旅行日:2019年4月3~4日
日本橋から32番目の宿場である本山宿は、「そば切り発祥の地」といわれている。
「そば切り」という名を聞き、最初はどのような蕎麦なのか?と思ったが、要するにざるそばであった。 蕎麦には様々な食べ方があるようだが、麺として細く切ったので「そば切り」というらしい。
とにかくこの「そば切り」を食べようと、洗馬宿を出発して本山宿を目指す。
日 付 | 区 間 | 里程表 | 実距離 | 万歩計 | ルート | ||
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2019年 4月3日 ~4日 |
下諏訪宿~塩尻宿 | 2里33町 | 11.5Km | 17.9Km | 24,509歩 | Map | |
塩尻宿~洗馬宿 | 1里30町 | 7.2Km | 25,250歩 | Map | |||
洗馬宿~本山宿 | 0里30町 | 3.3Km | 10.2Km | ||||
本山宿~贄川宿 | 2里0町 | 7.9Km | |||||
合 計 | 7里21町 | 29.9Km | 28.1Km | 49,759歩 | |||
日本橋からの累計 (累計日数 : 20日目) |
62里26町 | 246.3Km | 256.1Km | 425,088歩 |
里程表 : 別冊歴史読本「図説 中山道歴史読本」より。
実距離 : 各区間のコース計画時、ルートラボを利用して計測した距離。
実距離の数値をクリックで、ルートラボの計画コースを表示
MAP : GPSログを基に、実際に歩いたコースをGoogle MAP上に作図
洗馬宿を出発
洗馬宿を出て、中央線のガード手前を左に入って言成地蔵へ寄り道する。 「ことなり」と読むと思ったら、「いいなり」と読むそうである。
言成地蔵
願い事は必ず叶えてくれるので「いいなり」だそうで、宿場時代から現在まで、多くの参拝者が訪れるそうである。
境内には、あばら骨が浮いたような体から4本の細い腕が伸び、愛嬌ある顔に見える石仏が置かれていた。
牧野一里塚碑
江戸より60里だが、一里塚の姿は失われている。 中山道名称統一300年の年(2016年)に碑を建てたと説明されている。
本山宿
洗馬宿から本山宿の間は約3Kmほどである。 木曽路入口との境で、松本平の出口として重要な位置にあり、松本藩の口留番所が置かれて、米穀の出入り取り締まりを行っていた。
下町石造群
本山宿の江戸側入口にあたる下町に並ぶ石仏群。 庚申塔や二十三夜塔、馬頭観音などが並ぶ。
本山そばの里
目的であった「そば切り」を食べに立ち寄る。 店は左の白いプレハブのような建物。 外見はそば屋とは思えない。
「そば切り」大盛り。 口の中にそばの香りが広がる美味しい蕎麦であった。
旧旅籠「川口屋」
川口屋、池田屋、若松屋と、3軒の旧旅籠が斜交建物として続いている。
川口屋の看板は、江戸側「川口屋」、京側は「か?口や」となっている。
切妻造り・平入りに連子格子と出桁造り・袖卯建と、宿場風情を色濃く残している。
本陣跡
川口屋などの向かい側奥には、本陣であった小林家がある。 雀踊りの棟飾りを持ち、皇女和宮が宿泊したそうだ。
上町石造群
本山宿出口付近には、上町の石仏たちが並んでいる。 説明を見ると、宝暦や寛政年間のものだそうだ。
本山宿出口
本山宿京方出口より、国道19号と中央線を見下ろす。
木曽路入口を目指して
本山宿を抜け、木曽路の入口を目指して19号を南下する。
踏切が撤去された!
国道19号から線路の向こうに見える(株)シンセイに向かって小さな踏切を渡る予定であった。 しかし踏切が撤去されて通行止め。 19号を直進してJRを越える陸橋を渡る。
日出塩の青木
(株)シンセイの裏手にあり、洗馬の肘掛松と共に江戸の屏風に描かれたそうだが、今はそれらしい木は無い。
踏切があれば近いのだが、撤去されたため、戻るような形で遠回りとなった。
日出塩一里塚跡
日本橋から61里、京へ71里との標柱が立つ。 61里塚とも呼ばれていたようだ。
3基の石塔
大きな道祖神や秋葉大権現などの石塔が並ぶ。
初期中山道が分岐する
国道19号から分岐する細い道が初期中山道。 説明版によると、下諏訪から岡谷を経て、三沢(小野)峠、牛首峠を越して木曽の桜沢に下るルートだそうだ。
Google Mapを見ると、この分岐点には「ホテルアルファ」とあるが、リサイクルショップになっていた。
トンネル工事が進行中
国道19号の桜沢改良で、トンネル工事が進んでいた。 雪崩や土砂災害を回避するためだろう。
このトンネルが開通すれば、現在の19号の交通量は激減するので、静かな街道歩きを楽しむことができるだろう。
木曽路入口に到着
国道に「是より南 木曽路」の案内板が現れる。 ここから先が木曽路で、贄川宿から馬篭宿までの木曽11宿の入口である。
本山宿は車の往来も少なく、規模は小さいが街道風景を作る格子窓の古民家が並び、ゆったりと静かな時間が流れるような宿場町であった。
この本山宿を抜けて木曽路入口を示す標識まで来ると、いよいよ「木曽路はすべて山の中」の世界である。
ここから先の贄川宿までは、「第33宿 贄川宿」編に記すことにする。