が目に付く。
何と読む? 蕎麦屋”百百百百”
宿場の面影を色濃く残す街道を進むと、面白い名の蕎麦屋が現れた。
「百百百百」と書いて「どどもも」と読むそうだ。 江戸時代末期の古民家「百々家住宅」を改装したと説明されていた。
看板に十割手打とあったので食べたかったが、まだ開店前であった。
彦根道道標
彦根、安土、近江八幡を経て、野洲で再び合流する彦根道が分岐する。 朝鮮通信使が通行したことで朝鮮人街道とも呼ばれている。
平安の女流歌人 小野小町の出生地へ
鳥居本宿を後にすると、右手から東海道新幹線が近づき、やがて小野町へと入って行く。 小野町は東山道の宿駅だったが、平安時代の女流歌人・小野小町の出生地とも伝わる。
「花の色は移りにけりな・・・」 小野小町の有名な歌で、紀貫之が”絶世の美女”と称えたほど美人だったようである。
鳥居本宿を抜けると周囲の景色は一変し、のどかな田園地帯を進む。
やがて小野町の集落に入る。 小野町は古代東山道の宿駅でもあったそうだ。
右から新幹線の線路が近づき、街道のすぐ脇を時速280Kmで爆走する。 新幹線は速くて良いが、速すぎて見えない景色が、歩き旅では良く見える。
小野小町塚
新幹線と名神高速に挟まれた狭隘地に立つ「小野小町塚」に、15世紀後半に建立されたと伝わる小町地蔵が祀られている。
この地は小野小町の出生地と伝わり、小野美実(好実)という役人が、この小野宿に宿泊した際、可愛い赤ん坊を養女として迎え、この養女が後に女流歌人として有名な小野小町となったと伝わる。
小野小町の出生地としては、秋田県湯沢市が有名である。 そのため、お米の「あきたこまち」や秋田新幹線の「こまち」は、彼女の名に由来している。
新幹線沿いの道
小野小町塚の先で、街道は新幹線の下を潜る。 その先は十所谷(とどころだに)と呼ばれる殺風景な道を進む。
鳥籠山? 壬申の乱の戦場
街道を進み大堀町に入ると、芹川の手前にこんもりとした大堀山(別名鞍掛山)が現れる。 ここは天智天皇の子・大友皇子と、弟・大海人皇子が皇位継承をめぐり、国を二分した壬申の乱の戦場となった「鳥籠山(とこのやま)」ではないかと言われているそうだ。
殺風景な十所谷を過ぎると、街道は原町へと入る。 用水路が流れる静かな集落であった。
「天寧寺五百らかん」と「はらみち道標」と彫られた、2本の道標が立つ。 天寧寺を調べると、500mほど離れた所にあった。
矢除地蔵堂
仏教伝来とともに疫病が流行り、仏教反対派の物部守屋と聖徳太子の間で争いが起きたそうだ。 この地に身を隠した聖徳太子に向けて矢が射られると、黄金の地蔵菩薩が現れ、肩に矢が射ち込まれていたという。 聖徳太子にはこんな伝説もあるのか・・・
大堀山 壬申の乱の戦場だった?
芹川の手前にある大堀山(別名鞍掛山)は、壬申の乱の戦場となった「鳥籠山(とこのやま)」ではないかと言われている。 壬申の乱といえば、関ヶ原の不破関近辺にも多くのスポットがあった。
芹川を渡ると高宮宿はもう近い。
高宮宿は 多賀大社への門前町としても賑わい、埼玉の本庄宿に次ぐ中山道で2番目の規模を誇る宿場であった。
さて、どのような宿場風景を見せてくれるのだろうか・・・ 高宮宿後半へと続く。