旅行日:2022年11月11日
日本橋から61番目の宿場・醒井宿は、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)伝説のある場所として知られている。
日本武尊が東国征伐からの帰り、伊吹山の大蛇を退治しようとしたが、逆に毒気にあたって気を失った。 そして泉の水で毒気を洗い流すと正気を取戻したので、その泉を居醒の泉と名付けた。 これが醒井の地名の由来だという。
それにしても地名は「醒井」だが、JRの駅名は「醒ヶ井」 何故だ??
コースデータ
- 日 付 :2022年11月11日
- 街道地図 :柏原宿~醒井宿~番場宿~鳥居本宿
- 宿間距離 :柏原宿 ~醒井宿 1里(3.9Km)
- :醒井宿 ~番場宿 1里(3.9Km)
- :番場宿 ~鳥居本宿 1里1町(4.0Km)
- 日本橋から:累計117里25町(462.1Km)
- 万歩計 :27,323歩
※ 街道地図はGPSログを基に、実際に歩いたコースをGoogleMap上に作図
醒井宿
喧騒の国道21号から別れ、静かな一色の集落を進むと、やがて醒井宿の江戸方入り口である東見附跡となり、枡形を経て醒井宿へと入って行く。
国道21号が東海道線沿いに造られたため、 醒井宿の旧道部分と宿場の町並み、宿場を流れる地蔵川などは往時のまま残されている。
街道は緩いカーブを描きながら、宿場風情を盛り上げている。
居醒の清水 地蔵川の源流
加茂神社の下から清水が湧き出している。 「居醒(いさめ)の清水」で、古事記や日本書紀にも登場し、日本武尊が大蛇の毒気から覚醒した伝説が残り、「醒井」の地名の由来となったという。
居醒の清水から湧き出した清流は、地蔵川となって宿場内を西に向かって流れ、最後は琵琶湖に注ぐという。 それにしても水量豊かな湧水である。
江戸時代後期の旅行ガイドブック・近江名所図会には、「醒井三水四石」が紹介されている。
●醒井の三水:「居醒清水」、「十王水」、「西行水」
●醒井の四石:「蟹石」、「鞍懸石」、「腰懸石」、「影向石」
地蔵川の流れの中に「蟹石」、「鞍懸石」、「腰懸石」を見ることができるが、美的感覚に欠ける私には、ただの石にしか見えなかった。
水中花「梅花藻」 清流に白い花が咲く
醒井宿を流れる地蔵川には、水中花「梅花藻(バイカモ)」が群生している。 水温14度程度の清流で生育し、梅の花に似た白い小さな花を咲かせる。
清流の流れに揺らめく梅花藻だけではなく、絶滅危惧種といわれるハリヨという魚も生息しているそうだ。
11月だというのに花が咲いていた。 調べると5月頃から咲き始め、7月下旬から8月下旬までが見頃だという。
アップで撮ってみる。 葉の部分が繁茂しすぎているようだ。
醒井宿本陣跡
醒井宿の本陣は、現在「樋口山」という料理屋になっている。
地元の人が、川に入って梅花藻の上に落ちた枯葉などをすくって掃除をしていた。 この清流は、このような地元の人々の努力の賜物といえるのだろう。
了徳寺 イチョウの葉の上に銀杏がなる
了徳寺の境内に、樹齢150年という大イチョウが黄色く色づいていた。 このイチョウはお葉付きイチョウとも云われ、葉の上に銀杏(ギンナン)ができるという変わり種で、天然記念物だそうだ。 どのように銀杏ができるのか、探してみればよかった。
「醒井大橋」という小さな橋
醒井大橋の手前に、「十王」と刻まれた石灯篭が水中に立つ。 石灯篭の奥から、醒井三水の一つである「十王水」が湧き出ている。
宿場の中ほどで、醒井大橋で地蔵川を渡る。 ”大橋”と名が付くが、可愛い小さな橋である。 下の写真手前に少し写っているのが醒井大橋で、奥の橋は居醒橋である。
ヴォーリズ設計の旧醒井郵便局
米国の建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズ設計の旧醒井郵便局が残るというので寄道する。 旧醒井郵便局の現在は、醒井宿資料館として公開されている。
以前に近江八幡を訪れた時、市内に多く残るヴォーリズ建築を見て回り、レトロではあるが洗練された洋館建築の印象が残っている。
西行水と泡子塚
旧醒井郵便局から再び街道に戻る。 街道手前に居醒橋、左の橋が醒井大橋である。
居醒橋を渡って右に曲がり、醒井宿の京方の町並みへと入る。 やがて岩の窪みに多くの石仏と五輪塔を祀る西行水と泡子塚(あわこづか)が現れた。
ここに残る伝説では、西行法師が東遊の折りにこの泉で休息。 西行に一目惚れした茶店の娘が、西行が飲み残した茶の泡を飲むと懐妊し、男の子を出産したという。 この話にはさらに泡子塚の話へと続くのだが・・・ 割愛です。
やがて”番場宿へ一里”と刻まれた醒井宿の道標が立つ。 醒井宿の京方出口である西見附跡で、ここを右に曲がるとJR醒ヶ井駅へとなる。
醒井宿は清流・地蔵川沿いの風景が美しい小さな宿場で、 川端には各戸ごとの洗い場が設けられ、宿場の人々の暮らしと共生する清水の情景を見ることができる。
この醒井宿を後にして、次の番場宿に向かう。 番場宿の見どころは、鎌倉幕府滅亡時に、六波羅探題の北条仲時以下四百三十余人が自刃した武士を供養する墓石群であろう。