恵那市岩村(2) 女城主の里 ぶらぶら散歩と「かんから餅」

恵那市岩村

訪問日:2020年11月6日

平成の大合併により岐阜県恵那市となった旧岩村町は、織田信長の叔母である「おつやの方」が、日本で唯一の女城主として岩村城下を治めたことから、「女城主の里」とも呼ばれている。 また江戸時代には3万石の岩村藩城下町として栄え、現在も日本百名城の一つに数えられる岩村城址をはじめ、重伝建(重要伝統的建造物群保存地区)に指定された、歴史的な町並みが残されている。

旧中山道を、日本橋から京を目指して歩く旅で、46宿目の大井宿(恵那市)まで到達した。 そこで中山道を外れ、岩村城とその城下町を訪れることにした。

↓ ↓ ↓ ↓  岩村城を訪れた様子をまとめた記事はこちら  ↓ ↓ ↓ ↓

恵那市岩村(1) 日本百名城・岩村城と女城主の悲劇
日本百名城の一つで、さらに三大山城に数えられる岩村城と、その城下町を訪れる。「六段壁」で有名な岩村城は、織田信長の叔母にあたる美貌の女城主がいたが、最後には信長に「逆さ磔」というむごい刑を受けるという、悲劇的な話が残っている。

 

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岩村城からその城下町へ

山城の岩村城を下り、岩村本通りに出る角に常夜灯が立つ。 説明版には上町常夜灯という名で、寛政7年(1795)建立。 以前は他の場所にあったが、岩村城創築800年を機に移されたとあった。

岩村本通り

岩村本通りに入ると、歴史を感じる町並みが続く。 観光地化した妻籠や馬籠とは異なり、普通の生活感も感じられる、情緒豊かな町並みを見せている。 

岩村本通り

創業が寛政8年(1796)という「松浦軒本店」。 「カステーラ」と書かれた看板が何とも渋い。  長崎から伝わった、ポルトガル伝来のカステーラの製法を守っているという。

松浦軒本店

岩村醸造 蔵の中をトロッコが走る

「カステーラ」の松浦軒本店の向かいにある岩村醸造。 創業は天明7年(1787)で、創業当時は岩村藩御用達の運送業を営み、酒造りは副業だったという。 その後明治維新で岩村藩が廃止されると、酒造りが本業になったという。 銘柄名は、ズバリ「女城主」である。

岩村醸造

店の中に入ると、入口から奥へと続く2本のレールが目を引く。 原料である米や酒の入出荷時に、重い荷物を運ぶために敷設された。 このようなトロッコを敷設した店は、日光街道の幸手宿でも見た覚えがある。

岩村醸造

今はバーカウンターのように改造されたトロッコの上に、試飲用の酒が並んでいる。

岩村醸造

お土産として松浦軒本店のカステーラにするか、岩村醸造の酒とするか一瞬迷ったが、岩村醸造の生酒購入を即断即決。 銘酒「女城主」ではないが、すっきりとした飲み口で実に美味かった。

岩村醸造

水野薬局 看板やショーウィンドウが半端ない

江戸時代から続く老舗の薬屋。 現在の建物は比較的新しく、昭和20年に建てられたという。 軒下にずらりと並ぶ看板に目を見張る。

水野薬局 水野薬局

ショーウィンドウにもレトロな看板が所狭しと並べられ、まさに博物館状態である。 よく見ると、養命酒や龍角散といった名もある。

水野薬局

木村邸 藩の財政を支えた商家

江戸時代中期から末期にかけて栄えた問屋で、藩の財政危機や、江戸藩邸類焼時に多額の金品を用立てるなど、岩村藩の財政に大きく貢献してきたという。

木村邸 木村邸

木村邸手前の小路に入るとなまこ壁が続く。 木村邸奥の庭に立つ土蔵である。

木村邸

岩村本通りは見どころてんこ盛り

岩村本通りの両側には昔からの町家が並び、城下町というか商家町の名残りが色濃く残っている。 中山道の妻籠や馬籠の町並みは、映画のセットのように作られた世界に入り込んだ感じであったが、ここ岩村は生活感もあるので、本当にレトロな時代を歩いている気分にしてくれる。

下の写真左が木村邸。 右は浅井屋。 衣料品店で、絣(かすり)のモンペや手拭いを売っているという。 今の若い人には「絣」とかモンペといっても知らない人が多いだろう。

木村邸

260年前に染物業を営んでいた土佐屋。 平成8年に復元され、「工芸の館」として無料公開されている。

土佐屋

本屋さん入口に吊るされた看板を見て驚いた。 「参謀本部 陸地測量部発行地図販売店」と書かれている。 陸地測量部は現在の国土地理院の前身で、明治の頃ではないかと思う。

陸地測量部

本通りから脇道に少し入った所にある、鉄砲鍛冶の加納家。 天保2年(1831)頃から、6代岩村藩主の命により、鉄砲鍛冶を始めたという。

鉄砲鍛冶加納家

岩村本通りの中央付近に設けられた枡形には、高札場が復元されている。

岩村高札場

道路上のマンホールには天守閣が描かれている。 山城の岩村城には天守閣は無く、三重の櫓があったという。 この櫓を模したのか、城に対する町の人々の思い入れの深さを感じられる。

岩村町

かんから屋の「かんから餅」

名物といわれる「かんから餅」を食べに、「かんから屋」へと足を運ぶ。 甘味処に男一人で入ることに少々気が引けたが、店内は昔ながらの食堂といった雰囲気であった。

この岩村本通りは、NHKの朝ドラ「半分、青い」のロケ地だそうだ。 そして「かんから屋」は、ドラマ撮影時の休憩所として使われたようで、主演の永野芽郁もかんから餅を食べたのだろう。

かんから屋

メニューを見ると「かんから餅」以外はうどん。 甘味処というよりうどん屋さんのようである。 遅めの昼食代わりに丁度良いと、玉子うどんとかんから餅を注文する。

かんから餅

写真を撮るのも忘れ、思わず「かんから餅」を一つ食べてしまった。 すり胡麻とこしあんが各2個。 さらにきな粉が一つと、1皿に5個も盛られている。 見た瞬間「ゲッ! 1人でこれ全部? 多すぎだろ!」と思ったが、ペロリと食べてしまった。 甘さもくどくなく、お餅は柔らかく滑らかな舌触りであった。

玉子うどんも抜群の美味しさ。 白菜や厚揚げととき卵が、出汁と相まってさらに美味しくなっている。 これなら何度でも食べたくなる一品であった。 ごちそうさまでした・・・

次の中山道歩き旅では「明智」を訪れよう

明知鉄道は、ほぼ1時間に1本のダイヤである。 乗り遅れると、何もない駅でボケっと待ちぼうけを喰らってしまう。 帰り電車の時刻を確かめて駅に向かう。

岩村本通り

明知鉄道では、始発駅の恵那、終着駅の明智と、岩村駅を含めた3駅だけが有人で、他は無人駅のようである。

岩村駅

「農村景観日本一」といわれる、のどかな田園風景の中を揺られながら、恵那駅から名古屋経由で帰途についた。

今回はJR中央線の南木曽駅から歩きはじめ、妻籠、馬籠、落合、中津川 そして大井宿と1泊2日で中山道を歩き、さらに1泊して岩村へ寄道の旅であった。 次回中山道を歩くときは、再び明知鉄道で「明智」の町を訪れてみよう。

 


 

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