旅行日 : 2017年04月05日
古河宿から野木宿、間々田宿を経て、小山宿まで歩く予定で出発した。 この古河から小山までの間は、長い国道歩きである。 そしてあまりに退屈な国道歩きに、途中で飽きてしまい、間々田宿で途中棄権。 時間が早かったので、電車で結城に移動し、結城の街歩きを楽しむことに変えてしまった。
日光街道は旧道が少なく、激しい交通量と騒音・排気ガスにまみれての長い国道歩きが多い。 長時間歩く脚力だけではなく、忍耐力も要する街道だと思った。
日 付 | 区 間 | 宿間距離 | 実距離 | 万歩計 | ルート | |
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2017年4月05日 | 古河宿から 野木・間々田宿 |
9.6Km | 10.77Km | 15,453歩 | Map | |
日本橋からの累計 (累計日数 : 8日目) |
76.9Km | 101.43Km | 137,454歩 |
宿間距離 : 各区間のコース計画時、ルートラボを利用して計測した距離。
(宿間距離の数値クリックで、ルートラボの計画ルートを表示)
実距離 : 寄り道などを含め、GPSログを基に基に実際に歩いたコース距離。
(ルート欄の「Map」→ GPSログから作図した実ルートを表示)
古河宿から野木宿へ
JR宇都宮線の古河駅に降り立ち、前回帰途についた古河宿出口に立つ常夜灯まで、再び「よこまち柳通り」を歩く。
【 塩滑地蔵菩薩 】
街道から少し奥まった所に、塩滑地蔵菩薩を祀る祠が建つ。
身体の悪い所と同じ場所に塩を塗ると、治ると言い伝えられている。
多くの塩を塗りつけられたのか、全体がのっぺりと削られている。
顔は赤い帽子で隠されているが、のっぺらぼうになってしまったのか?
【 野木神社 】
およそ1600年前の、仁徳天皇時代の建立というから相当古い。
本殿まで参道が500mもあるので、参拝は断念する。
【 野木交差点 】
国道4号と合流。 ここから小山の手前まで、約11Kmの国道歩きが始まる。
野木宿
野木宿は日本橋から10番目の宿場で、本陣1軒・脇本陣1軒・問屋場4軒・旅籠25軒の小さな宿場だった。 宿場の説明版によると、野木宿の街道沿いは松並木があったそうだが、現在は松並木はもちろん、街道の面影も失っている。
【 野木宿入口 】
「この場所に木戸が設置されていた」と書かれた小さな案内板が立つ。
街道から路地に入った所にあるので、見落としそうである。
【 往時の屋号 】
街道沿いには、宿場当時の屋号を掲げる家もある。
【 脇本陣 】
脇本陣であった「熊倉家」
【 万願寺 】
街道沿いの万願寺は、白モクレンと桜が綺麗に咲いていた。
万願寺入口には十九夜塔が立っている。
【 野木一里塚跡 】
「江戸より十七里 塚の上には榎が植えてあった」とある。
【 野木宿道標 】
「是より大平山道に至る」と刻まれている。
栃木に向かう日光山近裏道と呼ばれる脇往還入口だそうだ。
国道沿いの風景
昔の面影を殆ど失っている野木宿を出て、長~い国道を淡々と歩く。(実際はどこまでが宿場だったのか判らなかった)
【 長い国道 】
車の途切れた一瞬を撮る。 国道なので、実際は交通量は多い。
【 桜の季節 】
国道から少し入った所に、桜がたくさん咲く小さな公園があった。
ほぼ満開の見頃であるが、花見客もいない静かな公園であった。
【 長屋門 】
国道沿いに、立派な長屋門が現れた。
【 報音寺 】
本堂の手前には、東大寺大仏殿前の「八角灯篭」にそっくりな灯篭がある。
境内の弘法大師供養塔の台座には、几号(明治の水準点)が刻まれる。
【 日本橋から70Km 】
相変わらず直線路が続く。 日光街道は単調な直線の国道との闘いである。
【 路傍の祠 】
大きな木の下には、小さな祠が祀られている。
自然のもの全てには神が宿るという、八百万の神そのものである。
【 若宮八幡宮の大日如来坐像 】
宝永六年(1709)鋳造。 戸外に安置され「濡れ仏様」と呼ばれていた。
しかし酸性雨などで傷みが進んだため、平成10年に屋根が作られた。
なかなか綺麗な如来像である。
【 乙女八幡宮 】
良く判らないが、この鳥居は明神鳥居形式というそうだ。
右の大きな石碑には「日清日露戦役徴発軍馬紀念碑」とあった。
国道歩きに飽きてしまった!
間々田の駅が近づいてくると、街道沿いには古い家も現れてくる。 しかし相変わらず国道沿いを歩くので、街道風情に対する期待はできない。
【 農家の板塀 】
立派な門と板塀を持つ農家。 この様な家が続くと良いのだが・・・
【 古い商店 】
看板を見ると、学校制服などの衣料品店である。 この日は定休日であった。
【 間々田駅 】
国道歩きにうんざりしてしまい、予定を切り上げて間々田駅へ。
長い国道歩きに飽きてしまい、間々田から先、更に小山まで国道を歩く気力が失せてしまった。 途中ではあるが、ここで街道歩きを中止して、間々田から電車で「結城」の街を見に行こうと、方針変更することにした。
「結城」は紬で有名だが、街中には見世蔵が多く残っているという。